Column

第108話  あらたなるトライ

  2013年初夏、「八戸うみねこマラソン」を今回も無事に走りきることができた。

その朝、目覚めると生憎の雨、5月だと言うのに肌寒い。
昨夜準備しておいた寒さ対策のためのウエアーを私は大型のバックに詰め込み、冷蔵庫から冷やしておいたスポーツドリンクを数種類取り出しそれらをクーラーボックスに詰め込んだ。これも昨日より準備しておいたサンドイッチを口に運びながら、まとめたその荷物を車へと運び入れて出発準備を整えた私は、缶コーヒーで喉をうるおしながら市内のとあるホテルへと向かったのである。
と言うのも、うれしい事に今大会、会社の取引先であるアパレルメーカーの担当T氏が参戦されることとなっていて昨日より市内に滞在していたからだ。
小雨けむる中、すでに短パン姿で準備万端のT氏を私はホテルの玄関先でピックししばし歓談、その後漁港にある大会会場へと向かった。
そこは受付時間前だと言うのに大勢の人々で賑わっていた。
年々参加者も増えている様子でこれは頼もしい。
恒例の岩SOURも今回介助役のBUNTA君を引き連れて数分後私達と合流、士気は上がる。

退屈な出走前の時間を人間ウォッチングと簡単な準備運動で費やし、そろそろ時間となったあたりに混み合うスタート地点へとみんなで向かった。
そして、私達は響き渡る号砲とともに走りだしたのである。
後方に陣取っていた私達はその後方のスローペースのままに流され、次第に体を慣らしていく。私としてはいつものペースだ。3キロから4キロ程走ったあたりで徐々にスピードにのっていく。
するとどうだ、さっきまでひっきりなしに瞼を叩いていた雨がやみだしたのである。あのうす暗かった空に明るさが戻り、そして気温上昇、ついには太陽までがまん丸姿を現したのだ。なんてこった。
スタート時のあまりの寒さに、私は長袖のインナーにロングタイツを装備しての登場だっただけに、これは予想外、体がポッポと火照る程にあつくなってきた。
ただ私自身の走りの調子は良い方だ、このままこのスピードにのっていければ前年のタイムを短縮出来ることは確かだ、がしかし、その暑さはますます私を責める。
額から汗が噴き出す、のぼせな感覚、これではいけない、私はとうとうまいってしまった。折り返しから数キロ走ったところで長袖のインナーを、この状況のままに脱ぐことを決断した。うえのTシャツを脱いでから中の長袖シャツを脱ぎ、そしてまたゼッケンをつけてあるそのTシャツを身につけた。タイムロスにつながるがこの先の道のりを考えると仕方がない。このロングタイツの方も脱ぎたいのだが・・・逮捕されるといけないのであきらめた。
このあたりでT氏は自身のタイムのためにスパートをかけた。
残念ながら私はそのスピードについて行くことは出来なかった。
この時点での私の持ちえるスピードの限界を彼の走りは超えていた。さすがホノルルマラソン7回出場のつわものである。軽快に足を運ぶ彼の背中はみるみる小さくなり、そして私の視界から消えていった。
それでも長袖のインナーを脱いで随分と楽になった私は、終始私自身のペースを守りぬくことに徹して走り続けた、そしてそのままゴールすることができた。素晴らしいことだ。
岩SOURも、スタート前に腰に違和感を覚えていたがBUNTA君にささえられ無事にゴールすることが出来た。よかった、本当によかった。
私のタイムは、10分程短縮できていた。

「マラソンっていいよ、俺はマラソンにはまってもう10年になるな、あの達成感は何とも言えないよ、もちろん毎日のランニングも楽しいね、あんたはなんかやっているの?もしなにもやってないんだったらちょっと走ってみたらどうだい、楽しいぞー。」
私が22才の頃、すでに50才をこえていた知人のIさんがにこやかに言った。
「へー、Iさんマラソンとかやってるんですか、それはすごいですねー、私なんかとても無理ですよ、学生時代だって一回もまともに走った事なんかないし、ましてやタバコばんばん吸ってるしぜったい走れないと思いますよ」
「うん、実は俺もそうだったんだよ、だけど40才過ぎた頃かな、それを機になにか始めたくて、たまたまマラソン大会に、しかもうんと短いやつに誘われてね、なんならと走ってみたんだ、だったらなんだか楽しくてね、それからだよ、そのあとタバコはすぐに止められたな。そうそう、もうすぐここでも大会があるよ、時間あったら出てみる」
「えっ、はっはっはっはー、考えて置きますけど、でも今回はたぶん無理ですよ無理、急すぎますよ」
若かった私はランニングの奥深さを語ってくれていたIさんの話を軽く聞き流してしまっていた。興味のもてないそんな話をされてもマラソンに傾倒する気持ちなど微塵も持ち得なかった。走るなんて事に情熱を注ぐ前に私には目の前にある生活の基盤をなんとか実のある方向に軌道修正する事に情熱を注がなければならなかった。
そんな話を伺って、間もなくしてだった。
彼は定期健診で再検査の通知が届き、ねんのためにその部分の再検査を受けたらしいのだが、その時に、肝臓に癌がみつかってしまったのだ。その事は偶然にお会いした彼の奥様に伺ったのだが、人柄のよい元気な人だけになんとか完治してほしいと私は願った。その後、ご夫婦で治療に専念したものの、無情にもあっと言う間にその命を奪われてしまった。私が26才になったあたりだった。

ほんの小さなきっかけで、どうやら私も、今、走ると言う事に喜びを見いだすことのできる人間となったようだ。あの時彼が言っていたのは、今私が感じている事そのもののような気がする。やってみなければやはりわからなかった事だ。あらためて言葉のひとつひとつを思い出し、あの笑顔とともに時をさかのぼって人生の機微を、そしてはかなさを考えてしまう。
今年10月、私は津軽で行われる「アップルマラソン」にトライしてみようと考えている。

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