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第104話  白銀は呼ぶよ

  小学校の高学年、ちょうど11才になった頃だった。
授業の一貫としてスキー教室が行われることとなった。スキーと言えば、よく駄菓子屋の軒先に吊るし売りにされている赤や青の簡易なプラスチックで出来たミニスキーしか手にしたことのなかった私にとって、この行事はこのうえない楽しみとなった。だがその楽しみのためには、どうしてもちゃんとしたスキーと言うものを手に入れなければならなかった。
どうしよう?
親父はあまりにもおっかなすぎた。私を入れて4人兄弟という大所帯のなか、私だけがピカピカのスキーを買って欲しいだなんて、そんなわがままを言ったらいったいどうなるのだろう。昔々、何が原因だったのかは一切おぼえてはいないが、私のつたない言動か愚かな態度あたりに激怒した親父に積もりに積もった大雪の荒海の中にポーンとぶん投げられた苦い経験を思い出していた。その時の私は白のブリーフ一丁だった。
あれから数年経つだろう、随分と時間がたってそんな一件があっただなんて親父自身はすでに覚えていないかもしれない。得てしてそんな行動を起こした側は案外あっさりと忘れ去っていたりするものだ。
そのスキー教室も押し迫ってきたある日、夕食後のまったりとした雰囲気のなか、私は身震いしながらもここぞとばかりに腹を決め思い切ってきりだしてみることにした。
「あれ、あの、今度、学校でスキー教室があるって・・・で、なんでもいいんだけど、スキーがあればなって、先生がまー、なんとか用意するようにって・・・言ってたなーっ」
「おおっそうが、わがった・・・」
これをふたつ返事って言うのか、事はあっさりと難なく進んだ。
言ってみるものだ、何事も言わなければ始まらない、ボンクラなりにもひとつ知恵がついた。小さな希望の灯がポッとともる。
勇気を振り絞って父親に告げてから数日後の夕暮れ時だった。
「ほらっスキー、これ使え、もらってきてやったがら・・・」
「えっ、なに、もらってきた?」
私は時が迫れば一緒に買いにいくものとばかり思っていたのだが、どうやらそれは見当違いだったようだ。
親父は、もらって来たと言う擦り切れた淡いブルーのナイロンバックに入れられたそれと、むき出しのストック2本を玄関先に立てかけ、薄汚れた黒いブーツ1組を床に置くとひと言口にした。
「良いやづらしいぞ」
「へーっうん、ありがと」
この予期せぬ流れに呆気にとられたものの私は取りあえず礼を言った。
その礼を耳にすると親父は満足そうにひと息、そのままクツを脱ぐとさっさと書庫のある自分の部屋へと向かった。
本物のスキーがそこにあった。
一緒に買いに行ったわけではなく、ましてやどんなものなのかもまったくわからないまでもなんだかほんのりと嬉しかった。
親父が部屋の中へと消えた事を確かめた私はすくっと立ち上がり、そのカバーに覆われたスキーのもとへと向かった。
かなり大きい、と感じた。
ファスナーを上下に開けて中を覗くと、そこにはやや傷が目立つが深紅に塗られた本物のスキーが入っていた。やっぱりうれしい。
仕方なくも生まれながら小柄でとおしてきた私が、立ったままで腕をおもいってきり天に突き上げてもそのスキーの先っぽには全くとどかない、といった具合だ。
こんなに長いものなのか?さっぱりとわからないものの、なんだかにやける。
足元に置かれたブーツを履いてみる。これもかなり大きいが何か詰め物をすれば大丈夫か?はたしてそんな問題か?まあいい、ところでこのブーツをセットする金具は・・・ガッチャンコか(スキー板のブーツをセットする部分の先にレールと連動する金具がついていて、レールをブーツのかかと部分に引っ掛けてからその金具を前方に押しつける事によりブーツを固定する超旧式タイプ)。スキー部のやつらが使用しているワンタッチのビンディングとは大違いだ、が、まあいい。
あの銀色に輝くゲレンデを滑り降りることが出来るのであれば、なんのことはない。
ふっふっふっふっ、やっぱりにやけてしまう。

とうとうその日がやって来た。
スキー場までの道のり、みんなの持つスキーはコンパクトな気がしてならなかったが、到着してくらべてみるとやはりそれらはコンパクトだった。
私のスキーはどうも見ても非常に長い、背の高い先生のものとなんら変わらない。
それでも、それしかない私はもちろんそれをセットした。
いざゲレンデへ。
それは、とてもちょっとやそっとで向きを変えられる程アマちゃんなスキーではなかった。
腰を入れようが膝を曲げようがふくらはぎをパンパンに張らせて蹴りあげようがスキーはそのまままっすぐにしか進まなかった。さらに合板製なのでめちゃめちゃ重い事に今更ながら気付いた。持ち歩くだけでかなりの疲労感が付きまとう。
その日一日、私は一生懸命にそのスキーと対峙しそして精一杯の力を使い果たした。だが、どうやら周りの好評価にはつながらなかったようだった。当たり前か、どこを滑ってもまっすぐしか進まないのだから。私の力不足・・・そうか私には向かないのか、そう真剣に思ったものだ。
私はこのスキーと呼ばれる屈辱的長板をその後も使い続けた。そしてまっすぐ滑り続けたのである。当時、ミニスキーの方がよっぽど楽しかった事を今でも思い出す。
さらに、中学に入ってからもそうだった。
中学の3年間も、親父のもらって来たその赤い悪魔、レッドデビルに乗り続けた。
周りのみんながどんどんと上達するなか、私のスキー技術はまったく上達の見込みは立たなかった。一向にすいすいとは曲がらないが、山頂からの滑降だけは気持ちよかった。ギュンギュン滑る大雑把な滑降のみが唯一私の得意分野となった。だから、私自身そんなに新しいスキーが欲しいというところまで気持ちがのることはなかった。
5年間私を鍛え続けてくれたそのレッドデビルに別れを告げたのは、私が高校生となった春の事だった。それから今まで、ただの一度もその姿を目にしてはない。
高校を卒業して他方に住居を移して数十年、実家も建て替えなど幾多の変遷を繰り返している間に奴は、レッドデビルはすっかりと姿を消していた、その記憶からも。
時は流れた。
とんでもない長い時間を懸命に歩き続けてきたある冬の夜。
「そう言えば子供の頃、スキーの、あの山頂からの滑降は気持ちよかったよなー」
そんな懐古的ほろ苦い思いが脳裏をよぎった。
「そうだ、スキーだ、またスキーをやってみようかな。今なら体も大きくなっているし少しくらいターンも出来るかもしれない。せっかくの冬だし、挑戦してみようかな」

翌日、私は私に合うスキーを手に入れた。
ほんのりとうれしかった。気持ちの持ちようは幼いころとちっとも変わってはいないようだ。それはとてもいいことだ。
私はあの頃と同じ気持ちを携え、レッドデビルで初めて滑ったその場所へと向かった。以前よりも開拓が進んだようで、ゲレンデが少しばかり広く高く険しくなっていた。
新鮮な気持ちだった。
私はいっきに滑り下りた。何の躊躇もなかった。
スキーは素直に曲がった。ターンもすんなり切れて思いのままにスピードにものった。そして、率直に止まった。ストレスフリーな瞬間移動。とても気持ちよい時間が過ぎた。
スキーっておもしろい。
道具というものは、やはり人に合ったサイズ、それが大事なのだと思えた。もしも、私があの頃に私にぴったりの最新モデルが手に入っていたら、オリンピック選手としての違う道が開けていたかもしれない、なんて事もあり得る。人生は解からないものだ。いやまてまて、身体能力の自己診断からいっても、そこまでは無理があるか。
今にしてスキーを思い出し、そして今を楽しめている事におおきな意味があるのだ。
それも過去の下地があったからこそ、の話だ。
レッドデビルとの出会い、そう、それにつきる。
レッドデビルよ、ありがとう。
私はこれからもスキーを続けるよ、その山が白い雪をたたえ続ける限り。

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