Column

第118話  思惑

  「ぜんぜんわからなかったよ、黒ずくめのあんな格好じゃほんと何処にいるのかわかんないよ、もう少し色の入った派手目なウエアーにしてくんないと写真だって撮れやしない」
生ビールの中ジョッキを片手に岩SOURが言った。
「はいはいっ」
投げやりな返事の私。
(言われてみれば確かにそうだな・・・)漠然とだが言いたい事は理解できる、が、どうでもよかった。なぜなら私は、疲れ切っていた。
第33回うみねこマラソンを走り終えた私とT氏、そして応援に来てくれていた岩SOUR夫妻を交えた4人は「打ち上げ」と称して、たぶんこれは絶対うみねこマラソンの開催によっての流れ客であふれかえっているのだろう居酒屋の、運よく確保できた小上がり占拠に成功していた。タイミングがまずければ、まず入店さえままならなかったに違いない混みようであった。たまたま入れた、そんなギリのところだ。

T氏の後を追う形で今回のランは動きだした。
あえてその形にしたのではなく、いつもより断然早いスピードで駆けだしたT氏の後ろに自然に着いた形だ。しかしこれはあきらかに私にとっては時期尚早の仕掛けでありまったくの未知なるスピード感と言っても過言ではなかった。
(ゴールまでもつのかな?)
私の頭の中を不安が過ったのは確かな事だ。
かつてのレースを振り返ってみても初めから自身の能力以上のスピードにまで上げてスタートした経験など無い、予測不能、こうなれば後はくらいついて行くしか方法は見つからないだろう。やはりここで離れる訳にはいかない。
アップダウンが続く展望台付近、確実にきつい。ぐんぐん力強く健脚を刻むT氏の背中を見失わないように貧脚を奮い立たせて私も後を追う。鼻からも、また大口開けて口からも酸素を体内に取り込むが全く足りていないのだろう、もっともっとと体が酸素を欲する。
ヒ―フー、息を吐き出すたびに声帯を震わせ情けない声も一緒に吹き出る。苦しいったらありゃしない、今季、未だにこんなハイスピードで練習ですら走った事などない。
(いったいどうなっているんだ)
なーんて考えたって始まらないのはわかっているし今さら止まれるか、息が続くまで足がつってぶっ倒れるまで走るのみだ。歯を食いしばってくらいつく。
やがて折り返す。
このあたりから自身の体感がぼやけ出す。いつもならこの折り返しあたりから徐々にペースを上げていくのだがもはやその体力は残されてはいないことを自覚。なんとなく、そしてはっきりと解かる。
まだまだ先は長い、保身のためにややペースを落とすか・・・。
じわりじわりとT氏が私との距離を広げて前に進んで行くのが視界に映る。
あと10キロと言う残りを考えるとこの方法が今のベストだろう、そう考えた私はここから自身の現在維持出来るだろうペースに落とした。時計を持たない私はそれがいつものものなのか、それともそれよりも遅れているのかの判断がはっきりとつかないまでも、安心感の持てるスピードである事は間違いない。時間の経過とともにT氏との距離もじわりじわりと離れてはいくが致し方ない。
走法も、今までの大ぶりな走りとは一変、小刻みに地面を刻むピッチ走行にシフトした。
これなら大きくスピードダウンすることもなくT氏との時間差もそれ程離れないかもしれない、そう思いながら懸命に歩を刻んだ。思えば昨年のアップルマラソンでの初フルの過酷さが未だ脳裏に染みついてはいるが、それとは全く別物と言っていいハーフにはまたハーフ独特の厳しさがある。
とにかく昨年のタイムを、そのタイムを短縮したい、の、一心が体を前へ前へと進ませる。あきらかにこの地点において先年よりも疲労度ははるかに大きい。
(こんなに苦しかったっけ?)
あまりの息苦しさにいつもながらそう思うのだが、今回また一段と厳しい気がする。
しかし、いつかはきっと終わる。

必ずこの先にゴールが待っていて、そしてこの苦しみから解放されるのだ。そこにたどり着きたい、着くぞ、ここまでくれば後は気力のみ。
私の体はとうとう最後まで持ち堪えてくれた、生きて帰ってこられて良かった、率直にそう感じた。

タイムは2分程短縮できていた、ひとえにT氏のペースメークのお陰である事は間違いないだろう。疲れ果てた終盤のタイムロスを考えると短縮は難しいかもしれないと思っていただけに少しだけ安堵の気持ちが芽生えた。
ところで来年はどうしよう、最初からあのハイスピードで走っては今回のように後半がもたない、ただしいつものようにタラタラ走っていては確実に今回のタイムを上回る事は難しいだろう。ちょうど中間くらいか、そうだ、昨年と今年の中間くらい、それだ、スタート時点は昨年よりもやや早いペースでいながら今年よりもやや遅く、そして落ちてしまっていた今年の終盤ペースの穴埋めに計画的練習量でのパワーアップ分の余力を充当してその程良いペースを守りきるのだ。いい案だ、ん、それで行こう!

ホヤの刺身に〆サバに串焼きが並ぶテーブルを囲んで皆生ビールが進む。岩SOUR女房は2杯目からは辛口の日本酒に移行、他はまだまだ生ビールをグイグイ。バクライが追加でテーブルに並ぶ、いやはや皆元気だ。
私はと言えば、限りなく眠い、眠くって薄っぺらで湿っぽい尻の下の座布団がポカポカの布団に見えてくる。
いけないけない、こんなところで撃沈していてはやせ我慢ランナー失格だ。
ブルブルっと気持ちを奮い立たせた私は、目の前に置かれてある琥珀色だがアルコールの入っていない偽物ビールをグイグイッと飲みほした。
計画通りにレースを進めて、来年は本物を飲みたいものだ。

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