Column

第155話  傘がない

  初めて陽水の楽曲を耳にしたのは中学2年の蒸し暑い夏の日だった。
強い日差しに照らされた校庭からの照り返しとは対照的に玄関先から薄暗い20メートル程の廊下を進んだところにある1組の教室。
クーラー設備などなくジリジリと温度が上がり続けている昼時給食の時間、この時間は曜日担当の放送部員が好きな曲をかけてもいいことになっていた。
普段は当り障りのないクラッシック系やインストルメンタルが主流でBGMとしてただ単に流れていた。なんとなく和やかに聞き耳を立てることもなくその時間は過ぎていた。
ただこの日は違った。
「都会では、自殺する・・・・」
なんだこの歌詞として聞きなれない単語は、そして物悲しい曲調となぜか都会的な響きは、それらは真新しい体験として私の貧素な感性を刺激した。
次に流れてきたのは「父は今年2月で・・・・」だった。
給食のマカロニサラダの中に入っている、混ざると苦手なリンゴの欠片を取り除きながら、はたと聞き入ってしまった。確かにそうだ、などと思った。
なぜか涙がこみ上げてくるのを感じた。
こんなところでそんな醜態をさらしては今後の中学生活にかかわる、私は唾をのみ込むようにそのあふれ出そうとする涙をのみ込んだ。
なんとかその厄介な時をやり過ごした放課後、放送部のHにそれとなく尋ねた。
やつは「井上陽水」だと教えてくれた。
それからだろう、この時期フォークにはまったのは。
家にあったクラッシックギターを片手にひとりポロロンとコードをひいては歌詞をかみしめその世界感に思いを巡らせた。吉田拓郎にかぐや姫なども聞くようになり、当時ソニーから発売されていた通称「デンスケ」という高性能なカセットレコーダーを、Jが買ってもらったらしいから、などと方便頼み込んで買ってもらい、夜のしばらくの時間をヘッドホンの中で過ごした。
当然のごとくテレビやレコード、カセットテープでしか知らないそれらのアーティストの人々。ライブでの演奏を目にも耳にもすることもなく時間は過ぎたが、それはそれでよかった。音楽の中に閉じ込められた瞬間〃の思い出の輝きは変わることはない。
高校生になり、もっぱらロックに目覚めた私は徐々にそのフォークから遠ざかっていった。
ギターもクラッシックギターから黒のレスポールへと変わっていた。
あれから数十年、大きな時間が過ぎた。
還暦をゆうに超えた陽水が目の前でギターを演奏し昔と変わらない張りのある懐かしい声で歌っている。
大舘市民文化会館。
ウイークデイでの私の休日、ちょうどチケットも取れて最前列から11番目、3時間にも及ぶ素晴らしい時間を過ごさせてもらった。
アンコール後のラストソング、それは私が陽水の楽曲として初めて耳にした「傘がない」だった。スタンディングオベーションはしばらくの間続き、そして静かに幕が降ろされた。
良かった、と思った。
懐かしさの余韻にたっぷりと包まれた私はしばし立ち上がることも忘れ暗いステージを見つめていた。スモークが不思議な空間を未だ演出している。
初めての大館市、たまたま隣り合わせた大舘の方A氏、意気投合した私たちは老舗の居酒屋で一杯、杯を交わした。陽水が結んだ縁だ。
深夜0時、早朝たたなければならない私はその事を告げて解散することにした。
「1000円くれる?あとは私が払っておきますよ、あなたもただって言ったらいやでしょ。それならいいでしょ。」
粋な人だ、せっかくなので私はその言葉に甘えることにした。
支払いを済ませてその居酒屋を出ると、ポツリポツリと春の雨が路面を濡らしていた。
「ご馳走さまでした、またいつか機会があったらお会いしましょう」
そう告げて頭を下げた。
傘はないが、ホテルは近い、私は小走りでそこへと向かった。

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