Column

第105話  悲観的妄想

  なんだか・・・右足の親指の付け根が痛い。
その親指を手前にひっぱりあげると一本の筋が突っ張ったように内方が痛む。
いったいどうしたというのだ、今までこんなことはなかったが・・・。
年・・・そりゃそうだが・・・まさか・・・・。
えっ、痛風・・・・ま・さ・か。
だが・・・まてよ、確かまんなかの弟は10年ほど前に痛風を発症していたはずだ。ちょうど北海道旅行中、どちらの足だったか定かではないが、確かトレッキング中に急に激しい痛みに襲われ、同時に履いていたブーツがはちきれんばかりに膨れ上がったと言う。とても歩ける状態でなく、そのままタクシーで病院へと直行したらしいが速入院だったと言っていた。
その時に痛風と診断された。
そのはれ上がった足を取り出すのに、履いていたブーツは無残にも鋼鉄のはさみで切り刻まれた。相当にひどい状態だったらしく、しばらくのあいだ北海道で過ごすこととなった。それこそ仕事も休んで一週間程病院の大きな窓から北海道の雄大な大自然の景観ではなく、日常的な街並みを眺め退屈な時間を費やした。
両親や親せき、その他の兄弟には全くその兆候も見当たらないのだが、その弟ひとりがそんな病気を発症してしまっていたものの、それはやはり同様の血脈を持つ私にもその種があるのかもしれない、と考えてもおかしくはない。まだまだこれから先の、もしかすれば長いかもしれない生活や情熱を注がなければいけない仕事、またつい先に控えるマラソン大会の事を考えてみても、どうしても痛風なんかになってはいられない。
よし、病院へ行こう!
そうとう前に伺った事のある病院の診察券を財布から引っ張り出してみると、診察は午後の2時からとなっていた。現在時計の針は正午を回ったあたり、午後の仕事を考えると病院に行く前に昼食をとっておかなければならない。
痛風にはプリン体と言うものが関係していて、それが血管の一部に詰まり悪さをすると小耳にはさんだ事がある。出来る事なら、今からでも決して遅くはない、昼食にはそのプリン体とやらが入っていないものにしたいものだ。弁当を買ってきてもらうのに、キッチンの壁に貼ってあるメニューを吟味、そこでのチョイスが豚ロースの生姜焼きだった。幾多の試練を乗り越えてきたこの私の人生における、単なる直感、どう考えてみても健康食と
してのくくりからは出ないはずのこれなら絶対に大丈夫だろう、と指差し発注。
すりたての生姜がピリリと聞いた小麦色にこんがりと焼かれた豚ロース、それはそれはデリシャスなものだった。

なぜだろう、いつもの事なのだがこうして病院の待合室でソファーに座っていると、病状が半分ほどに軽減するような気がしてならない。気のせいのようでもあるが、実感でもある。何かホッとするオーラに包まれている安堵感のような、今もなんだかそんなに足の親指が激しく痛む、と言った感覚は薄れてきている。
ちょっとまてまて、こんな程度で診てもらってもいいものか?いやいや、さっきまであんなに痛かったじゃないか、そうだそうだ、取りあえず診てもらう事にこれからの展望と深い意義がある。名前を呼ばれた私は、そんなあやふやな心の葛藤を抱えたまま純白のカーテンに包まれた診察室へと向かって行った。

先生は眉間に深い皺を刻み、いかにも難しい顔でレントゲン写真を眺めていた。
「立ち仕事とか、もしくは激しい運動なんかはするの?」
「はい、この頃、ジョギングをしています」

「そう、それだねこれは、要するに走り過ぎ、ちょっと休んでみたら。触診の感じやこの写真からみても痛風ではないよね。まあ、兄弟がそうならやはり考えるだろうけどね。ただ、この血液検査の結果だとちょっと尿酸値は高めだね。この小冊子をあげるからしっかりと読んでみて食生活には充分気をつけておかないと、これ以上尿酸値が上がらないようにしないとね」
「あっそうですか、解かりました、ありがとうございます」
「もし足が激しく痛むんだったらシップとか出しておこうか、それとももってる?」
「はい、もっています、大丈夫です」
その会話で、ほっとしていたと同時に私は少しがっかりもしていた。
思い描いた悲観的な病が的中して喜ぶ事はないのだが、いつのも思い過ごした早とちりには辟易とする。胃が痛んだ時もなんのことはない一時的な胃酸過多だった。背中に激痛が走り腎臓や肝臓が悪いのかと考えた時も、単なる筋肉痛だった。
少しの期間だけでも様子を観察してから、かな、やっぱり。

仕事にもどり、空いた時間に先ほどもらって来た小冊子に目を通して見た。
4ページ目を開くと、注意すべきプリン体の多い食べ物のリストの中に「豚ロース」があった。
「プリン体どまん中、往年の清原なら場外ホームラン、なんじゃそりゃ」
宝クジは当たらないがそんなものにはよく当たる。
いつもながらこんなものだ、次は考えた事の対岸にあるものを意識の中において行動してみようか、うーん、果たしてそれもどうなのだろうな。
時折ぼんやりと視線が宙をさまよったりしながら、そのあたりがよくわからなくなっている人生後半スタート地点を通過したあたりの私であった。

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