Column

第157話  トライ

  チュンチュンチュン。
開け放った窓の外から雀の声が聞こえた。
今ではなれないそば殻の枕に頭をのせた格好で目を覚ました私は、昔のように慣れればこの枕もなかなかいけるかもしれない、と思いながらむくりと起き上がった。幼い時代皆こんなシャラシャラと音のする硬めの枕で眠りについたものだ。
昨夜の天気予報では曇天の予報が出ていたが、どうやらそれより天気はいいようだ。
本日初めてのトライアスロン挑戦、友人のS氏と一緒なので心強い。

ウェットスーツに身を固めた私たちはスタート地点である海の中で時を待つ。コースは決められた周回コースを2周半。
「ドッカーンかピーか・・・」忘れたが、その合図で一斉にスタートを切る。
私は海の中での混雑&バトルを避けるために最終組でのスタートを選択した。初めての挑戦であるため、とにかく安全第一、無事に泳ぎ切ることが必須である。
それでも方向性をなくした選手たちがからむからむ、前を横切るサイドに引っ付くで、まともに泳がせてはくれない、挙句私自身も沖へ向かっていたりと混戦ハチャメチャである。コース上の浮きではなく遠くにあるテントやテトラポットの端っこなど自身の決めた目印を2かき3かきに1回は確認して泳がなくてはまっすぐには泳げない。
なるべく人の少ない外側のコースへと移動した、多少の遠回りは致し方ない。今の私にとってそれがセーフティーエリアであり、自由に泳げるエリアでもある。
体はかるい、タイムを競っているわけではないので自分のペースでひたすら泳ぐだけだ。一周をクリアすると随分と選手たちもちりじり、泳ぐにしても楽になってきた。
あとはこのペースでスイムのゴールを目指すだけだ。
この2週間前、私はS氏の地元である鎌倉へと足を運んでいた。
彼の家の前に広がる穏やかな湘南の海を練習のために泳がせてもらったのだ。その海に入りそのまま沖へ出てそこから江の島に向かって泳いだ。往復5㎞、途中熱中症っぽいほてりの症状が出てきて焦ったが、ウェットスーツの中に海水を入れ込むことによって難を逃れた。ちょくちょく海水で体を冷やしてひたすら泳いだ。泳ぐこと2時間13分、ようやく元の場所に帰ることが出来た。私自身、泳ぎとして最長の距離となった。
帰りの新幹線では席に着くなりぐっすりと眠りについた。

それが自信となっていた。
決して早いとは言えない泳ぎだが、堅実に前へと進んでいる、それで十分だ。
2周目に入ると人々も散らばりあたりを気にすることもなく泳ぐことが出来ていた。あともう少し、ラストの直線である。
そこで声をかけられた。
横を見るとS氏が泳いでいた。どうやらほぼ同じペースで泳いでいたようだ。そのペースでやはりほぼ同時にスイムをゴールし、そしてバイクへと進んだのである。
バイクでは完全にトレーニング不足が露呈した。
ほぼひとりで自由気ままに走っているだけのトレーニングではロードレースでは通用しない、今回走っていて得た教訓である。
それでも懸命にペダルをこいだ。2㎞ほど続く坂道でも懸命にこぎ続けた。
驚いたのはS氏の脚力だった。
勾配10%の登りをいとも簡単に笑顔で登っていく。明らかに脚力に差がある。彼は鎌倉での練習では自転車仲間と競い合いながらのロードをこなしていると言う。そんなトレーニングをしている人間にかなうはずはない。それでも自分なりになんとかこれを登り切らなければならない。歯を食いしばり、そして何とかクリアできた。
あとはトランジットスペースに帰るだけだ。
ほっとしたのもつかの間、帰りのコースは皆さんとばすとばす、全力でタイムを短縮しようと懸命である。途中まで一緒だったS氏の脚力にはやはり及ばずジワリと距離が離れていく。仕方がない、これが今の私の実力である。いつの間にかS氏の背中が視界からなくなってしまった。しかも次々と後続車に抜かれていく。
腰に痛みが走る。この前傾姿勢のせいだ。わかってはいるがこの姿勢を崩すわけにはいかない。へなちょこなりに頑張ろう。
トランジットスペースに到着するまでに10人ほどにぬかれた。明らかに私より年上の方々に見えたが、驚きの体力である。軽々と一陣の突風のごとく抜き去っていく。
悔しさは今のところない、潔いものだ。
あくまで自身のペースでこぎ続け、やっとバイクのゴールが近づいた。

ヘルメットをメッシュキャップに変えバイクシューズをランニングシューズへと履き替えた私は、ついに最終競技ランへと突入したのである。
ランスタートの海岸ラインを抜けるといきなりの登り坂が姿を現した。この先どうなっているのか全く分からない未知の坂道。ここにきて今朝方起き掛けにつった左足のふくらはぎが、あろうことか容赦なくつった。
痛てーーーーーーーーーーー!
しかしこれがラストの競技だ、行くしかない。左足を地面に着くたびに激痛が走る。
なにくそ。
しばらく走っていると前方にS氏の姿が確認できた。歩いている、どうした、故障か?
昨夜、2日ほど前の練習中に痛めたと言っていた右太もも裏の故障が、この状況下で出たらしい。それではまともに走れるわけがない。そこで彼は走ることをあきらめ、歩くことを決断していた。
リタイヤせずゴールを目指す、英断と言っていい現実である。
私は一声かけて、そのまま走ることを伝え、そして登板を続けた。「走る」とは言っているが、私とて限りなく「歩く」に近い走りである。
なぜなら、この登り勾配がなかなかのきつさなのである。
スタートすぐから登りはじめ、登板途中いったん左に折れると長い下りが続いた。この、途中での長い下りがあるという事は結局、この長い坂道を折り返してくることになる。なんと、2回の折り返し設定を有するこの難コース。一回目のおり返し地点を折り返すとやはりのきつい登りである。ヒーヒーハーハー走ってはいるがサイドを過ぎ去る景色は歩いている時と変わらない。エッサカエッサカ、先ほど左に折れた分岐地点にたどり着くも、そこは本当の折り返し地点ではないことを察知しているだけに心が重い。そこをさらに左に折れてそのままさらに登り続ける。
これほど長く勾配のきつい登りをかつて経験したことはない。登っても登ってもまだまだ真の折り返し地点は姿を現してはくれない。
左足は痛すぎる、右足の膝にも痛みが出てきた。「まだかよーーー!」心の声がほとばしる。すでに私の足は走っているという感覚を失い、ズギンズギンと痛みだけが脳天を貫く。
そんなギリギリの状況の中、やっと見えてまいりましたの折り返し地点。
その大きな鉄塔を目にして正直ほっとした。ゴールまであと5㎞ほどの距離が残るものの、このきびしい登りが、もう終わりと思えるだけで心が緩んだ。あとは下りだけだ、ゴールまで下りが続くだけだ。5歩ほど前方の地面だけをを見つめてひたすら痛みに耐えて足を運んだ。
ちらり前方に目を向けてみると、年のころは60歳後半くらいか、すでにおじいさんと言える年齢の方が苦悶の表情で歯を食いしばりながらこのきつい登りを一歩一歩駆け上がってくるのが見えた。その勇敢な姿に感動を覚えた。助けてやりたいという感情が芽生えたが、はたから見たら、私も同じようなものなのかもしれない、そう思えた。
「おとうさん、がんばれ、もうすぐ折り返す」
そう心で叫んで、再び路上に視線を移しひたひたと走り続ける。
左足の痛みは ピークを迎え左足を引きずりながらのランになる。あともう少しあともう少し、自身に言い聞かせて進む。
やがて海岸沿いにたどり着き、目前にゴールテープを掲げてくれている津軽女性がふたり。こんなに遅くにここにたどり着いているにも関わらずに、ゴールテープがしっかりと張ってそこにあることにはうれしさがあった。
「やったー」
とうとうゴールすることが出来た、完全に全身の力が抜けた瞬間でもあった。
ここで、左足は完全に死んだ。
もう全く普通には歩けなかった。
そのあとあの必死の形相のお父さんがゴールしてくれた、ほっとした。そしてその数分後、足の故障で歩きを余儀なくされたS氏もゴールしてくれた。
良かった、S氏の無事な姿を見て私たちのこのチャレンジは成功だったのだと実感することが出来た。鯵ヶ沢よ、そして津軽の心優しい人々よ、本当にありがとう。
「来年絶対また来るよ、リベンジだから・・・」
帰りの車の中でS氏は言った。
もう絶対に出ない、こんな過酷なレースはこりごりだ、この時点までそう思っていた私の心がその言葉で揺らいだ。
「そうですね、またやりましょう」
足が完全に蘇ったのは、それから2日してからだった。

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