Column

第191話  受け入れて生きる

  グキッ。
瞬時に体内細胞を伝達して内耳に届いた不気味な音は、何の音だかは不慣れな体勢のなかでも容易に想像が出来ていた。
いったな・・・。
体は一度宙に浮いてから次に大きな雪のこぶに激突した。その時にそれを耳にしたのだが、その激突の反動で再び体は宙を舞い遥か下方に投げ出され、そしてぶざまに止まった。
それは急坂の真ん中あたりだった。
左右のスキーが絡まった歪な格好で斜面に転がっているのだが、例の不気味な音とは裏腹に不思議と体のどこにも痛みはなかった。やれやれ、それは良かったと思いながら体を反転して斜面の下側にスキーを持って行って立ち上がろうとした時だった。
左膝に激しい痛みが走った。
「やっぱり、やっちまったか」
いっときは、何事もなく済んで良かった、と思っていたのだが、やはりそう簡単にはいかない様だった。聞くだけでぞっとするほどの何かを無理やり引っ張りそして引きちぎったような音だったから、無理はないか。ここでスキー継続はあきらめた。
整形外科に行きレントゲン写真を撮ってもらったのだがどうやら骨には損傷が無いようだった。ただすでにまともに歩けるような状態ではないのでどこかが痛んでいるのは明白だった。
「靱帯が伸びたのかもしれませんね、電気治療とシップで治療して行きましょう」
靱帯とかもしっかり見て検診できる機械は無いのか、と疑問は残っているのだが先生がそうらしいと言うからにはしょうがない。ピリピリと電流が患部を走る機械で20分程、あとはシップをはってもらった。シップは1週間分もらったので病院はその一度きり。1週間もすると徐々に痛みも薄れてきたのでいち時的にやめていたランニングを再開することにした。走り始めにはやや薄い痛みはあったものの走っているうちにほぼその痛みはなくなった。アドレナリン効果か。これはいい調子だ、そう思って10キロを走りきることが出来た。
しかし、その走り終わってから再び膝が痛み始めてしまった。(まだ早かったか)
それから2日間はシップを貼って養生した。そのあとは、痛みが薄れるたびにまた走り、そしてまたまたシップで治療すると言った悪循環が始まった。
走ると走れるのだからしょうがない、そのあとが痛むにしろ。
膝をやってから4カ月、それなりに良くなっているかもしれないと自転車で十和田湖を回ってきた事もあった。その夜がひどかった。今までになく膝はひどく痛んだ。
それでもシップをして痛みが軽減すると翌朝はまたランニングで汗をかいた。
そこからだった、階段の上り下りにも支障をきたすほどの激痛が左ひざを襲った。
確実に悪化している様だった。
だましだましの連続で運動を続けてきたがとうとうここで限界を迎えたようだった。
そのうち時間と共に完治するだろうと甘く考えていただけにショックは大きい。
ここから考えを改めて、ひとつ治療に専念しなくてはならないとようやく決断が付いた。
あの時スキーであそこを滑らなければよかった、もしくは、その怪我のあとは何もしないで膝を治療しておけばよかった、そんな空しい後悔だけが空回りしてしまうが、ここが踏ん張りどころだ。ここまで強烈な痛みが続くのは初めての経験だった。
このままではまずい、正直にそう思った。
しばらくの間大人しくしていよう、でなければこの先何もできなくなってしまうかもしれない。やはり何をするにも膝は肝心だ。
今はただ歩くにも左ひざに違和と鈍痛を感じるほどに悪化させてしまった、怪我をしてから5ケ月が経つ、はたして完治できるのだろうか?不安は残る。
とにかく今は激しい運動は極力控えて様子を見よう、ただもしこのままこの痛みが残るようならそれなりにそれを受け入れた形で生活をしていかなければならないだろう、そう割り切ると心は少し軽くなった。
幸か不幸か今年は新型コロナウイルスの影響でかつて参加していたすべての大会が中止となってしまっていたから無理をして参加してさらに膝の悪化を招くことは避けられたかもしれない。

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