Column

第219話  ポンコツ便り

  アップルマラソン大会まで後2週間と間近に迫っていたある日の早朝。
私はいつものようにジョギングに出掛けた。
大会も近い事もありこの日はやや長めの20キロを走る予定にしていて、ちょうど片道10キロ地点で折り返してそこから半分、5キロほど折り返してきたあたり、向こうから迫ってくるひとりの姿があった。
それは、お互いの走る時間が変わったせいかここしばらくは遭遇出来ていなかったHさんだと、歩き方からすぐにわかった。
「どうもお久しぶりです」と私から声を掛けた。
「あら、久しぶりだね、でも、ちょっとどうしたの、走りが随分重くなってるよ」
唐突なHさんの言葉に絶句。
「ですよね、やっぱりそうですよね、近頃キロ6分切れないんですよ、足が回らなくて」
自覚はしていたが、ストレートな言葉はなかなかくすぐったいものだ。
そんな厳しい言葉の直撃から2週間後、私は弘前に入っていた。
5年ぶりのマラソン大会に心は踊っていたが、不安も確かにしっかりと身に染みていた。
早朝4時、早めに起床し買い置きの食事を食しエネルギーを補充する。大会用のウエアーを揃えてシャツにはゼッケンを取り付ける。シューズにサングラスに時計、準備は万端だ。
私は椅子に腰かけテレビをつける。この時間はテレビショッピングだらけで何も面白い奴はやってない。テーブルに置いた携帯電話に手を伸ばした。
その時だった、背中に激痛が走った。
「えっ、今」
瞬時絶望が脳裏を過る。年に数回起こる原因不明の背中の激痛。これが発症するとゆうに1週間はまともに走ることなどできやしない。
棄権するしかないか、ここまで来て悔しいが仕方がないか、それでも時間はまだあるしどうにか出来ないものかとしばし途方に暮れる。せっかくここまで来たのに・・・。
何か治す方法は無いのか・・・そうか鎮痛剤があればなんとかなるか・・・かつてこの状態で薬を飲んだことは無かったが試してみる価値はある・・・そう考えた私は痛い背中をかばいながらホテルから出て車に乗り込んだ。ドラックストアーは開いてはいない、この時間では無理だ、そうだコンビニはどうだ、そう考えて回ってみたが風邪薬がせいぜい鎮痛剤の姿は見当たらなかった。どうしよう、私は車を路肩に止めてしばし考えた、が妙案は浮かばない。
すると停車中のこの車の左側にあった焼鳥屋から、ひとり初老の男性が玄関ドアを開けて外に出てきた。左手にはスプレー洗剤と右手には雑巾が1枚、外の換気ダクトにそのスプレーを噴射して拭き掃除を始めた。外のダクトまで掃除するなんてなんてきれい好きな人なんだろう、こんなところはきっと味もいいんだろうな~なんて思う。
この時ふと妙案が浮かんだ、ここの店には鎮痛剤とかのストックはないのだろうか?と。
これは千載一遇のチャンスなのかもしれない、一か八か聞いてみる事にした。

店主は快く私を迎え入れてくれた。店内奥から配置薬の箱を持ってきてくれて、その中から「ケロリン」の小箱を1個取り出すとそれを私に差し出した。
「ほらっこれもってけ、それで頑張って」
店主はそう言いながらにこりと微笑んだ。
「ありがとうございます、これでなんとかなりそうです」
私はありがたくその小箱を受け取り、ひとつ頭を下げてから店を後にした。
運が良かった。人も良かった。すでに明るさを増してはいたが早朝のこの弘前で、私は鎮痛剤を手に入れることができたのだった。
早速ホテルに戻って錠剤2個を胃の中に流し入れた。うまくいけばこれで大会に出ることが出来るかもしれない。
少し時間が経ってそれは効いてくれた、やや痛みは残るもののあの激痛は止んでくれた。良かった。これなら行ける。
午前9時10分前、私はスタートエリアの人混みの中にいた。
今回は数年ぶりという事もあり、4時間ではなく4時間30分のペースメーカーの後に着いた。本当は5時間ペースに付きたかったのだがその5時間の看板が見当たらず、仕方なくここに着いた、そんなところだ。
パ~~~ン、スタートが切られた。
キロペースとしては1キロ6分くらいで走っている。鍛錬不足の今の私ながらどうやら付いていけるようだ。私は淡々とこのペースを守りながら走る。10キロを超えたあたり、ペースに多少の早い遅いの誤差はあるがなんとかなりそうだ。
ところが20キロを超えたあたり、何だか急に下半身が重くなってきた。まだまだ中盤、かつて経験のないいやな現象だ。腿が重くふくらはぎには痛みが走る、つりそうだ。
こんな早い段階で無理はしないように、泣く泣くだがペースグループから離れることにした。折り返し前にペースメーカーから離れたのは初めての事だった、しかも以前よりも明らかに走るペースが遅いにもかかわらずに、だ。やはり持久力不足か。
すでに両足は乳酸でパンパンだ。回復力も随分と落ちているようだ。
ペースはやはり自然と下がる。その下げたペースが今は精いっぱいだった。
おそらく先のペースグループには追い付けまい、そんな気がした。体が思うようには動かないのだ。仕方なく、そのペースダウンの維持で走り続ける。
気温は予報よりかなり高くなっている感じがする。太陽の照り返しが真夏を彷彿とさせる程にまぶしい。体力はどんどん消費されて行き体の感覚は鈍感になり右手にしびれが走った。
前方に給水所が見てきた。私は水をもらおうとその場所に立ち止まった。
目の前が揺らいだ。止まった瞬間に激しいめまいが発症した、これも初めての経験だった。
地面を両足で踏ん張り、この場に倒れないようにバランスを保つ。
まさかの出来事にただただ驚く、と同時にギブアップはしない、そう強く思う。手に取った水をぐいっと飲み干し、めまいのなか再び走り出す。不思議と、走り出すとそのめまいは消えた。とにかく動け、そんなところか。
しかし、25キロを少し超えたあたりで両ふくらはぎがパンクした。バキバキと音でもしそうな程に突っ張っている。とうとうこのまま走り続けることを諦めざるおえなかった。
それでもここからこのまま歩くのでは到底タイムリミットに間に合うはずはない。そこで考えたのが20mほど走り10m歩くと言った自分だけの小さな大作戦だった。これを繰り返すのである。気恥ずかしいがなりふり構わずやるしかない。
これはこれでなかなか前へと進んでくれた。回復、疲労の繰り返しでなんとかタイムを稼ぐ。
これもしかし、35キロ地点でアップアップ、とうとう走ることは出来なくなった。
もう最終的に歩くしか術はなくなっていた。
「調子どうですか?」
後ろから駆け上がってきた、年の頃は私と同年代くらいの男性が私に声を掛けてくれた。
「あっどうも、いや~かなり足が厳しいですね、もう足を一歩一歩前へと運んでやるのが精一杯です」
そう言うと彼は左腕の時計を見ながら言った。
「このあたりだともう歩いても時間には間に合うと思いますよ。」
「まじですか、それはよかった、一安心です」
私の腕時計はすでに電池が切れてしまっていたのでこれには助かった。
「私はここからもう少し頑張ってみます、それでは」
そう言うと彼はそこから走り出した。
「ありがとうございます、がんばってください」
私は彼に一声かけてそのままのペースで前へ前へと足を突き出す。これほど苦しいのは初めてだった。初めてこのフルマラソンに挑戦した時は未知との遭遇でなかなか大変な思いで帰還したと記憶しているが、今回はその時の比ではない程に全身が悲鳴をあげている。
無理は体を壊す、次を見据えて歩くしかなかった。私は路傍の声援をそのままに歩き続けた、ゴール手前まで。
せめてゴールだけは走って抜けよう、最後の力を振り絞るように痛む足をおして駆けた。
笑顔でゴール、どうやら時間は間に合ったようだ、ほっとした。この、もう走らなくても歩かなくてもいい環境に達した時の安堵感は、受験ですべての試験を終えた時に似ている。
その足で参加賞のバスタオルとリンゴをもらってそのままどこにもよらずに家路へと着いた。この不甲斐ない結果に私は思った、来年はどうしよう、悩みどころだ。
まぁ今結論を急ぐ必要はない、それは来年考える事にしよう。
そうだ、近いうちに再び弘前に足を延ばして、あの焼鳥屋の主人に挨拶に伺わなければならない、それが今やるべきことだった。
*弘前アップルマラソン時期において、その大忙しの中ホテルを確保して頂いたKさん、天を仰ぐほどにお世話になりました。お陰様でなんとか完走することが出来ました、本当にありがとうございました。

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