Column

第96話  進化の過程

  朝靄がホラー映画さながらにあたりの造作を覆い隠してはいるが、東方上空にはうっすらと太陽の放つ明りを受け取る事が出来る。あと1時間もすればこの靄もどこかへと追いやられてすっきりと青空が姿を現すだろう。そんな希望的観測を胸に、私はゆっくりと足を滑らせ走り始めた。
 いつもの出発地点には、定かではないがつがいのようないつもの2羽のカラスが電線の上にとまっていて(それらがいつものカラスなのかまたは違う仲間なのかも定かではない)、体を大きく膨らませては一方が「カーカー」と鳴いている。
 見慣れた光景。
 しばらくして海を一望できる芝生地に差し掛かると、ここにもウミネコに交じってカラスが数羽地表を這う虫でも探しているのか、芝生にその鋭い口ばしを差し込み差し込み歩きまわっている。
 そうだ、最近のカラスは歩きまわっている、と思いあたった。
 以前私が庭の草刈りをしている時、一羽のカラスが幅2メートルにも満たない玄関前の細道に降り立ち、鬱蒼と若竹の生い茂る昼間でもうす暗いその小道を奥の方へと歩きだした事があった。何かを警戒するでもなくトコトコと歩く姿は人間でいえば老人の姿にも似て見えた。
 左右の景色をのんびりと眺めてはトコトコ、立ち止まって何かをジッと見つめてはまたトコトコ、まるで慣れた道をそぞろ歩く「散歩」のような感じなのである。私はしばらくの間その人間然とした姿に見入ってしまっていた。
 道としては先に続いているのだが私の位置から見える端っこはせいぜい50m程先まで、カラスは時間をかけてとうとう私の視界から消えさるまで歩き続けた。あの有りようからしてその先にある道までもトコトコと歩き続けたに違いない。

  その芝生地を超え乾いた土の路面も過ぎ、次にアスファルト面へと転じた。
 そのあたりにもカラスの影が散らばっている。賢いやつらはその硬い路面を利用する。拾ってきた木の実をちょうど車が通るところ、すなわちタイヤが通るあたりに置いてセットしておく。運よくその木の実の上を車のタイヤ部分が通過すれば硬い殻が粉砕されて中の実が飛び出る。それをなんなく頂く。道具を使っている、と言っても過言ではない。
 そのジョギング中、私はそんな場面に遭遇した。
 車待ちで電線上に待機中だったそのカラスは、音もなくス―ッと路面に降りてきて、そこに近づく私にその大事な実を略奪されまいとヒョイッと咥えてはひとまず道路わきに寄った。しかし飛び立つ気配はない。私が通り過ぎるのを待っているのか。
 当然のごとく私は前方へと進みその道路わきのカラスにずんずんと近づいてゆく、が、平然としている。最短、私とカラスの距離は2mもない、ずいぶんと腹のすわったやつだ。
 人間観察に長けているのか場馴れしているのかとうとう逃げる事はなかった。
 それからい幾日か過ぎたある日、再び同じ場所で同じような場面に遭遇した。
 前回と違うのはちょうどやつが(これも前回と同じやつかは不明だが)路面に大事な木の実をセットしようとしている最中であった事だ。私がそこに近づきつつあるのをよそに丹念に場所選び、適当な場所が決まったところでそこにその木の実をポトリと置いた。
そして2,3の軽いジャンプのあとふわりと飛び上がりすぐ上の電線へと舞い上がった。
前回は私が近づくとそれを拾いあげてとられまいとしたのだが、今回はなんだか違う。私がそんなものには興味のない安全な人間だと解釈したのか、それとも・・・・えっ。
 まさかこの私、人間として若干ではあるが知能の勝るはずの私を使って殻を割ろうということか。(あくまで私個人の主観であり憶測の範囲をでない)
 私は走りながらしばし考えた。
 それは面白い。
 私は決意した。
 その木の実の近くまで走りながら近づき、私は右足で上にのぼるように踏み込んでやった。
 「イテテッ」
 これがまた硬くてこのクッション性のあるソフトなソールでは全く歯が立たない。何度かトライしてみたが無理。挙句の果てには足裏を痛める始末。
 悔しいので傍らに落ちていた石を拾い、それで割ってやった。
 ズッキンズッキンと波打つ足裏、かるくびっこを引きながら私はその場を後にした。まんまとしてやられた感のあるところだが、まあしょうがない。

  その足裏もすっかりと治った数日後、またまたそんな場面が私の目の前に迫ってきていた。うろうろとやつが車道上で歩きまわっている。
 そのまま徐々に私が近づく。
 やつは悠然とその場にたたずみ私の影を待ちながら、咥えた木の実をポトリと置いた。
 あと数メートル。
 するとやつは軽く腰を下げて飛び立つ態勢を整えた。
 トントンと私の足が進み、やつに肉薄。
 次の瞬間、やつはポーンとジャンプしてそのままムラサキ色の羽を広げて羽ばたいた、と同時に、とがった口ばしから聞きなれたフレーズが飛び出した。

 「オハヨー!オハヨー!」

 えっ!
 私は耳を疑った。
 「おはよー」と私はやつに言葉を返すべきか、まてまて、そんなささいな問題ではない、一大事である。やつが、カラスがしゃべったのだから。
 「おいおい、あいつオハヨーっていったぞ、聞いたか?」
 いつも私の傍らを一緒に走っているダイの面影にそう尋ねた。
 「そんな事あるか、空耳だろ、アホか」な横目で私を見上げたような気がした。
 確かに私にはそう聞こえていた。
 もしかすればコントロールできそうな私に対して親近感をもった、と言うことか?
遠目にやつの姿をとらえた時に足元に転がる小石をすでに私は拾い上げていて、その木の実を割ってやろうと考えていたのだが・・・・止めた。
 やつらはどこまで進化をとげるのだろう、末恐ろしい、そして人間のはしくれとしてもやつらに使われてはいけない、そう思った。
 小石をぐっと握る右手をダルビッシュばりに振りぬき、傍らに広がる広葉樹の森の奥にそれを投げ捨てた。

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