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第111話  ジョニーは死んだ

  白黒まだらにところどころ薄茶の交じったミケで、げっそりと痩せこけた貧素なやつだった。いつもつまらなそうに地べたに腹ばいになり、さりげなく組んだ前足の上にそのこけた顎をちょこんと乗せてなにやら目当てがあるのかないのか、前方をぼんやりと見つめている。見た目でグル―プ分けをするなら年寄りの部類は避けられないだろう。
時折私がその傍を通りすぎると体をピクリとも動かすことなく濁った茶色い目玉をするり滑らせてこちらの姿をちらり確認する。その一瞬、私はやつと目を合わす。
「おうっ今日も元気か!」
心の奥で私はいつもの挨拶をする。
「へっあたりまえだ!」
てな感じで、やつは全くこちらには興味のない様子でその目玉を元の位置に戻す。そうなればもうこちらを再び見ることはない。

自宅から大通りに出てすぐのところの細道を左に入ったあたり、私がたびたび通りかかる民家の広い前庭の片隅に、茶色に錆びた屋根を持つ古びた小屋がやつのすみかだ。常に鎖につながれている、今となっては珍しい過酷な環境下に置かれている。
その家の人々と私は軽い会釈程度の交流しか無いのだが、やつだけはなぜか気になる存在であった。と言うのも、太陽めらめら炎天下でもゴーゴー吹雪の早朝でもザーザー降りの雨の午後でもその古びた小屋の中には入ることもなく、やつは常に地べたに腹ばいになっているのだ。さすがに炎天下では地べたを掘り返して涼をもとめている姿が見えるが。雨の時は貧素な体毛がところどころとんがりにまとまって地肌がすけて貧弱な体型を世間に晒している。特に雪の朝はひどいものだ。それこそ雪だるまのようにこんもりと奴の体型のままに雪が積もっている。それでも、そんな過酷な環境下にあってもそこにある小屋には入らないのである。
私の知る限り食事は朝一回、か、もしくは夕方にもう一回もらっているのかもしれない。やつはその食事にもさほど興味を示さない。
アルミの洗面器がやつの食器なのだが、それにご飯とみそ汁的な懐古的まんまを差し出されたところに私は遭遇したことがあった。やつはそれに一口二口くちをつけるとすぐにまた地べたにごろり横になった。
すると間髪いれずにそれを狙っていたカラスと雀が洗面器に群がった。洗面器はカラスによってひっくり返されてまんまはそこらじゅうに散乱、それを群がった鳥たちはうまそうについばむ。その乱痴気な様子を横目にやつはその騒がしい光景にすら興味がないように見えた。
「お前、しっかり飯えよ!死んじまうぞ」
やはり心のなかで私は話しかける。

やつは時々、そう、年に2回程逃げだした。
逃げだした、と言うよりは自然にリードが杭から外れた、と言った方が適当かもしれない。ずるずると首輪に付いたリードを引きずりながらあたりを自由に散策している姿を見かけることがある。
「このせせっこましい世界を逃げ出し自由を謳歌したい」なんて安易な希望を持っている風ではない、クンクンあちこちの地べたの臭いを嗅いでいるうちにたまたまこっちまで来てしまった、と言ったたぐい。あくまで自然体。近所の広場といった小さな範囲をちょこちょこと歩きまわっている程度だから、すぐに見つかっては元に帰されるだろう。
思いがけないショートトリップ。

そのやせっぽっちの骨ばった背中を波打たせながら歩く後ろ姿に懸命に生きている力強さを感じてしまうのは私だけだろうか。ちょっとした事変に動じない気持ちの大きさを感じる。移ろう季節や厳しい日々の変遷をたやすく受け入れる寛容さを感じる。なりは貧素だが、それがどうした。
「今日もいい天気だなーっ!」
だからこそ、私は会うたびに一瞬の時を共有し目を合わせ心のなかで声を掛ける。

「おっ、今日も散歩か?」
そう思うくらいにいつもの地べたに奴がいない時が重なった。
「近ごろ散歩が増えてよかったな、ジョニー」
時間的に散歩に行くあたりなので簡単にそう思った。飯にがっつかない奴にとってどちらかと言えば楽しみは散歩の方だろう。
そうそう「ジョニー」、それは初めて奴に会ったときに私が勝手につけた名前だ。本名は解からない、また興味もない。

それから数日、突然奴の、あの古びた小屋が無くなった。
「えっどうした?」
新しい小屋でも作ってもらったのかな?とも考えたがそれらしい物体は見当たらない。ひとはけの不安が走る。よくよく見渡すとあの使い込まれたアルミの洗面器もなくなっている。そして、いつも奴のまんまを狙っているカラスや雀の姿もいっさいない。
まさか・・・・胸中、良からぬ思いが廻った。

それからやつの姿を見かけることは二度となかった。
そう、ジョニーは死んだのだ。
なにも悔やむことなく、愚痴のひとつ言うこともなく、ぽつんとひとりその慣れた地べたに寝転んだまま、死んでいったのだ。
その死んでいくジョニーの姿が私の脳内スクリーンに鮮明に浮かんだのは確かだ。その目はこちらを見据え、そして静かに閉じただけだ。ただそれだけのことだ。
さよならジョニー。
ダイに会ったらなんでも聞いてくれ、ダイならきっといい友達になってくれるさ。

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