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第129話  VW type1

  ビートルと呼ばれるそれを友人から格安の値段で譲ってもらったのは1994年の夏だった。経年ですっかりと退色してしまった黒色の、ビンテージと呼ばれる最終年64年から3年程過ぎた67年式。それでも現行のビートルとは似て非なる存在で、テールランプは小振りな赤色一色の派手さのないシンプルなヒップスタイル、左ハンドルのとても粋な奴だった。私は、そのビートルをどんなスタイルにカスタムしていこうか、雑誌を眺めながら考えるだけでわくわくと心躍る日々を送っていたものだ。
そんなある日の午前。
仕事前にちょいとビートルでホームセンターへと向かっている最中だった。
クラッチ側の床部分がなんだかゆらりと柔らかい。
私はホームセンターの駐車場にビートルを止めて、いつもとは違うその奇妙な感覚の原因を確かめてみることにした。車から降りてその床部分に敷かれてあるラバーシートを外してみたが何の違和感もない。そこで床全体に敷かれてあるカーペットを手で押してみる。
「あれっ?」
鉄板で固いはずの床が指先の小さな力でゆるりと沈み込んだ。
その有り得ない状況に慌てた私は、床に敷いてあるグレーのカーペットを引きはがしてみて驚いた。ぽっかりと鉄板を突き抜けた床穴、その穴からは駐車場のアスファルトが覗いていた。

後日、知り合いの修理工場へと持ち込んだ。
「危なかったね、前側半分がほとんど腐食していて今にも床が抜け落ちそうな状態だったよ、後部もバッテリーあたりの腐食がすごい、よくこんなの乗ってたね、これ直すとなると時間も金もかかるよ」
全貌を知り、全身の力が抜けた。
しかし直さなくてはいけない、なぜなら今の私にはそのビートルしかないのだから。
代車を借りて家に帰って一息ついてから、ゾッとした。
あの危険な状態で、家族みんなで乗っていたのかと思うだけで背筋が凍った。

2ケ月程の修理期間を経て、奴は上がってきた。
完璧な床を装備したであろう、つやのない漆黒が何だか頼もしく見えた。
ビートル独特のあの車内のにおい、クラシカルなハンドルにインパネ、空冷フラットフォーエンジンの力強い回転音、そしてなにより無骨でありながらもエレガントなそのスタイル、どれをとっても魅力的な車である。
余裕などと言う言葉はどこを探しても見い出すことのできなかったその頃、なけなしの金を捻出しては修理代を工面した苦い思いが過ぎる。
それまでしても乗ってみたかったそれは、私のライフスタイル的憧れであり洒落た空想のかたちであった。家族的には不便で使い勝手の悪い存在であったに違いないが。
それから数年乗り続け、スタッフであったKにそれを譲った。
子供たちの成長もあり家族がゆったりとそして冬でも暖かく乗ることができる車に変えたのである。2台所有するには無理があったから仕方がない。
今になって、再び乗ってみたい衝動に駆られることが時折ある。
もし今度のるならオーバルウインドウのビンテージがいいなーなんて想いが空回る。
やはり、粋な車である。

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