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第216話  のり弁に始まり

  それは確か、1980年代中ごろの事だった。
目新しいが、見るからにフランチャイズ形態だろうと思われる店舗が市内に1軒オープンしているのに気が付いた。車内から覗くと、店名を「ほっかほっか亭」と言った。
その店名からして恐らく弁当屋なのだろうと推測できた。別に新しもの好きではないが、昼の弁当選択には辟易としていた最中だったので、ちょっと覗いてみる事にした。

店内は5人も入ればいっぱいなくらいの狭さだった。
もちろんそれは客のいるスペースで、店内カウンターからのぞく内の厨房はそれなりの広さが確保されていた。新店舗、きれいなものだ。
写真でカウンター上方に張り出されたメニューを見てみると、親子丼、かつ丼などなどそれぞれ味に覚えのあるメニューが並んでいる。その中にひとつ、目新しくも懐かしい感触のネーミングが目に入った。それは「のり弁」だった。
小学生の頃、毎日祖母が作ってくれる弁当がそののり弁そのものと言ってよかった。海苔は2段に構築され、おかずはクジラ肉のソテーや茶色く焦げ目のついた卵焼きだった。それを思い浮かべるだけで今でも唾液がほとばしる。当時、赤身肉はクジラ肉が我が家では主流で、植物油でしっかりと炒めてはジュ―――ッと白い湯気を立てながら醤油で味付けをする単純なものだったが、私の大好物だった。もちろん刻み葱の練り込まれた卵焼きは絶品だった。
その「のり弁」の値段は260円、激安と言ってよかった。
私はその「のり弁」をひとつ注文し、そしてそれを会社に持ち帰って食べた。
感動だった。弁当のふたを開けたとたん食欲をそそる海苔の香りがまずは鼻孔をくすぐった。海苔の香りは、日本人にとって特別な存在だ。
メインであるタラのフライにちくわの磯部揚げは、あのクジラ肉のソテーに匹敵したし、添えられたきんぴらごぼうはどの食材ともうまくマッチしていた。特質すべきはやはり海苔だろう。一面に敷かれた海苔とごはんの間にはうまみたっぷりの昆布の佃煮が散りばめられていて、その塩っ辛さが海苔の味を数段昇華させていた。すべてが懐かしくもあり、その慣れ親しんだ味がまた心地よかった。まさに弁当らしい弁当と言ってよかった。この値段でこれだけの物を提供しているその姿勢にも胸を打たれた。
それから幾歳月、たくさんの種類の飲食フランチャイズ店が乱立し、多種多様な食を提供する時代へと移り変わっていった。そして、いつの間にか私の中で、のり弁は少しずつ少しずつ過去のものとなり、忘れ去られて行っていた。うまいものが氾濫している世の中で、私はすっかりと毒されてしまっていたからだ。
先日、店先でポップアップショップを2日間開いてくれたN君。私は彼にランチを提供しようと、どんなものが好みなのか聞いてみた。すると彼は言った。
「僕はのり弁がいいですね、あれが一番うまいすね。弁当として完成されてますよね。」
その言葉に私は軽い驚きを覚えた。確かに、そうだった、昔食べて感動したことを思い起こさせられた。私は数年、いや十数年かもしれない、まったくその存在を忘れ去ってしまっていた。なんだか情けない気持ちになった。
その言葉に私も促されて同じのり弁を注文することにした。
本当に久々ののり弁だった。これがまたうまかった。おかずはそれぞれ以前と同じよう品揃えではあったがオプションも付け加えられていてそれぞれが十分に進化もしていた。
やはりこれか、のり弁に始まり、そして最後はのり弁にたどり着くのか、そう思った。

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