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第117話  ジャブジャブと進む

  「おい、あの田圃の横にある洞穴知ってるべ、水が流れ出しているところ」
はたと思い出したようにSは振り返りながら私に向かってそう言った。
夏休み直前のみっしりと湿気に包まれた夏真っ盛りの土曜の午後のひと時、私は学校が終わってすぐのこの空いた時間、母親が仕事でいないSの家に寄り道していた。
小学校5年生に上がった近ごろのいつのもパターンだ。
「あれがっ、橋渡ってからすぐの田圃の横の・・・」
「うん、あそごにはコウモリがいっぺーいるらしいんだ、どうだ、コウモリ捕りに行がねーが?」
「おっいいな、行ぐべ」

この頃の私達はエアーライフルに夢中だった。私とSを含めた5人組は、帰宅後いつもエアーライフルで武装し、目の前に現れた手当たりしだいの標的に向けて発砲しては歓喜に酔いしれていたものだ。
性能の向上した今のものと違いそれ程の威力は無かったもののそれなりに玉が当たれば小さな痣がひょっこりと姿を現すくらいには痛さを感じた。
次第に私達は学校にもそれを持って行くようになり、校内では出会いがしらの突然の銃撃戦がちょくちょく始まったりするのだが、ある時深追いした音楽室での銃撃戦、あと一歩でJを追い詰めるといった一番面白いところで先生に見つかり、あえなく降参、全員のライフルは無情にも没収となりそこで私達の小さな青春の半ページが切り取られてしまった、が、そんな事ではくじけないのが若さの特権だ。
結局ライフルは返してもらってはいない。

私達は薄汚れたスニーカーを引っ掛け、小さな懐中電灯ひとつといつもならセミでも入れるところのブループラで出来たチープな虫カゴをひとつ持ち(もちろんコウモリがゲットできたら入れるためだ)、その場所へと2人で向かった。
出入口は思ったよりも小さなものだった。
小5のまだまだ小さな体の私達でさえ腰を九の字に曲げて入らなければならない程に狭い円形の入り口だった。コンクリート管で補強されているその出入口からはとうとうときれいな水が流れ出していて、これは山からの天然水だろうと幼ながらにも推察された。あきらかに裏側は草木が生い茂った山しかないのだから。
長くつを履いてくるべきではあったが今更仕方がない、懐中電灯を手にしたSを先頭に私達はその流れる水に抵抗するようにスニーカーのままえっさかほいさかこぎ出した。しばらく洗っていなかったスニーカーはきれいになるかもしれない、とふと思った。
ジャブジャブジャブジャブ、腰を曲げ膝までもある水の流れをものともせずに前へと突き進む。ほんの3メートルも進んだあたり、そのコンクリートの管は突然無くなった。
あとは自然の洞窟といった風情の湿った土壁が続き、地震や何か不慮の出来事がもちあがったら崩れてしまうのでは、なーんて心許無さが付きまとう。
「おい、ションベンしたくなった」
Sが言いだした。
外は夏の強い日差しで暑すぎる程の気温があったのだが、ここは思った以上に寒さを感じる、かなりの気温差があるようだ。Sの膀胱はどうやらこの寒暖差にやられたらしい。
「したらいいべ、下は水だし・・・」
「そうだな」
何気に言ってから気がついた。
奴は私の上流側でションベンをしているのだった。
まぁいっか薄まるし、そう思ったら私もしたくなり、腰を屈めたままの恰好でジョボジョボと足元に放水した。一瞬生温かい感覚が足首をさまよったが直ぐにまた冷たい感覚に戻った。呆気ないものだ。
奥へと進むにつれてSの持つその小さな懐中電灯だけが頼りとなってきた。
20メートルなのか30メートルなのか感覚的にはまるでわからないが、それなりに進んだあたりで目の前に大きな空間が姿を現した。
そこではもうすっかりと立ち上がることができた。下を照らす懐中電灯のこぼれた光のなか両手を上げてみても天井を感じ取ることは出来なかった。推定だが、天井までは2メートル以上の高さがあったかもしれない。手にした懐中電灯をSが天井に向けてみてその高さを知ることができた。その天井に2人目をやる。
するとそこには、5センチ程の無数の黒いイボのような物体がゴニョゴニョとうごめいているのが見えた。それは間違いなくコウモリ達だった。やっぱりいたんだ。
その数たるや半端ない、私はざわりと全身に鳥肌が立った。
ざわついていたそのコウモリ達は突然の闖入者にやはり危険を感じはじめたのだろう、2、3のコウモリがバタバタと飛び始めると次に全てのコウモリ達が入り乱れて飛び始めた。こんもりとした小さなこの空間は瞬く間に乱舞するコウモリでいっぱいとなり、私達は思わずその場にしゃがみ込んでしまった。ケツにひんやりと冷気を感じた。とてもじゃないがこんな乱痴気なところにいられるものではない。
私達は遥か遠く目える闇夜の月のような出入口へと一目散に向かった、いや、逃げた。コウモリはコウモリで混乱しては右往左往、中には私達と同じ方向へと飛び出す奴らも大勢いて狭い坑道はてんやわんやの大さわぎ、そのなかを腰をかがめてバチャバチャと私達は走る。私はかぶっていた野球帽を脱ぎ飛散する奴らを払いながら進むも、途中小石につまずき転倒、空いている左手を突いてなんとか体を支えるも前身は水中にどっぷりと浸かってしまった。それにつられて後から付いてくるSもまたすってんころりん。2人、もうすっかりと全身ずぶ濡れ、そのままもがき続けてはなんとか真っ青な大空の下まで逃げ切った。生温かい夏の午後の風が気持ち良い。
私達は無事生還できた事を喜んだ。
右手にしっかりと握ってあの穴の中でコウモリ達を追い払っていた野球帽をかぶろうとした時だった。
帽子の一部がもこもこっとうごめいた。
なんだ?とそっと中を覗くと、予期せぬ悲痛な出来事に遭遇してしまい閉じ込められてしまったコウモリが一匹いた。
闇雲に帽子を振りまわしているうちにどうやら紛れ込んでしまったようだった。
私はとっさに帽子を袋状に押さえ、Sの持っていた虫カゴの口にそれを押し付けた。
難なくコウモリはカゴの中に押し込まれ、初コウモリを確保することにかくして成功したのであった。
全くの幸運としか言えない。
とてもかわいいものだった。
Sの家に帰ってその偶然にも捕まえたコウモリをじっくり観察してみると、つぶらな黒いひとみがキラキラと光り輝き狐のような三角形の耳がツンととんがる小さな顔がとてもかわいく愛おしいものに見えた。
私は籠の中に手を突っ込んでそのコウモリを捕まえて握りしめてみた。
小さいのに私の握る手を押し開くほどの力強さを感じた。
キ―キ―と鳴いたような気がした。
見れば見る程かわいらしい顔をしている。
私は思わず頬ずりをしてしまった。それがいけなかった。
鼻のあたりに激しい痛みを感じた私は、思わずのけ反り指の力を抜いてしまった。
コウモリはここぞとばかりに力いっぱいに羽を広げ、開けっぱなしの窓からするりと外界へと逃げ去った。
私の鼻からはおびただしい鮮血が吹き出していた。奴は思いっきり私の鼻を噛んだのだった。
なかなかやるわい、あっけなくもその日一番の出来事が幕を閉じてしまった。
さよなら、達者で暮らせよ。
テレビでは「コンバット」をやっていた。当時、夢中になってみていたものだ。
(関東では週一、夜の8時からやっていたが、地方では夕方にやっていた。)
私は冷静な判断力を兼ね備えた無精ひげのサンダース軍曹が大好きだった。
画面の中の部隊は皆屈みながら濁った川をつき進んでいるところだった。
まるで先ほどの私達ようだと思った。
油断してはいけない、油断してはやられる、私は心からサンダース軍曹に向かってそう話しかけていた。
そのあたりからは、もうすっかりとコウモリの事も忘れ、2人共テレビにくぎづけとなっていた。

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