Column

第136話  老人と事故

  片側2車線路のセンターライン側を走行している私。
市街地を貫く幹線道路だけに走行する車の数は多く、当然の事だが私の車の前後左右にも車は存在するし対抗車線側にもすれ違って行く車はぞくぞくとつづく。渋滞とまでは言わないが、一定の車間距離を保ち一様の速度で走る。
ちょっとした路面のアップダウンに道なりの湾曲はどこにでもある光景、視界に入って来たこの先の道はなだらかな右カーブを描いている。
等間隔のとても自然な車の流れのなかの一員として私の車もそれに従い右へとゆるやかに進路をとる。私の車の左側、アウトラインを走るワゴン車がなんだか近いように感じるがまさかぶつかる事はないだろう。
そう思ったわずかの間だった。
「ガチャン!グワ―ン!」
何かの破壊音と同時に車体に衝撃が走った。
例の左側を走行中の車がラインを超えてふらふらと方向性を失った感じで、私の車に接触してしまったのだ。
(おいおい、これから温泉に行くところなのに、なんてこったい。)
これからあるだろうなんやかんやのわずらわしい時間を考えると憂鬱になる。
当然のように接触してきた車は路肩にそのまま停車するだろうと思い、私も左車線に移ろうと減速した。が、しかし、その車は減速するどころか何事も無かったかのように走り続けている。(えっ、逃げる、の?)
常識を蹴飛ばす違和感を覚えた私は再びアクセルを踏み込んだ。
速度を充分に上げた私はその走り続ける追突車に追いつき、そしてその車を留めるべくその車の前方へと進路を変えて減速したのである。するとその車、今度は私をかわして私の前へと出ると再びグィッとアクセルを踏み込んだのである。もちろん私もそのあとを追う形でアクセルを踏み込む。
かつてこれほどクラクションを鳴らしたことなどない程に鳴らし続けながら私は追いかける。100メートル程前方の信号機が赤のランプに変わった。
やつは車線を右に移して逃げようと試みていたが混み合う交差点に阻まれ信号待ちの状態になる。すかさず私は路肩に停車し、この足で駆けた。
その不届き千万な車は進路を阻まれ、がっちりと捕まったのである。

運転者は88歳という高齢の老人だった。
「ぶつけていない」
「ぶつけたのはおまえだろ」
「俺は今忙しいんだ、だからお前がぶつけてもこれくらいならすぐ直るだろうから許してやる気持ちで走ってんだ、逃げているとは何事だ」
「前にぶつけられた件で裁判中なんだ、今これから裁判所に行くところなんだ」
いったい何を言っているのか?立て続けに身勝手な言葉があふれ出るその老人。
こちらの言い分などなんのその、なにを言っても聞く耳持たずのかたくなな老人。
警察官が4人駆けつけてきてくれたのだが、まったく太刀打ちできずたじろぐばかり。
どの車線を走っていたのか、どのあたりで接触したのか、それからどういう行動をとったのかの警察官の質問にも頓珍漢な答え、正確なところをまったく覚えていない。
終始怒鳴り散らし話にならず、挙句の果てにそれにつられるようにひとりの警察官まで怒鳴り出しだ。この場はただの醜い言い争いになってしまっている始末。
くだらない、正直そう思った。
どうみてもあきらかにやつからぶつかって来た形跡が、車の接触面やセンターラインの方まで投げ出されたドアミラーの欠片などから見てもあきらかなのだが、証拠不十分。
あいにく私の後方を走っていただろう車や、あたりを歩いていただろう目撃者も見当つかず、また付近で監視カメラの設置してあるところも見当たらず、証拠を打ち出すすべはない。お手上げ・・・。走行中の接触事故はあきらかな証拠がなければ立件できないらしく、これは肝に銘じなければならない。
私は、こんな不条理で無意味な時間がもったいないと思い、私のためにわざわざ駆け付けてくれや保険屋に「もういいですよ」と告げた。
ああでもないこうでもないと怒鳴り合っていたひとりの短気な警察官と意固地な老人の方は依然折り合いもつかず、話の通らない老人に愛想を尽かした警察官は私のところまで歩み寄ると、「あとは、本人同士で話し合って下さい」と言いい踵を返した。
あとはご勝手にと言うように4人の警察官は2台のパトカーに分乗して走り去って行ってしまった。
いったい何のために呼んだのか解からない。
私は思う、本質は事故の責任のなすり合いにあるのではない、と。
事故を起こした本人が「本気」で事故を起こしてはいないと思い込んでいるところに本質的な問題が隠れている。この事故の前にも事故を起こしていて、そのために裁判所に向かうところだとも言っていたその老人は、やはりこれからも車を運転するのであれば何度でも事故を起こす可能性がある。先の事故についても、老人の方に落ち度があると言った自身の保険担当者を辞任させたとも豪語していた。その様子からも、やはりその老人に非があったのは明らかだ。ある種の病気を疑う。
そんな危険性をたっぷりとはらんでいる老人に対して「あとは本人どうしで・・・」と言って帰って行った警察官、目の前の小さな出来事をさらり片づけただけではたして良いのだろうか。近頃ニュースで耳にする、数々の老人が巻き起こしている数々の車両事故はその延長線上にあるのではないか。
聞く耳持たずのあの非常識な老人、大きな事故を引き起こさない事を願ってはいるが、果てしなく不安が残る。本人はどうあれ、あてられた方はたまったものではない。ましてや死者が出たらいったいだれが責任をとるというのか。
本日もスーパーの駐車場で止まっている私の車すれすれに走り去って行った老人の運転する車があった。あきらかに他車との間隔をさしはかる感覚に、異常さがみられた。
車に乗ったら、いつ何時でも決して油断していてはいけない、たとえ止まっていたとしても。

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