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第94話  老いらくの温泉記

  小学校低学年の頃の祖母との銭湯通いは遊びプラスの本当に楽しいとひと時といってよかった。その後もなんの努力もあてもなく小学校高学年へと成長していくのだが、そのあたりからは祖母の家を離れ、生活の基盤が整ったと思われる父母の家の方へと移ることとなった。詳しい事はよくわからないが何らかの理由があってこうして離れて暮らしていたのだろう、世間にはよくあることだ。そうして長男である私を筆頭に4人兄弟がめでたくもそろい、父母と6人ひとつ屋根の下にて暮らすこととなった。
新しい家にはそれなりの家風呂が存在し、必然的に例の銭湯通いはなくなった。
私にとって銭湯はいわゆる遊び場でありただ単に体を洗うだけの場所ではなかったのだが、家風呂はただ単に体を洗うだけの場所であった。
ここでは家族6人が一緒に風呂に入るといった節約的しきたりがあり、それぞれの体の洗いから湯につかる時間までが厳しく管理された。とりわけ湯につかるだけの時間が私にとってはかなりの苦痛をともなった。父親が決めた3桁を超える数を数えるのだが、その道のりの長いこと。湯船から解放された時には毎回洗い場にしゃがみ込んでしまうくらいに意識が遠のいた。
この経験において私は、生まれて初めて熱気に弱いことに気付かされ、そしてそれが心のどこかに刻まれた。じっと湯につかっていると目の前が回転し始めて息苦しくなってくる。しまいには体の力が抜けて気が遠くなる。とてもじゃないが意識すればするほど長い時間湯につかってなどいられなくなった。
考えてみれば幼い頃の銭湯、「マブチモーター」で遊ぶ時以外は湯船のなかにいなかったし、大半は洗い場にいて石鹸やシャンプーを無駄に使っては大量の泡をつくって遊んでいただけだった。ふと脳裏に浮かぶあの銭湯の奔放な解放感が懐かしく思われたが、新たな生活環境のルールのなかではどうすることもできなかった。
それから数年、中学生になると風呂はひとりで入るようになった。
そこからはカラスの行水と言っていい、湯にはほんの一瞬浸かる程度となり、そのうちシャワーだけですませる事も増えはじめ、次第に湯はそこにあるだけの存在と化した。

それからまた数年がなんの前触れもなく音もなく、そしてまた金銭的余裕もなく流れた。
私は名もなき社会人となっていた。
初冬を向かえたさみしい温泉街、休日にたまたま車で通りかかった古くからの温泉宿の密集する場所に私はひとり、ぼんやりと雲を眺めていた。
こんな中途半端な時期、各温泉宿にあってみるからに客が無く閑散としている様子で、通り全体がどんよりと灰色に霞んでいる。
この時、私はどういう訳だか不意に風呂に入ってみたくなった。なにか目に見えない大きな霊力のようなものに強くひかれたのかもしれないし、また、誰ひとりいないだろう空虚なる空間をひとり占めしてみたくなったのかもしれない。
私は通りの奥の方にひっそりとたたずむ一軒の温泉宿の前に車を止め、温泉だけでも使えるのかを確かめ、そして料金を支払った。
その宿の温泉はめずらしく地階にあった。
うす暗い照明が赤黒い絨毯を敷き詰めた狭い階段を照らす。恐る恐るあたりを確かめるように用心深く階下におりて行くと、そこには2坪ほどの簡素な脱衣所があり、全面ガラス張りの引き戸の向こう側には湯気が漂う10坪ほどの空間がひろがっていた。湯船はひとつ、4坪くらいか、全体的に程良い、と言った広さだ。
案の定人っこひとりいなかった。
受付で買ってきたその温泉宿のネームの入った白いタオルを手に、私はなみなみと注がれ続ける褐色の湯が浴槽の縁からザブザブと溢れ出る程にどっぷりとつかった。

フゥ―ッ!
気持のいいものだ、あまりの心地よさに深い息がもれる。
熱泉が刺激的に全身の皮膚をさすが、それがまたたまらない。両手で湯をすくいあげ顔面にぶちまけて上下にさすり、次にその湯の中で交互に腕をさすった。
フゥーッ!
再び長い息がもれる。
久しぶりのどっぷり入浴、極上気分につむった目が開かない。まるでこのまま足先から痺れてとろけてしまいそうだ。普段なら10も数を数えたらいそいそと湯からで出るのだが、この時ばかりは違った。誰もいないこのだだっ広い空間は今私だけのものであり誰に気兼ねすることもなかった。それをいいことに、私はその浴槽の中央あたりまで進みごろりと仰向けに浮いてみた。下方に腕を伸ばすと指先がギリギリ底についた。すると、まる
で空中を漂う布切れのようにふにゃふにゃと全身がなびいた。頭のなかはからっぽになり全身の力がすぅーっと抜けた。これだけ長い時間湯の中にいたことはかつてなかった。
私はとうとう湯にゆっくりと浸かることのできる人間になったのだ、そう思った。
そんな時だった。
突如として首の後方あたりが重くなり、妙に熱くなった。
同時に息苦しさを感じはじめた私は底から体を支えていた腕をゆるめて態勢を変え、静かに尻からその底に沈みこんだ。
全身の力は奇妙に抜けていて湯の微妙な揺れにも体が振られてしまう。汗が滝のように顔面から噴出し私を取り囲む熱気にすら嫌悪を感じはじめた。
明らかに湯に浸かりすぎていた事をここで自覚した。
私は一刻も早くこの浴槽から出なくてはいけないと考え、その場に立とうとしたのだが腰が抜けたように左右にふらつき立ち上がる事が出来なかった。思考の半分は熱でやられ、目に異常なまでの量の汗がしたたり、あたりの景色が思うようにつかめない。
「縁はどっちだ・・・」
私は浴槽の底に尻をすりながら進みその先にあるはずの縁をめざした。
ますます体温は上昇し意識は遠のく。
「やばい・・・」
そう思った。
予備的な底力を信じ懸命に尻をすりすり前方に進むと、やっとこさその縁だろうと思われる部分にたどり着いた。腰が抜けたように腑抜けた私は、鉛のように重くなった右腕をよっこらしょっと伸ばしその縁に右の脇をかけた。湯からの最初の脱出に成功したその右腕の上に上気し過ぎた右ほほをのせ、追って左腕を伸ばして左の脇も縁にかけた。まるで命からがら救命ボートにしがみついたような格好だ。この両脇のかかった時点でそのままこ
の縁をいっきに超えようと試みたのだがやはり腰が浮いてこない。
「まじ・やばい・・・」
私はその両脇が縁にかかったままの体位を保ち、まず左足をその縁に上げてみることを試みた。皮膚感覚のなくなりつつあるその左足をくの字に折り曲げ、突端と化した膝の部分をよっこらしょっと縁にかけた。そこから、未だ湯の中に取り残されている哀れな右足の膝を立てるように突っ張り、後は懇親の生きる力を震わせ、幅20㎝程のその縁に腹ばいに乗り上げる事に成功した。
「やったぁ・・・」
それでもそこから立ち上がることはやはりできなかった。私はそのまま転げるようにタイル張りの床のうえに落下した。体は半回転して天井を仰ぎみるように投げ出された。
「助かった・・・」
そう思ったとたん、記憶が飛んだ。

冷酷にもどれくらいの時間が勝手に過ぎ去ったのだろう、目が覚めた時、浴室内には西日が差しこんでいた。気を失っていたのかもしれない、そう悟った。
運よく覚醒してからも、私はしばらくの間そのままの態勢で横たわっていた。
「たかだか4、500円でどんだけ湯に浸かってんだ、こいつ」
旅館の番頭にはそう思われていたのかもしれないが、生還できて本当によかったと言うしかなかった。世界の片隅でそんなちっぽけな事件があってから、私のシャワー生活が再び始まった。

やったぜ生還万歳事件から数十年。
私もそれなりのおっさんとなり、体力維持も含めてジョギングなんてものを始めていた。
そんなにわか健康お宅のおっさんが、にわかに走りだせばやはりあちらこちらに支障をきたす。各パーツパーツが張っては痛み出し、これではいけないと思いたったのが「温泉」だった。遠い過去のトラウマが疼きだすが背に腹はかえられない。
さっそく郊外にある温泉へと足を運んでみた。
その温泉浴場には大きな温浴槽とこれまた同じくらい大きな冷泉槽があった。これほどまでに大きな冷泉槽をかつて私は目にしたことはなかった。
体を洗い、湯へと体を沈めてみると、フゥーっと自然に息が抜ける。
疲労困憊の体に刺激的な熱泉が心地よい、が、油断は禁物な事は百も承知だ。
そんな緊張感を持って湯に浸かっていると、先客の3人の老人のひとりが湯から上がり、そのまま冷泉へと浸かりこんだ。
冷泉がザザーっと溢れだし、その老人はフゥーっと気持ちよさそうに長い息を吐いた。
すると他の老人ふたりもその後に続き、湯から冷泉へと移り先客と同じように恍惚の表情を浮かべていた。違和感のないこの一連の流れ、ここではこの冷温交互入浴がどうやら当たり前のようだった。過去に一度として入ったことのない水の風呂、私にとってはとても刺激的な光景に映った。
そしてこの時この瞬間、その恍惚とした表情につられてしまったのだろう、私もなんだか入ってみたくなった。
冷泉に浸かっていた老人たちが上がり、それぞれがキープしていた洗い場の鏡の前に移った後、ちょうど脳天がふらつき始めていた私は、意を決し、まるでその一連の動作に慣れ親しんでいる風を装いさりげなく立ち上がると、まずは左足をその冷泉に突っ込んでみた。
「ウヒョーーーーーつーめーてーーーーーー!」
心臓バクバク心の中は大さわぎ、とんでもなく冷たい、されど・・・がまんがまん。
表向きは何事もいなかったように振る舞い、次に私は右足を突っ込んだ。冷たさが容赦なく皮膚に突き刺さる。がまんがまん、さっきの老人たちがこっち見ている。
それでも、どうしても慣れないこの冷泉に一気に浸かることはあきらめた。かっこ悪いがちょろちょろと腰回りと腕回りに水を引っ掛け、それから唇を噛みしめじわりじわりと冷泉に沈み込んだ。
「ヒーーーーー・・・んっ、えっ、なにっ、なんだか・・・気持ちいい?」
なんなのだ、この新感覚、冷泉に入ってしまうとなんとさっぱりと気持ちのいいことか、
ふやけてきていた脳天がしゃきりと引き締まり、ぼんやりと焦点をなくしていた視野が正常に戻った。そしてまた上気したようなあののぼせ感覚も瞬時に消え去った。
「これだ!」
私はそう確信した。これこそ本来私がとるべき入浴の姿なのだ。ただ単に熱い湯に体を浸すだけの単調な入浴ではとうてい得られない充実感。私はこの後、3回程この冷温入浴を繰り返した。ゆっくりと湯に浸かり、そして冷泉で身を引き締めた。

毛細血管をも押し広げる勢いの血流が体全体を循環しているのがわかるような感覚、湯から上がった後も爽快でいて温かい。これからはこれだ、これに限る。
私のあらたな温泉人生がこの時、幕を開け始めた。

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