Column

第174話  兆しが見えた時

  新しい年が始まった。
新しい年が始まったとは言っても仕事柄1月1日に一日だけ店休をとる程度で、年末からの流れを大きく変える出来事はいつもながらない。1月2日に始まる初売りの準備に勤しみそしてその初売りに注力することになる。昨年からの一年間の締めくくりが決算期である今月であり、年明けのこの数日が大きな山場なのである。決して気は抜けない時期。
一年に一度だけ店自体が休めるその日を大事に過ごし、そして新たな年と共に仕事が始まっていく。それは大きな締めくくりの数日でありまた、新たな始まりの数日でもある。
例年のごとくその数日は大切な儀式のように過ぎていく。そして新年から一週間ほど経過するとやや落ち着きを取り戻した日常が、ついにやってくる。ここでひとまずホッとすることが出来る。目の前に聳え立つひとつの山を乗り越えて足元に転がる座りよさそうな岩に「よっこらしょ」と腰を下ろした感じ。ただ、近頃、いつもよりもこの「よっこらしょ」が重くなっているのは否めない。体の芯が重たくなっている。
明後日は今年初の個人的連休をもらえる予定になっていたので、たまたま来八中の友人と夜の街に食事に出ることになった。正月も過ぎた街は大きな賑わいも過去と消え去り見慣れたいつもの様相のなか緩やかな時間が流れる。酒が進むにつれて気が緩みつつある私は、ついつい度を越してしまった。途中合流した友人と3人、明け方までも突き進んでしまう。
今思えば、これがいけなかった。
明け方の街角、皆と別れたところまでは良かったが、駐車場で運転代行を呼んだのだが、なかなか来やしない。冷え切った車は想像以上に寒かった、が、それでも酔いのまわっている私はウトウト、1時間ほど待っただろうか。ようやく来てくれた運転代行で帰宅。
翌日はひどいものだった。二日酔いそのままに出勤し、まだまだ頑張らなければいけないその日を過ごす。やることはやらねば。ようやくその日の終了がやって来た。年始からの継続勤務と今朝方から続いた二日酔い、そして背中に背負っていた重荷からの一時的解放に一気に気が緩む。
そんな日は危険だ。
家にたどり着いたとたんに体が震えた。いつもと違う得体のしれない恐怖にも似たひどい寒気。背骨の髄に氷でもはっ付けられたような激しい悪寒。
嫌な予感・・・は当たるものだ。
明日は待ちに待った休日、今季初のスキーも視野に入れていたのに、無駄にするわけにはいかない。私は早めに休むことにした。
目覚めた翌朝、すでに私は立ち上がる勇気さえ失った病人と化していた。
布団をすっぽりとかぶっているのだがその中をまるで隙間風でも通っているかような切ない寒さで体が震える。かつて経験のないほどに熱が上がっているのかもしれない、そう思った。寝返りを打つのにも一苦労するほどに体は鉛のように重く、すんなりとは動かない。まさかインフルエンザか?かつてのいやな記憶がよみがえる。あの一週間はひどいものだった。
とにかく病院へ行こう。
そう決意したものの、体を起こすことが出来ない。これは先のインフルエンザの時でも感じたことのない悪化の程度だ。あの時はふらつきながらもすんなりと病院へは向かえたものだ。いったいどうしたというのだ。私は戸惑った。そこでこのままもう少し様子を見ることにした。どうやらそれしか方法はなさそうだ。この状態での車の運転はとても無理だろう。
じっとすること数時間、あたりはうっすらと暗やみ、とうとう夕方になってしまった。休日の一日は棒に振ってしまった。

このままではいけない、とうとう私は立ち上がることを決意した。
視野に入るものはすべてがぼんやりと遠くに見える。まるで私が巨人にでもなったかのように視覚が怪しい、そして軽いめまい。立ち上がった私はダウンジャケットを手に取った。
ゆっくりと車で走り出す。
「風邪ですね」病院ではそう言われた。
どうやらインフルエンザではないようだ。ひとまずホッとする。薬をもらって帰宅。
それからが大変だった。
全く食事が喉を通らない。化学調味料と塩分の味覚が過敏になっている。すべての出来あいのものからインスタントまでしょっぱくて食えない。うどんのスープを倍に増やしてチャレンジするも吐き気がするほどにしょっぱく感じて口にはできない。初めての経験だった。
もともと薄味好みの私にとってとても耐えがたいしょっぱさはその刺激が脳に残り、飲み物と果物くらいしか口にはできなくなっていた。
4日ほど食事を抜いた日、ふらつく体をおして再び病院へ向かった。点滴を打ってもらうためだ。このまま食事が出来なきようでは体がきつい。治るものも治りが遅くなる。
点滴で随分と体が楽になった。しかしそのあともやはり食事は喉を通らず苦戦、味覚が元に戻り、まともに食事が出来るようになったのはそれからさらに1週間がたった後だった。
数時間早めに帰宅させてもらっていた木曜日の夜の「ケンミンショー」を見ていた時、テレビ画面に「びっくり亭」の焼肉が登場した。キャベツたっぷりの豚肉こんがりなやつ。
ここのところ何日もろくに食物を口にしていなかったし、口にする気にもならなかった私が、この料理を見た瞬間に「食いたい!」、そう思ったのである。これならいける、と素直に感じた。どうやら今これを体が欲しているようだ。
早速スーパーへと買い出しに出掛けた。
同じものを作るのは無理ながら、それに似た料理なら何とかなるだろう。
キャベツと豚肉とニンニクとスタミナ源たれの相性は抜群だった。
しっかりと食えた、久しぶりに腹いっぱいを感じた。しょっぱさ加減もほどほどに吐き気もない。これなら栄養を摂取できる、ちらりと治る兆しが見えた。
これをきっかけに食欲が出てきた私は、徐々にではあるが体調を取り戻すことが出来た。
ネットで「びっくり亭」を調べてみる。
残念ながら福岡での店舗展開のみだった。ケンミンショーの登場人物皆が絶賛していた本物をぜひ食べてみたい。しかし、九州は遠すぎて今の私にはかなわない夢物語。
が、やはり一度は本物を食べてみたい、そう思うと居ても立っても居られない衝動に駆られる。私の生きる力を取り戻すことが出来た一品。
いったいどんな味なのだろう、夢は膨らむ。

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