Column

第173話  平成のなかで

  平成という唯一無二の時代、その最後の12月を過ごしている。
来年のその時が来れば新しい年号と入れ変わる。
今は平成30年、この店はその年号と共に歩んできたと言っても過言ではない。オープンしたのは昭和の最後の方で昭和62年(1987年)。昭和64年が昭和時代の最終年であり平成の初年度でもあるから、ほぼほぼこの平成で今の形を形成し営業してきた。
大きな地震には3度も遭遇し大きなダメージを負いながらもこの街は再生しそして歩みを続けてきた。平成中期、郊外に大きなショッピングモールがあちらこちらに乱立すると、人々の流れは必然的に繁華街を素通りさせられ、そちらへとなびかせられて行った。商業的に大きな変革と言っていい。そしてそのショッピングモールは平然と正月元旦から営業を始めた。それまではあらゆる商店が元旦は休店していて繁華街は年に一度の閑静を楽しむように音もなく落ち着きはらい、もちろん車なども走っていなかったほどで殊の外静かに過ごす一日であった。が、そのせいで雑踏があたりを席巻しその伝統的体系も壊れ去ってしまった。今や街の休む時はない。
この店も2度移転した。
オープンして10年が過ぎた年に一度目。
戦前の建物だったその店舗の老朽化が激しく、大家が建て替えを要望したからだった。確かにそうだった。建物全体は緩やかに左に傾き玄関ドアの枠はゆがみ、1階と2階を仕切る引戸は開閉のたびにギシギシと歪な音を発した。私は2年の猶予をもらい移転先を探し続けた。1年半が経ったころになってようやく納得のいく物件が見つかり、そして移転することが出来た。出来ればそのままその場所で営業できるのであればそれで良かったのだが仕方がない。
新天地へ移転してから14年経ったあたりに2度目の移転を決意した。
先に記した、ショッピングモールがさらに隆盛を極めている頃だ。それまであれほど賑わいを見せていた街の中心商店街はすっかりとその地位を失い意気消沈、人々が車で郊外店へと進路を変更してしまったあたりだった。時代の流れ、人々はそう口にした。
歩いての来店客はほぼ姿を消した店、車での来店が全体をしめるようになった。そうなれば今よりもスペースのある駐車場が欲しい、私はせつにそう思った。
そこで私は、やはり2年の歳月をかけて移転先を探した。
ようやく見つかったのが現在の青葉の店舗である。ここではそれなりの駐車場が確保できた。希望に満ちた物件だった。だが、初めて繁華街と呼ばれるエリアからの脱却であり、大きな不安がどうしても付きまとう。郊外と呼んでもいいこの場所まで果たして皆足を運んでくれるのだろうか?と。
しかしこのまま何もしなければ先々難しくなるのではと感じていた私は、やはり前に進んでみようと決断した。
その新店舗の改装中だった。突然、地面が大きく波打った。東日本大震災がやって来た。
東北地方が日本中が大混乱に陥った。ここ八戸はさらに大きな混乱の真っただ中に佇んだ。
3カ月、静かに時を過ごした。
そこから復興の勢いが激しく立ち昇り、みるみると街が人が空気が変わった。
それから8年が経った。長いのか短いのかよくわからない。しかし震災の影はやや薄れ街は随分と落ち着きを取り戻した。
そして今、その平成が終わろうとしている。30年、ありとあらゆるものが進化し大きく変わった。これからもますます進化の度合いは速度を増し想像以上な世界へと変わっていくことだろう。頼もしくもあり、また、怖くもある。
私もそろそろといい年になったものだ。

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