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第112話  ちょいと42.195キロ

  フルマラソン、私はこの過酷なレースをあまりにもあまく見過ぎていた。
ハーフマラソンを何度か経験して、それってたかだかその距離の2倍、ちょっとだけいつもの走るスピードを緩めていけばなんとかなるさ、そう考えてしまっていた。

大会当日の朝、3キロにエントリーしているGとその嫁T、そしてGの友人であり今回私と同じフルにエントリーしているA君、それに私を加えた4人は私の宿泊していたホテルの1階ロビーに集合し、大会開始までのわずかな時間を共に過ごしていた。
「先週なんですけど30キロを試しに走ってみたんですよ、かなりきつかったですね。途中足にきちゃって足がまともに上がらなくなってしまって、もう本当大変でしたよ。今回はそれより長い初のフルだからね、足がもってくれればいいんだけど・・・まぁなんとか5時間を切って帰ってこられればいいね」
やや不安を抱えた様子でA君が言った。
「大丈夫でしょ、そんだけ走れればちょっとペースを落として行けば問題ないと思うよ」
この日A君とは初対面ながらなんの根拠がそこに存在するやら、私が軽薄に口をはさんだ。
「自分も初フルだからどうなるかは解からないけど、なんとか4時間ちょっとで帰りたいよね。」
さらに軽さに輪をかけ、私が続けた。
「それはすごいですね」
A君は年長の私に向かって、羨望とも取れる言葉を投げかけてくれた。
「やっぱりそのタイムはすごいと思いますよ」
なんの経験も持たないGが後を追うようにもっともらしい言葉をつなげ、その隣に座る嫁Tはその言葉に賛同するかのように私に目を向けにこりとほほ笑んでくれた。
私はすっかりとのぼせ上っていた。

号砲と同時に数千のランナーが地を揺さぶり一斉に歩を踏み出す。
もみ合うような狭さに翻弄されながらも巨大なその一群のなかの一粒と化して私も駆けだした。しばらくは前後左右の間隔の狭い塊のなかで走り続けた。全体のスピードも速まりつつある1キロを過ぎたあたりからはまわりの間隔も徐々に広がり始め、ある程度の自由がきいてくる。それでも私は、私本来の走る基本的スピードまでに上げることはなかった。それは計算通りと言って良かった。
ハーフマラソン級でのスピード感で走るとすれば、未経験のこの距離、もし仮になにか不慮の出来事にでも遭遇してしまえば、無事ゴールにたどり着くことは困難かもしれないと危惧する部分は拭いされず、ロビーでの大口とは裏腹にやや弱腰感が漂っていた事は否定できない。
私はその後方集団と言えるグループの中の一員として、あくまでスローペースをまもり、そして走り続けたのである。
初めてのフル、ましてや初めての土地となればその位置感はまったくつかめていない。次から次からあらたな風景が現れては過ぎ去りまた現れる。
市街地を過ぎて左折、道の両脇にたわわに実をつけたリンゴの果樹園がひろがりだす。目新しい環境は新鮮ではあるが、いったいどのあたりを彷徨っているのやら・・・。見極めがつかなければつかない程あれこれと考えながら頭の中で地図を描いてしまう。
考えれば考える程脳が高濃度の酸素をむやみに消費する。そのせいかどうか定かではないが、なんだか体が重くなってきているような冴えない感覚・・・いつもと違う。
目に飛び込んでくる個々のリンゴの美しさを感じとる心の余裕さえ持てないままにリンゴ畑を過ぎて、民家の建ち並ぶ住宅地へと突入した。ここでは、その民家の住民達であろう人々が沿道に陣取り私達に温かい声援を送ってくれた。
これはありがたいものだ、失われつつあったエナジーがじわりと充電されたような活性的パワーを受け取る。少しはましになったか・・・・精神的混濁。
元気をもらったその住宅地を後にしてから見えてきたいびつなT字路を道なりに大きく右折すると、1キロくらい先までが見渡せる幅の広い幹線路に突入した。
前景が変われば気分も変わると言うものだ。
と、ひと息ついたあたり、このレースのトップと思われる集団が前方からものすごい勢いでやって来た、すさまじい早さだ。その圧倒的速度に唖然、彼らは別世界の人間である、と自身を慰めた。
その後続々とアスリートと呼べる上位集団とすれ違うなか、見渡せていた1キロくらい先の景色あたりまで魂を込めて懸命にたどり着くと、そこでまた1キロくらい先までの景色が姿を現す。(はいはい、まぁそんなもんだよな)と気持ちを落ち着かせては次の目標へとたどりつくもまた先が現れる。幾度そんな状況が続いたことか・・・その試練的情景は私の心にジャブをかます。約8回のジャブを心が受け止め切れた頃、その幹線路にとうとう終わりがやって来た。
前方に右折を告げる看板が現れた。
いつもとは全く違うペースでその位置までたどり着き、道なりに軽くくねりながら右折した。するとどうだ、今度は遥かの人波が豆粒ほどに視認できるこれまたさらに厳しい環境へと突入したのである。(オーマイガッ!)
この辺りから私は給水ポイントで水分を取るようになった。尋常ではない汗が噴き出し体が水分を欲する。顔に手をやると、塩分だろう、ざらついた砂のように皮膚から地面へサラサラと流れた。かつて経験した事のない肌感覚、果たして私はゴールへとたどり着くことができるのだろうか・・・未だ、半分も走ってはいない。

遥か見渡せる田園地帯に横たわるその優雅な道を、私は懸命に駆けた。
もう何も考えてはいけない、そう考えながら懸命に走った。ただただ前方を見据えて2本の腕を振り上げ2本の足はひたすら地面を蹴り続けた。
とうとう見えてきた、折り返しの看板、うれしさがこみ上げる。
設置された大きな丸時計に目をやると2時間10分が経過していた。通常の私のタイムからは20分程遅れている計算になる。しかし出発前に掲げた4時間ちょっとで戻ると言う事から大きくかけ離れている数字でもない。ここからだ、この後半の21キロをしっかりと走りきることができればなんとかなるだろう。そう心に刻み、ぐるり半円を描いて私は復路へと突入したのである。
遥か見渡せるこの優雅な道には二つの給水所が設置されていた。私はどちらにも立ち寄りそして水分とミネラルを補給した。特に2つ目の私設的な給水所にあったコークがうまかった。普段コークは飲まないのだが全身に沁みわたるうまさと言って良かった。今の私が欲する成分がそれにはたらふく含まれていたに違いない。2杯が体内に溶け込んだ
その遥かな道をたんたんとクリア―、再び1キロくらい先まで見渡せる幹線路へと入る。このあたりの距離を考えればおそらく25キロを超えたくらいか、未だ経験のない未知の世界だ。それにしてもこの老齢の足はなかなかのものだ、我ながら感心する。
前方にはすでに走ることをあきらめ歩いている選手達があちらこちらに見える。無理もない、もうだいぶ体をいたぶり続けているのだから・・・。
何人かの歩いている選手を抜き去り、次に黒のショートパンツにボーダーのTシャツ姿の青年を抜いた。そして数分走っていると、先ほど抜いたそのボーダーTの青年が再び走り出したとみえ、トコトコと私を抜いていった。(おおーいいことだ)どうやら復活と言ったところか、私はおおいに感服した。その後ろ姿を少しばかり追っていると、どうしたことか彼は再び歩き出してしまった。トコトコトコトコ・・・と。
私は一定のペースを維持して一歩一歩前に進んでいるのでまたその青年を追い抜くこととなった。するとまただ、また彼が走り出したとみえ、私をスルスルっと抜いて行ったのである。そして抜いたかと思うとまた私の前で歩き出す。そんななんとも不可解な行為が続いた。本人には何の悪気もないのだろうが、これに私はほとほとまいってしまった。そのたったひとりの人間を何度も何度も追い抜かなければならない事の苦痛と言ったらありゃしない。ジャブには耐え抜いたはずの心が内側からかき乱される、守り抜いた一定のペースは狂う、挙句の果てには足にしびれを感じてしまう始末。
この時私は、思わず知らず芽生えてしまった心理的葛藤に耐え切れず、とうとう歩き出してまったのである。(途中でとは、初めてのことだ)
弱さと言えば弱さなのだが、やはり疲労もそれなりにピークを超えていたようだった。
走ることを止めると、それこそ足全体の筋肉が引きつっている事に気がついた。
平均感覚維持に軽い違和を感じた私は瞬時にかがみこんだ。
(これほどまでに足にダメージを受けていたとは・・・)
このままではいけない、私は傍らにある民家を囲うヘイの上に足を載せてふくらはぎを伸ばしてみようと試みた。よっこらしょっと立ち上がり、そろそろとそのヘイに近づき、まずはと右足を振り上げた、途端だった。その右足の一番太いうちももの筋肉がビキンと激しく硬直し、追って支えていた左足の指が全部垂直につりあがった。
激しい痛みは閃光をともない脳天を突きぬける。
なんとか倒れ込むぶざまだけは避けようと、私はその目の前にあるヘイに両手でしがみついた。しっかりとしがみついてはその激しい痛みに歯を悔いしばりじっと耐えた。
幾ばくか苦痛の時が流れ、その後ようやく内腿の筋肉の硬直もゆるみはじめ足の指も平常心を取り戻してくれた。が、この小さな事件後、今度は全く走る事が出来なくなっていた。
(ついさっきまで走れていたのに・・・)
本当に不可解な現象なのだが足の筋肉すべてが走ることを拒絶するかのごとくうまく可動してはくれない。まるでバランス感覚を失ってしまったように、立っている事すら困難にふらつく。これではもうどうしようもない。
(これが魔の30キロと言う奴か・・・耳にしてはいたが・・・)
ここで私は方向転換を余儀なくされた。
当初描いたさりげないはずのタイム、これを捨てることだ。
ただし、ゴールだけはしたい、それには歩くこと、歩いてもなんとしてでもゴールにたどり着くこと。ここからの私はひたすら歩いた、歩いて歩いて歩き続けた。時計を持たない私はいったいどれくらいの時間をこれで浪費しているのか見当すらつかないものの、容赦なく時間が過ぎ去っている事だけは理解できていた。
足を引きずりながらあたりに視線を移してみると、歩いている選手達がずいぶんと目立つようになっていた。私の周りほぼ、8割くらい・・・レースの過酷さが瞳に沁み渡る。
それなりの時間が経過しても決して走るまでには至らないが、歩くことに関しては足が前に踏み出せるようになってきた。住宅地を過ぎ、果樹園を過ぎ、とうとう相互4車線道路に差し掛かろうとする一歩手前の裏路地あたり。
「がんばれ、がんばれ」
運営スタッフなのだろうか、腕章を付けたひとりの老人が私の後ろの選手に掛け声をかけた。
「がんばれよ、、歩いている奴には俺は言わねんだけど、あんたは走っているからな、がんばれがんばれ・・・」
絶句・・・そうか、私に声を掛けなかったのは私が歩いていたせなのか・・・まぁそれはそれで構わないのだが、そんな内心をこっちの耳に入れる事でもないだろうに・・・情けない気持ちになった。ここで歩いている人々は、歩きたくて歩いている訳ではない事くらい理解出来ていてもよかろうに、と思った。皆疲労困憊朦朧となりながらも必死にひと足ひと足ながら前に向かって進んでいるのだ。その場から遠ざかりつつ、そんな無慈悲な言葉が何度も何度も私の耳に聞こえてきた、残念でならない。
そんな濁った空間を後に追いやり、弘前市街地を遥かに望む大通りにやっと出た。
まだまだ先は長いが未だに歩いている私、もう駄目かもしれない、弱気が芽生え始めた時だった。
「ほれ頑張れ頑張れ、まだまだ間に合うぞ―!」
数人のサポーターが時計を見ながら叫んでくれた。
そうか、まだ制限時間内に着けそうなのか、私はその言葉に、失いかけていた気力を補充された。するとどうだ、私の後方を歩いていた女性はあきらかに歩のスピードを速めた。決して走ってはいないものの、歩くスピードをグンと上げてヨタヨタと前を歩く私をいっきに抜き去ったのだ。すごい、私はその変貌ぶりにずいぶんと驚いてしまった。
言葉の力とタイミング。
同じ歩いていると言うのにどんどん私との距離を離なしていく、みるみる遠ざかる、みごとなものだ。このままではいけない、私も強くそう思えた。
彼女を見習って私もわずかながら歩くスピードを上げてみた。筋肉が張って未だ走れはしないが速く歩く事には私の足は簡単に応じてくれた。なんだか心強い。
ひと足ひと足速度をつけてはリズムをとった。どんどんとスピードは増していく。
早足で歩き始めてから数十分、足の筋肉がほぐれてきたのか、なんだが軽くなったような・・・気がする。
前方に大きな橋が見えてきた。
ゴールも近い、そう感じた私は思い切って走ってみることにした。
早歩きのまま大きくピッチを取るようにその橋を超えた瞬間イチかバチかで片足を蹴りあげた。走れる・・・確かにそう感じた。
残り少ないエナジーを縛り出し、私は懸命に駆けた。
今までたまった鬱憤をまき散らすように一目散にゴールを目指した。走れる、その喜びは何にも代えがたいものだ。タイムアウトゲートを難なくすり抜けた。これでもう、遅かれもひとつ遅かれ確実にゴールが待っていてくれる。先ほどまでの足の硬直がまるで嘘のように躍動してくれている。こまごまと幾度かの角をまがると、とうとう目の前にそのゴールとやらが姿を現した、ヤレヤレ。
ゴールゲート左脇にG夫妻の笑顔が見えた、えっ、となりにA君も、おいおいA君はすでにゴールしていたのかい、それこそ走馬灯よりも高速で朝の光景と会話が私の頭を駆け廻った。「5時間で帰る事ができればいいかな?・・・とA君、4時間ちょいで帰ると思うよ・・・と私」あまりの気恥ずかしさに言葉を失うも、どうにか生還出来た喜びを笑顔に変えて彼らに投げた、それを彼らは快く受け取ってくれた。5時間30分、とうとう終わった。
「来年はもうよそう」私は心に誓った。

とは言っても、時は気持ちをもてあそぶ。
どうしても悔しい、歩いた距離は約10キロ、なんとかこれをクリア―したい、大会が終わってしばらく経つとそう強く思うようになっていた。正直に言えば30キロ前後で歩いている途中何度も何度も来年は絶対に止めようと思っていたはずだ。あの時味わった苦痛を今の私は完璧に忘れ去っている。
ただ、愚かにも忘れ去っているからこそ言えるのかもしれない。
「来年も42.195キロ、ちょいと行ってきます」と。

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