Column

第156話  どうにもこうにも

  友人が突然と痛風にかかった。
酒好きでうまい物好きで運動不足、当然と言えば当然の成り行き。
それを耳にした私、多分持ち前の過敏神経が精度を増すのか、あちらこちらが異常に敏感になる。歩いていても運動していても、のんびりと横になっていたとしてもぼんやりとした痛みを、その友人が患っているという箇所に感じてしまう。たまたまそこがピリリといつもより痛み出したしたものならさあ大変「まさか!」なんて思ってしまい、大事になる前に見てもらおうと病院へと足を運ぶ。たいがいは「大丈夫ですよ」で素直に帰路に着く。
頭痛の時だってそうだった。
めったに頭痛のない私、それが2,3日、頭の芯にぼんやりとした痛みを感じているときがあった。風邪気味かなんかだろうと軽く思ったときはそれで何事もなく済むのだが、この痛みはやはり何かある「まさか!」、そう思い込んだら止まらない。
病院に行って診察券を出し、待合室のベンチに腰掛ける。
病院という、まるですべてを包み込んでしまう慈愛に満ちた安全地帯のような雰囲気に触れたところで、ふと想う。
「あれっなんだか痛くない」
さっきまでそれなりの痛みを感じていたのに、不思議と痛みは綺麗さっぱりと消え去ってしまっている。「これではわざわざ病院に来た意味がないではないか、これから診察してもらわなければならないのに、なんなら少しばかり痛くなってくれれば」なんて思ってもしまう。それでもここまで来ているので検査に時間を費やす。
結局、何もない。
無駄な時間の浪費は体の不調ばかりではない。
家を出て車で走り出す。しばらく走っていて何かの拍子にポンッと出る悪夢なフレーズ。
「あれっ玄関のカギ閉めたっけ?」
その思いが不意に浮かんでしまったら、もう居てもたってもいられない。
鍵を閉めたはずの自身の映像を頭の中の記憶ファイルから検索してみる。過去の数々の流れから考えてみても間違いなく無意識に鍵は閉めているだろう、が、記憶ファイルの中にしっかりと鍵を閉めている映像が見あたらない場合はやはり戻るはめになる。確信を得るためには確かめる必要が生じる。ほとんどの場合、戻ったところで鍵は閉まっているのだが、「まぁいいか」とまではいかないジレンマ。
ガスの元栓もその無駄な時間の浪費の一つであった。
しかし、ガスの元栓に関しては指差しナンバリング確認によって今は解決済みである。家の中の確認重要箇所は17、その中の一つにそのガスの元栓が入っているために、いちどすべての確認が済んだところでひと安心、そして玄関を出る。ここで家の中は完結し不意に不安箇所が持ち上がることはなくなった。
しかし、削減されたものがあれば、これまた無情にも増えるものがある。
それは店の小さなキッチンにある小さな冷蔵庫。
上部が冷蔵でその冷蔵庫の3分の2を占め、下部の3分の1が冷凍のツードアハンサム。
(冷蔵のドアは通常の開閉式であり、冷凍のドアは引き出し式)
ある冬の寒さの厳しい日、私は昼に買ってあった何かを冷凍してあり、仕事終わりに下部のドアを引き出してそれを取り出し、そして単なる一連の動作としてそのドアを押し閉めた。
翌日のオープン前、冷蔵庫からカンコーヒーを取って来ようとキッチンに入ると、なんとその冷蔵庫の上部のドアが開いていたのである。
「なぜだ?」
まだ誰も来てはいないし、冷蔵庫のドアが勝手に開くはずもないだろう。今は冬だしこうして冷蔵庫のドアが開いていたとしてもモーターがフル回転で中を冷やそうと頑張ることはないだろうが、もしこれが夏なら大変なことになるだろう。
私は原因を考えてみた。
昨日、私は冷凍してあったモノを取り出すために下部のドアを開けてそして閉めた、それだけだ。開いていたその上部のドアを閉めた私は、昨日のように下部のドアを引っ張りだし、そして押し込んでみた。
するとどうだ、下部のドアが閉まった瞬間に上部のドアが開いたのである。
「えっ、なになに?」
かつて経験のない出来事であった。何度やってみても下部のドアを閉めると上部のドアが開くのである。構造上の欠陥、奮発しても日本製にしておけば良かった、と思ったっていまさら後の祭り。
それからだ、帰り際に必ず冷蔵庫のドアがしっかりと閉まっているかの確認というひと仕事が増えたのは。
仕事終わりの車の中、「あっ」と冷蔵庫の確認をしてなかったことに気づき「開いてたらどうしよう、いやいやまた無意識のうちに確認して閉まっていたはずさ」の葛藤もむなしく何度か戻ったこともあった。
暗い階段を登り静まり返ったキッチンの冷蔵庫のドアを確認する。
いやはや、どうにもこうにも、曖昧模糊が止まらない。

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