Column

第161話  近頃もっぱらNHK

  テレビ依存症と言っていい私。
ピピッピピッの目覚まし音でぼんやりと目覚めた瞬間にテレビのスイッチをオンにする。スイッチの入ったテレビから流れ出る音声が、何やらピーチクパーチクと曖昧につぶやく中で徐々に覚醒していく。テレビはかなり低いボリューム設定にしてあるから体に無理な負荷がかかるでもなく、起き掛けの血圧に急激な変化を及ぼすことはない。そろそろ急激な刺激は控えなければいけない年ごろになっているからこの辺は気を付けなければいけない。静まり返った何もなかった暗い空間から、色の飛び交うにぎやかな空間へとあたりが変わっていく。
就寝時にはオフタイマーをセットして、眠りに落ちてからテレビが消えていく設定。だから起きている間は、家の中のどこかでテレビが画像を映し出し、そして誰かの声がしてそれぞれの番組音楽が流れている。どこかで何かが動いている世界に身を置いている安心感がある。
そんな私の中に趣向的変化が現れたのはここ4~5年前か、あれほど見なかったNHKが今はメインとなっている。意図的ではなくチャンネルを合わせる機会が少なすぎたために目にする機会も必然的に少なかったNHK。今では、あれこれチャンネルを変えてみて、それぞれのやっている番組をチェックしているうちに最後に落ち着くのがNHKとなってしまった。ニュース番組に目を通すようになってきたのも大きな要因の一つだ。以前はそれほど見ることもなかった分野だが、芸能スキャンダルニュースにそれほど興味を持てない私にとってNHKニュースはうってつけだ。
「朝ドラ」も気の合うやつは連続で見ているので朝の14分間も大事なところだ。「サラメシ」での弁当はいい、特に手作りの卵焼きが入っているだけで私の胃を刺激する。ネイチャーものに旅ものそのほか落ち着いて見ていられる番組の多さはやはりピカイチだ。
そして、なんと言ってもCMを無理やり見せられなくて済むのがいい。
番組のクライマックス、いいとこの前には必ずCMを割り込ませてくるあのシステムはノーサンキュー。そしてそのベストタイミングでのCMタイムの長い事、民放の生命線と知りつつも辟易とする。
思えば、幼いころ祖母はもっぱらNHKにチャンネルを合わせていたものだった。そしてとうとう私もその年代に突入してしまったのだろう。民放で見たい番組が少なくなったというのも年のせいなのかな?と思ってしまうのだが、やはり嗜好が変わってきているのも確かなことなのかもしれない。
今年の暮れも、紅白歌合戦を堪能しながら一杯飲んで、ゆく年くる年の除夜の鐘の音を聞きながら静かに年越しの夜を過ごしたいものだ、そうそう、きわめて普通に。

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