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第211話  Siri、お前ってやつは

  2月早朝、私は午前5時には家を出て八甲田高田大岳へと車で向かっていた。
ホットドリンクは2本ほど家で用意してきたのだが、少しの食料とコーヒーはコンビニで調達しようと途中店に寄ってそれらをゲットする。いつもなら私は冷たいコーヒーをチョイスするのだが、今回は冬山という事も考えてコーヒーはホットにした。
近頃多くなったオートレジの音声ガイドにのっとって支払い完了、再び車を走らせる。
午前8時過ぎ、酸ヶ湯温泉上の駐車場へと到着、準備を整え午前8時30分には出発出来た。
朝の天気予報では午前中は曇り時々晴れ間、午後からは晴天の予報が出ていた。それでも山の天気、これを鵜吞みには出来ない。現に昨年冬季3度ここを訪れたものの3度とも悪天候の憂き目にあっている。きっと私はここ八甲田に嫌われているのかもしれない、そう思っている。
山に積雪は相当あるものの、それ程沈みもなくスノーシューは軽快に足を運んでくれる。
あたりの木々には大量の雪がへばりつき大きな二等辺三角形のモンスターのようないで立ちでそそり立つ。高い、大きな奴はビルの3階くらいはありそうだ、すごい景色だ、そしてなんとひとつひとつが気高く美しい、自然のなんと圧倒的なこと。
そんな感動的な思いを胸に1歩1歩前へと進んでゆく。
木々の先が開けてきた、どうやら樹林帯を抜けたようだ。その向こう側には大きな谷が姿を表す。このあたりから怪しく白い気体が漂い出した。マジか、私はいやな予感を感じた。早朝には特徴的な現象だが、なんとか消えてくれればいいのだが。
白く霞んだ谷に下りてそこからまた山頂方向に進路を取って進む。高度が上昇するごとにその白い気体の濃度が上がる。いまのところ風は無い、それが救いだ。
感覚的にその谷を半分くらいまで登ってきたあたりだろうか。ここまで来ると白い色は濃度をさらに増し増し、とうとう視界は2m程にまでに落ちた。時折、すべてが白な世界の中で自身の立ち位置がわからなくなるくらいまでに白くなる。思わず私は大きな声で笑ってしまった。気が狂ったわけではない。なんとも奇妙な、このまるでアトラクションのような情景が楽しくてしょうがないのである。私はここで立ち止まり、朝のコーヒーをひと口、体を温めまた進む。
白い世界は薄くなったり濃くなったりを繰り返し、まるで頓珍漢な私をもてあそんでいるかのように強弱を織りなす。
それでも前へ前へと進んでいたものの、ちょうど「仙人岳」の少し手前あたり、とうとう雪の混じった風が吹き出した。こうなればこの私にはどうすることもできない。吹雪になってしまってはお手上げである。
ここで素直な私は躊躇なく下山を決めた。決して無理はしない。
谷を戻りちょうど樹林帯に差し掛かったあたりで雪は無くなったが、ここで待機して再び登ろうと言う気にはなれなかった。そのまま樹林帯を抜けて車へとたどり着いた。
今年の初挑戦は失敗に終わったが悔いは無い、天気のいい時、また登ればいいさ、そんなところだ。
予定時間の余った私は、兼ねてから訪ねてみようと考えていた青森市内にあるアウトドアショップへと足を延ばしてみることにした。ここ八甲田からなら青森市内は近い。
ものの1時間程度でそのショップへと到着した。駐車場へと車を回して駐車した。アルパインパンツが欲しかった私はここなら揃っているだろうとサイフを手に・・・サイフを、ん、サイフが・・・ない。サイフが見当たらないのに気付いた。
クラッチバックから登山用ショルダーバックからリュックからからすべてを覗いてみてもサイフは一向に姿を表してはくれなかった。どうしたものか?なぜないんだ?若干パニック。私は朝からの行動を車の中で考えてみた。そうそうサイフを出す機会など無いはずだが、そうだ、あそこかもしれない、コンビニのコーヒーだ、そうだ、私があのオートレジの音声ガイドに従って支払いをしている時、コインが必要になりポケットからコインを取り出す時にサイフをそのオートレジの端に置いたんだ。確かだ、その絵が私の脳裏に浮かんでいる、間違いない、あそこだ。
そう確信した私は早速そのコンビニに連絡してみようと登山用ポーチに入れてあった携帯電話を取り出し、そしてスクリーンタッチをして、愕然とした。無情にも電池が切れそうだサインのレッドランプ。早朝、充電は満タンにしてきていたはずだったが、そうか、登山中の寒さの中で急速な電池消費が促進されてほんの3時間ほどでなくなってしまったのだ。なんと残念な展開、いや、いつもそんなものだ、人生なんてそんなもんさ。
私は一旦ジタバタするのを止めた。せっかくなので車を降りてそのアウトドアショップを覗いてみる事にした、持ち合わせもないのに迷惑な話だが。
そしてこんな時に限ってほしいものが格安で見つかる、これが世の常だ。欲しいが、買えない、は~よいよいっと、と歌でも歌いたくなる心境だ。
次回になる、時間とサイフのある時に買おう、そう心に秘めて帰路に着くことにした。
車を運転していてちょうど青森市街地を抜けて国道4号線上左側にラーメン屋「マタベイ」が見えてきたあたり、「そうだ!」頭の中で100ワット級の電球がキラキラときらめいた。
確かクラッチバックの中にアップルウォッチが入っていたはずだ。右手にハンドルを握ったまま、私は左手で助手席にあるクラッチバックからアップルウォッチを取り出した。そして右腕にセットしていると、向こうから赤色灯を付けてないパトカーがやって来た。変な動きはやばいやばい、何もしていないよーな感じでセット完了。どうやらアップルウォッチの方は使っていなかったので電池残量は十分なようだ。これなら電話が出来る。ただ運転中はこの小さな画面操作は容易ではない、とくに老眼なだけに。
そこでまたまたひらめいた、Siriだ。
そうだ奴ならやってくれるはずだ。すぐに私はベゼルを長押し、奴を呼び出した。
「ハイ、Siri、○○に電話して・・・」
それに答える形でシリが軽快に声を発した。
「そう来ると思っていました」
えっ。
「なに、Siri、お前ってやつは、何て頼もしいやつなんだ」
湧き出る感謝の気持ち、そして私はそのやる気満々のSiriの次の行動を待った・・・発信音の響きを待った。
しかし、数分待ってもSiriはなんの行動も起こさなかった。
Siriは結局スルーした、この緊急事態を軽く流した。
仕方がないので私は途中車を止めることが出来る場所を探し、そのアップルウォッチから連絡を取ることが出来た。サイフはそのコンビニにある事が解った。
正直ほっとした。張りつめていた気持ちが緩んだ。
Siriにはスルーされたが、サイフがあってほんと良かった。
Siriの事は、もう一度信じてみようと思っている。

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