Column

第178話  芝を刈る

  当初、家の庭は、普段見慣れたものからかつて見たことも無かったような雑草類が生い茂る、まるで荒れ放題の場所だった。
ちょうど今頃、春を迎えた5月のこのあたりからそれらは一斉に地面を突き破るように顔を出し始め、あれよあれよという間にとんでもなく成長するのである。その成長の速さと言ったら尋常ではなく、2、3日もすれば庭全体の様相が全く違った景色へと変わってしまうほどだ。特にタンポポの成長はものすごく早くて、1時間ほど前に花を摘んでおいたにもかかわらず、そこにはまた新たな花が咲いているのである。その生命体の生ききる神秘にはすこぶる驚いてしまう。
なかでも、背の高い植物などは私の腰のあたりにまで伸びてくるので、放っておいては、端から見たらやはりみっともない。荒地そのものだ。そこで一念発起、私はガソリンでエンジンを始動するショルダー型の草刈り機をホームセンターで手に入れた。こんな強力なマシーンを買うのも使うのも初めてなのだったが、使ってみたらやたら面白い。いとも簡単に生い茂る雑草を刈ることが出来る。グィーングィーンとエンジンが回る回る、みるみる大量の雑草が刈られては、平らな地面が姿を現す。
作業途中からは、私は無心だった。何も考えずにただただ草を刈るのである。その爽快感はまるでジェットスキーで大海原を疾走してでもいるかのような風を感じる。
これはいい!そう思った。
それから私は、週一のペースでその草刈りを続けた。
集めた雑草は時折庭の真ん中に集めては焚火のように火をつけて処分した。草ぼうぼうのみっともない庭は普通の庭になった。3年程はそんなリクリエーションのような感覚でその草刈りを続けた。
4年目の春、やはりちょうど今頃の季節を迎えて一回目の草刈りに入った。
すると何だか少しばかりこの庭全体の様相の変化に気が付いた。昨年まで、あれだけ背の高さを競うように伸びていたイネ科のような植物はすっかりと姿を消していて、足首ほどの高さの雑草がほとんどを占めていた。しかも、それらを刈るとその下の方にはまるで芝のような背の低い草がびっしりと生えているのが目に入った。まさか芝?そう思ったのだがいつのも習慣ですっかりときれいに刈り上げたのであった。
それから1週間目、2週間目、3週間目と草刈り機で雑草を刈っていたのだが、徐々にその様相が変化していったのである。点々とではあるがある程度のエリアをその芝らしき草が再び伸びてはコロニーを形成しているのである。
私は、この変化にさらなる面白さを感じた。
そこで、今までは土が出てくるまで根こそぎ草を刈っていたのだが、この背の低い草は残すようにして、ある程度の高さを維持して刈るようにした。
数日して、私は目を疑った。
その背の低い草は勢いを増してそのコロニーを増大させいていたのである。
かつて、乱雑で大雑把な草刈りがこれを機に4㎝ほどの高さの草を残しながらの繊細な草刈りへと変わった。ただ、このエンジンを擁した草刈り機ではあまりにも繊細過ぎて難しくなっていた。とてもじゃないが神経を使いすぎて疲れてしまう。
そこで、何かいいものはないかとインターネットで調べてみると「BOSCH」で出している芝刈り機が眼に入った。それは充電式の小型の物だしもってこいだった。エンジン付きの大きなものではここでは余してしまう。早速それを購入した。
刈る場所によって、3㎝から4㎝の高さを設定して幅40㎝ほどの幅で草を刈ってゆく。これはこれでなんだかおもしろい。よくゴルフ場でのテレビ中継で目にする芝地の縞模様的なラインが美しい。エンジン付きとは違った楽しさを見出した。
それからは、あれよあれよという間に庭の様相が変わっていった。
やはりそれは芝だった。
植えたりしたことはなかったので、自然に生えてきたものだった。
そんなこともあるのだ、と感心した。
それからはこの季節になると1週間から10日に1度のパターンで芝刈りをする。
5月から10月の間の約6ケ月間このパターンは続く。
多少面倒な時もあるが、やはりこの芝の育成形態を維持していく為には続けなければならない義務を感じる。もうあれから何年たつのだろう、じわりじわりと成長を続け、今では庭のほとんどがその自然発生した芝で埋め尽くされている。
もちろん今もコツコツとその芝刈りを続けている。
ざっくりと伸びた芝をきれいに刈り上げて終わり、額の汗をぬぐう。夕方だが日はまだ高い。
空を含む全景を見渡し、先ほど冷蔵庫から取り出してきた冷えたビールを乾いたのどに流し込む。ゴクンゴクンとのどが鳴る。
それは至福のひと時である。

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