Column

第181話  大きな愛と深い絆

  定期的ともいえる夏のこの暑い時期に、青森から親子が訪ねて来てくれる。
数年前までは夫婦と姉と弟の、家族4人でみえていたのだが、ここのところ子供たちの成長に伴っての事なのだろう、父ちゃんと息子のふたりで来ることが常となった。
特にこの時期は子供たちの夏休みという事もあり車中泊での長旅の最終地点として寄ってくれることが多くなった。そんな過酷な旅だから女性陣にはやはり不評のようで、息子と父ちゃん、男同士の2人旅である。八戸での夜は、もっぱら種差海岸駐車場での車中泊。
駐車したその車の脇で、自前の調理器具を設置して唐揚げなどを調理しての夕食、夜風は心地よくふたりの間を通り過ぎる。
仕事が終わった私はスーパーによってそんな親子に簡単な差し入れを持って行く。
「ビールでも飲んでよ、それにTRA、これお菓子これ食ってゆっくり寝るんだぞ」
「うん」
TRAはにこりと微笑み、そして話を続けた。
「アカハラを取るのが目当てだったけどまだ取れてないんだよ」
「アカハラか、俺が小さい時はいっぱいいたものだけど今はなかなか取れないのか、そうか、じゃあ俺が小さい時取っていたところに行ってみる、ちょうど明日は休みをもらっているし一緒に行こうかな」
と私は言った。
するとTRAは張り切った声で「うん」と言い、となりの父ちゃんは「行きましょう」と笑った。
翌朝、7時集合。
朝市で賑わう舘鼻漁港広場と隣接する食堂で食事をした。日本一と言われているここの朝市には初めての立ち寄りとなる。噂にたがわずの数え切れないほどの出店数とごった返した人々の数にはやはり驚いてしまった。すごい賑わいである。今日は川の探索が目的であり、私達は食事を終えるとその朝市には寄らずに、そのまま昔懐かしい川へと向かった。
川はすっかりと様変わりしていた。
少年時代に見ていたあの脳裏に焼き付いた美しい姿はもうない。
当時は川をせき止め流量を調節するための大きな堰堤が川幅の半分程をしめ、あとの半分は蒲鉾みたいに半円錐型のコンクリートが堰堤の延長線上に向こう岸まで敷かれてあり、その上をなだらかに水が流れていたものだ。そのなだらかに水が流れ落ちる下方あたりには数えきれないほどのヤツメウナギがそのコンクリート壁に吸い付いていたものだ。
その堰堤から10mばかり下流には大小さまざまな丸みを帯びた石が転がり、その石の下や間にその「アカハラ」がたくさん生息していたものだった。
その堰堤が、今では取り壊されていて基礎部分の一部が川底に残っている程度だった。
私達はその堰堤あとの場所から川に入り、網で石の間や川渕に広がる夏草の下を網ですくいながら一歩一歩下流に向けて歩いた。親子は声を掛け合い楽しそうに網であたりをすくいながら進む。小さな魚が取れれば小さな手持ちの水槽に取り入れふたりで眺めては魚に詳しいTRAが父ちゃんに何の魚なのか教えている。60年代の自分を彷彿とさせる実にほほえましい光景だ。しばらく下流へと歩いて進んだがやはり「アカハラ」はいない。
私たちはここをあきらめ、場所を変えるために上流へと車を走らせ何度も挑戦してみたがやはり「アカハラ」に出会うことはなかった。時の流れは残酷な一面を持つ。環境の変化で「アカハラ」はどこか生息域を変えてしまっているのなら仕方がないが、人間による何かの悪影響によって全滅していたのならそれは許しがたい「何か」なのである。
結局、この日はとうとう「アカハラ」に出会う事はなかった。
ただ、それでも父ちゃんとTRAはいつも笑っていた。常に楽しそうだった。
そんな長閑ともいえる光景を目の当たりにして、私は考えてしまった。
私はこんな風に子供たちと接したことはあったのだろうか、こんな楽しい時間を共有したことはあったのだろうか、いや、どう考えてみても仕事にかまけて無かったはずだ。私には足りなかった大きな部分だろう。今更ながら深く思った。
そのあと3人で温泉で汗を流し、そして3人でドライブインで飯を食った。
実に愉快で有意義な時間だった。
この日が旅の最終日だった親子は、この後、長かった車の旅を終えるために家路に着くだろう。家についてその旅の荷物を下ろすことだろう。そして楽しかった話を親子4人で話しては笑い合う事だろう。なんてすばらしい光景だろう。
「アカハラ」はいなかったが、そこには愛のある平穏な日常が横たわっていた。
時間が合えば、またどこかの水辺で合流させてもらえれば幸いだと、しみじみ思った。

アカハラをとりたい
そういえばあの場所には昔昔、たくさんのアカハラを見たことがある。
何なら一緒に行こう
大きな変化が川にはあった。堰堤が無くなっていた、

この親子を見ていると深い絆を感じる

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