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第85話  陽光のごとく

男との出会いはほんの道草からであった。
それは1984年、強烈な太陽が雲ひとつない真っ青な大空に二重三重に列なる眩いばかりの光輪を投げかけていた夏の日。
リアス式の入り組んだ海岸線と並走する起伏に富んだ蛇行路の一端に、マリンショップ「リップカレント」はあった。そこは白砂の浜を介して大海原を臨める全く持って美しいロケーションで、たまたま通りすがった私はふらりとその店のドアを開けたのである。
「いらっしゃい!」甲高い声が店内に響いた。
その声の主に私は一瞬息をのんだ。
「えっ、ライオネル・リッチー?」強烈な陰影が網膜に焼き付いた。
まるで無国籍な風貌のその男は人懐っこい笑顔で私を向かえ入れてくれた。すらりと縦に伸びた体躯は真っ黒に日焼けし、それとは対照的な真っ白のポロシャツがやたらと似合っていた。
店の玄関ホールには数々のサーフボードや関連グッツが無造作に展示され、その奥には丸型のコーヒーテーブルも用意されていた。レジカウンターと併用のショーケースの中にはシーナイフなど数種類のナイフが整然と陳列されており、興味をそそられた私は、この時、その中の最も美しい一本を購入したのである。
その男の名は堀内功と言った。
皆は親しみを込めて「掘さん」と呼んだ。
この偶然の出合いから、旧知の友さながら全く飾らないその「掘さん」の人柄に強くひかれ、私は繋がりを深めていく事となった。
数年後、彼は相棒としてひとりの男を向い入れた。彼はその男に対して商売のノウハウを事細かに伝授する事もなく、ただ一言穏やかに告げた。
「お前は海に行ってサーフィンだけやってればいい、店の方は大丈夫だがら」
そう告げられた男はその通りに黙々と大海原へと挑み続けた。
平然と構えてサーフィンだけをやらせる男と、世間の戯言など意に介さず来る日も来る日もサーフィンだけに明け暮れる男。一途なまでのこの二人はまさしく出会うべくして出会ったのだ、と私は思った。
いくつかの季節が通り過ぎる頃、その男のサーフィンは世間の噂になる程に上達していた。
「そのボードどこのやつですか?どこで買ったんですか?」
巷のサーファーの間でもやはり話題に登った。
上を目指すサーファー達は次第にその男のもつそのサーフボードを求める様になり、次々にショップへと足を運ぶようになった。
掘さんの読み通りだった。
これを機に堀さんと出会った人々は、その自然体でいて繊細な気遣いと、大きな包容力を含んだ優しい笑顔につい惚れ込んでしまうのである。
私自身はと言えば、突飛とも言えるその人の育て方と先見性に大きな感銘を受けたものだ。常識と言った極めて曖昧でちっぽけな知識の塊を目の前で打ち砕かれた思いがした。そして、なによりカッコよかった。
この地のマリンスポーツ全体を牽引して来たと言っても過言ではない彼は、2009年早春、大きな帆を広げ天へと旅立った。
ヨットでの大冒険から国内外での珍道中に至るまで数々の奇話や逸話を屈託のない笑顔で話す彼の姿が今でも鮮明に脳裏に甦る。肩肘張らない自由な生き方を貫いた人だった。
「いいがら、お前はサーフィンしに行ってこい、俺は大丈夫だがら」
最後に相棒が耳にした言葉は、遠く懐かしい記憶と同じものであった。
彼の元から育って行った数多くの人々の心の中で、今でもあの太陽の様な温かい笑顔が揺き、そしてみんなに大きな勇気を与えてくれている事だろう。

(デーリー東北新聞連載・第4話)

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