Column

第200話  浅はかに書く時

  3月、世間では卒業の時期だ。
厄介なコロナ禍、卒業式だとか謝恩会だとかの行事ごとは、今年はなかなか思うようには開催できない状況にあるだろう。何だか不憫でならない。会えるのももう最後になるかもしれないと言う人達もいるかもしれない大事な別離の触れ合いが、こんな形で流れてしまうのは空しすぎる。憎き新型コロナウイルス、と言ったところだ。
休日のある日、空からは大粒の雨が容赦なく降り注ぐと言った雨男特有の現象が私の周りを攻め続けていた。こんな時はどうしようもない。アウトドアは即刻中止だ。そうなった時の切り替えとして昨晩から買い物に行くことを決めていた。その買い物に出る時間までにはまだ少しだけ猶予があったので、普段は覘くことも無かったクローゼットの整理でもしようと思い立った。ハンガーポールにはシャツなどハンガーに掛けて整理してあるのでそれなりだが、その床部分には3個の段ボール箱が重ねてあった。ここに越してきてから一度も開けたことは無かった。それが妙に気になり、何が入っていたのかも確かめてみる事にした。
いやはや、今ではまったく使う事もない灰皿や小銭が数枚入ったすでに変形してしまっている財布などなど、もう二度と日の目を見ないようなものばかりが雑然と詰め込まれていた。中身の大半は頭の片隅にも残ってはいないようなものばかりだ。覚えていないのも当然だ。ただ、最後3箱目の段ボール箱の底にペタリと横たわっているピンク色の冊子が目に入った。それには見覚えがあった。確かそれは中学の卒業式で卒業証書と一緒にもらったものだった。
懐かしさにそれを手に取り私はその場に座り込んで眺めてみる事にした。
そこには丸坊主のまだまだ初々しくもみずみずしい私が、少しはにかむようにモノクロ写真で写っていた。その周りには懐かしい面々の顔がずらりと並んでいる。みんな元気でやっているのだろうか、と思考が動く。今から10年前に一度だけ同窓会をやった事があった。この中のごく一部、20人程には会ったことはあったが、それなりに皆年をとり随分といい感じに進化的退化していたことを思い出す。もちろん私だって「それなり」に皆の眼に映っていたに違いない。随分と年を重ねてきたものだとつくづくと思う。
パラッパラッとその冊子の乾いたページをめくる。
「将来の私」の飾り文字が目に入った。未来の自分がいったいどうなっているのかをそれぞれが想像しそれを書いているページであった。覚えがあった。どれどれと、私は、確か変なことを書いていたな~と思い出しながら覗いてみる。
「〇―イチをこき使い、中学時代の恨みを」
なんだこれは、側には誰もいないのだが、いやな気恥ずかしさが全身にこみ上げてきた。そうだ、そんな陳腐でどうしようもない事を書いたんだ。私はすぐにでも、その忌まわしいページを破いて捨て去りたくなっていた。なんて浅はかな事を書いているんだ、冷汗がたらりと背中を伝ってくる。
そうなんだ。
あの時代はあだ名で友人を呼ぶのが普通の事だった。その友人を、時々私はあだ名で呼んだ。
「放〇能〇ゲ」
とてもじゃないがまともに書ける代物ではない。全くデリカシーのない不埒なあだ名だった。今思えば大人が怒るのも無理はない。
「おいっ放〇能〇ゲ」
教室の入り口付近、私は何気なく本当にたまたま、目の前を歩いていたその友人を大きな声で呼んだのだった。何?と彼は振り返った。
その時だった。
私の頭蓋骨の頭頂部に真っ赤に焼けた火鉢がペタリ張り付いたかと思われるくらいの激痛がパシリと走った。何事かと、私はすっかりと驚いてしまい、反射的に両手の平でその激痛の走ったデリケートな部分を覆ったのだった。痛って~とひと言乗せて私は後ろを振り返った。そこには担任の海〇先生が、目を細めた能面顔で立っていた。右手には使い込まれてこげ茶に変色した1mの竹製物差しがふらふらと左右に揺れていた。どうやらそれが私のデリケートな部分を直撃したのは確かなようだった。ズッキンドッキンズキドキ痛む。
「何てこと言ってんの、ちょっと職員室に一緒に来なさい」
能面先生は冷静にそう言うと、くるり180度向きを変えて歩き出した。
そこから私は職員室の床に正座させられ、叱られた。人間の尊厳と流れる時間の価値観とこの時代の道徳心とやらをぐりぐりと耳穴から押し込まれそうになりながらも、私は耐え続けた。なんだよ、たまたまいつものように軽い気持ちで呼んだだけじゃないか、心の中ではそりゃあないだろと思いながらも、私は渾身の反省顔で渾身の反省態度を示し続けた。
その甲斐あって10分程でなんとか解放された。
教室の奥の席に座っていた奴は、職員室から帰ってきた私を見つけてにやりと笑った。やれやれ・・こんちくしょう。別にけんかをしている訳ではないが何だかしゃくに障る。私が悪かったとは微塵も思ってはいないが、今度からは周りをしっかりと確認してから呼んでやろう、そう思って自分の席に着いた。
次の授業は、この文集に乗せるための短文を書く時間となっていた。極めて不慮の、この不当な事故のすぐ後だ。そんな短時間で、先生に怒られた私の気持ちは沈静化してはいなかった。そして私は、ついつい、それを書いてしまったのだ。
冷静に考えれば後々残る事になるその文章を、その時の腹いせと軽いうけ狙いで面白半分に書いてしまったのだ。なんと浅はかでおバカなガキンコだったと今さらながら反省する。
この年になってからでは、大きな後悔としてジワリその場しのぎの悪乗りが身に染みる。
数十年ぶりで読んでの酸っぱい恥ずかしさ。こんなものは小さな過ちとして処分したくなるが、なんたって淡いノスタルジックな代物、やはり完品として取っておくべきだろうと処分は思いとどまった。それでいいのだ。
ありきたりな文言がその他もろもろ続くなか、Jは、と、行を進みそれを見る。
「宇宙人と手を組んでこの地球を救う」
素晴らしい、と思った。なんと壮大な未来予想図を書いているのだろう。やはりすごい奴だった、と感心する。小学生の頃は発明王であったことも思い出された。夏休みの工作で奴の右に出るものはいなかった。小6でのドライブゲーム、あれは傑作だった。缶詰を使った回転ドラムが素晴らしかった。
奴は現在行方不明だった。今から28年前、なんだかんだと理由を並べ立てて私から金を借りたはいいが、その夜に、女とふたり電車に飛び乗りいなくなってしまった。未だに連絡はつかない、が、探してもいない。すっかりとそんな出来事も忘れてしまっていたものだが、懐かしく思い出す。
この宇宙人の文章の事なんてJはとうの昔に、いや、それを書き終わった時にはもう頭の中には無かっただろう。そんな気がする、定かではないが、そんなもんだ。
Jはいったい、今どこで何をしているのやら・・・まぁいいかそんなこと、奴の人生だ。
おおっと、もうこんな時間になってしまった。
使えない雑貨達やその懐かしい冊子を元の段ボール箱に戻し、同じようにクローゼットの片隅に積んで戻した。また数年後、忘れたころに開けてみてはそんな思考をきっと繰り返すに違いない。それもいい時間だ
どうやら、外を濡らす雨は止みそうもないようだ、そろそろ買い物に出よう。

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