Column

第142話  爆音菓子

  児童でもスマートフォンを巧みに使いこなすこの時代においても、小学生で賑わう駄菓子屋がテレビ画面を潤す。
「なつかしーな、まだあるんだ」
すでに遠い過去のものと思い込んでいたそんな伝説的な店構えの存在と、その店内が子供達でごった返している様子に私は驚きと共にうれしさを覚えた。時代を経ても変わらない。
昭和中期頃の私、小学校からの帰宅後、ランドセルは居間の床に放り投げ、祖母からもらった30円のこずかいと小さな希望を握りしめ、日の射す表の世界へと一目散に駆け出したものだ。目的はいつもの駄菓子屋だ。いつもとは言っても2件の得意先をもつ私にとって、その日の気分でどちらかを決める。子供たちのパラダイス。
ひとつ5円から30円位までの商品で店内は隙間なく埋め尽くされている。もっぱら私は5円の物を交えたりしながらの基本10円の商品の3、4点買い。やはり数が欲しい。
景品のあたるクジもたまに引く。スカしか当たったためしはない、が、やはり豪華な景品に目がくらんでついつい引いてしまう。止めれば何か一つうまいものが口にできるのに、と思うのだが後悔先に立たずとはよく言ったものだ。
ハッカのしみ込んだ噛む紙にヨーグルトの小さいバージョンなら2個で10円、黒砂糖をまぶした腑菓子は大きくて食いごたえがあった。なかでも必ず買ったのは糸の先に大小の三角飴玉がついたやつだ。束ねられた糸のなかから一本だけを引く。
するすると引かれたその糸の先にはイチゴ味の赤い三角の飴玉がついてくるのだが、数え切れないほどの回数引いてはいるが、大きな飴玉に当たったことは数えるばかり。幼心に「これはあやしい」、そう思ったものだ、が、また次の日懲りずに引いてしまう。
その番組で触れる事はなかったのだが、私の想い出のなか深く残っている菓子がある。それは「ポンせんべい」だ。
私の祖母の家の2件どなりにその「ポンせんべい」の店があった。そこは「ポンせんべい」の専門店。当然店のなかで作って売っている。粒状のものもあったがメインは丸く形成されているやつだ。
店内奥に置かれた年代物の大きな鋳物の圧力窯のような機械が、数十分おきに大爆発を起こす。それは、熱した窯の圧力がピークを迎えた時にその圧力を解き放つ時だ。その爆発のパワーたるやものすごいもので、戦車がぶっ放す大砲よろしく「ドッカーン」と四方に響き渡る爆音のたびに、祖母の家も私も大きく揺れた。当時、その爆音でショック死をした人までいたらしいからたまったものではない。今では考えられないほどの御近所大迷惑商店である。
だが、当時ではそれが日常であり風物詩的存在で、だれひとり苦情を言う者などいなかった。素朴で極めて健康的なおやつ「ポンせんべい」。
今もどこかの街の片隅で、「ドッカーン」と爆音を響かせているところがあるのだろうか?
もし今、どこかの街中で、不意にその爆音に遭遇したら私の心臓はきっと悲鳴をあげるかもしれない。店があるのなら、よく場所を把握し心の準備をしてから行ってみたいものだ。

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