Column

第73話  ナイスショット?

生まれて初めてのゴルフコース。
午後からのラウンドは風雨の激しいものとなった。
大型台風の接近にともない、ちょうどお昼を過ぎたあたりから、まず風が強く吹き出した
。コース脇の針葉樹林は樹体を大きく揺らし始はじめ、ラフに生い茂る背の高い芝などは
右往左往と風に身を任せては震え出した。
まだ雨の方は降ってはいないのだが、やはりそのうち降り出すだろうと予感させる空の色
であった。
「午後、どうします。こんな天気だけど回られます。他のグループの皆さんはどうやらあ
きらめて帰られたみたいですよ。」
午前中一緒にコースを回ってもらったキャディーが、昼食を済ませて歓談中の私達の所へ
とやってきてはそう言った。
私達は決めていた、どんなに空が荒れようともできる限り頑張ってみようと。
「もちろん出ますよ。」
O二号が普段と変わらない落ちついた様子で答えた。
その言葉に私達はうなずいた。
「解りました。それじゃあなるべく早めに出ませんか、この空模様ではかなりの確率で雨
になると思いますよ。風はすでにこんなに強いですからね。」
「そうですね、そうします。12時45分までには下に行きますよ。」
再びO二号が、私達に確認を求めるよう順繰りに目を合わせながら言った。
私達はうなずき、そしてそれと同時に席を立った。

雨具の準備をして来なかった私とOは、1階のロビー脇にある売店でナイロン製のカッパ
を買った。上下で7140円。これが一番と言う訳ではないがまあまあ安くて、しかも私
の感性の及ぶ範囲内にあるものだった。その他は2万だ3万だととんでもない値段がつい
ている。軽い気持で参加している私にはとうてい手が出るはずもなく、ましてそれらは、
見るからに本格的な仕様となっていて初心者の私にはかなりの抵抗感があった。
Oも私と同じものを手にとっているのが見えた。

10番ホールへと私達を乗せたカートは到着した。
さらりと身を翻してカートから飛び降りたキャディーは私達を一瞥し、そして言った。
「さあさあっ行きましょう」
いかにも急がなければ、といった意味合いが伝わってくる。
「誰からでしたっけ、あっあなた、さあっどうぞどうぞ!ここですよここ、ここから行き
ましょうか」
手を上げていたOは、そのあまりの威圧感にドギマギしながらもキャディーの指示に従い
前へと歩みでては手持ちのボールをピンの上へとセットした。
そしてそのまま大きくバックスイングをとったOは、その不安定な気持のまま力一杯にド
ライバーを降り下ろした。その自己主張皆無型ドライバーのヘッドは、ピン上のボールの
左端をするりと舐めた。ボールは否応無しに、見事といって良い程きれいな楕円を描きな
がら右の林の中へと消え去った。
Oの額からは大粒の汗がポコポコと溢れ出した。
こうなってはいけない。午前中も乱打戦を凌いで来ていてすでに意気消沈気味のOにとっ
て、再びの悪夢の始まりである。この大事な序盤のところでキャディーはOを急かしては
いけなかった。奴の全身はすでに怒りのエネルギーが充満し、背中はブルブルと震えだし
ていた。これはいつ爆発してもおかしくはない状態である。
Oのそのぶざまなショットを見ていたKYのキャディーは言った。
「いいよいいよ、今のは無しで、すぐ次ぎ打って」
(やばい、奴はきっとそのクラブであのキャディーをぶん殴るかもしれない)と、私の脳
裏を不吉が過った。何かあったら直ぐにも止めなければならないと感じた私は一歩前へと
踏み出した。
だが、奴はじっとその屈辱的な言葉に堪えていた。会わなかったここ数年間で少しだけ大
人になっていたのかもしれない。
奴は手に持った真新しいボールをピン上にセットすると、再び大きく降り抜いた。今度は
、ボールは前へと飛んだ、10メートル程先きだったが・・・・。
キャディーの口調にやや刺々しさが加わった。
「はいはい次の人、あなたなの、はいはい打っていいわよ!」
私達はその敏腕キャディーに急かされるままに次々と小さなボールをかっ飛ばしたのであ
る。

11ホールへと向う途中からついに空が泣き出した。
「ほらっやっぱり来たでしょ、言った通りでしょ、どうする?まだ行く?」
キャディーは左腕の時計に目を向けながら言った。
「はいっこれくらいならまだ大丈夫ですよ、なあみんな」
私の呼び掛けにカートの後部座席でみんながうなずいた。
「よっぽどお好きなのねっ、みなさん」
(しょうがないわね)といった表情を浮かべたキャディーの操作するカートは、そのまま
カートレールを次のコースへと突き進んだ。

11番ホールを難無くクリアーし、12番ホールへと到着すると雨が一段とひどくなって
きた。風も増々強くなったせいもあり、遠くの景色が霞んでハッキリと見えなくなってき
ていた。そんな悪条件でも私達は前へ前へと進んで行った。大粒の雨と風、全身が濡れた
事による冷えが私達を襲い、当然のようにあちらこちらにショットはぶれて行く。
「ナイスショット、はいはい、ナイスショットナイスショット、さっさっ早くして、早く
打って!」
キャディーの口調がどんどん荒々しくなっているのがわかる。
Oに至っては、耳を塞ぎたくなる程の罵詈雑言に全身うちひしがれていた。
「もう誰も見ていないから、そこから打っちゃって、そうそう、もうそこから打ってもか
まわないから、さっさと打って」
慌て続けているOは、あちらこちら見知らぬ開拓地へとボールが飛散する。

風雨が激しさを増した。
完全に激しい雨は激しい風に乗って私達を真横から攻撃してくるようになっていた。目の
前のグリーンと呼ばれる円形の平地は小さな池と化し、穴の位置は風に撓っている旗のあ
たり、と言うしかなくなっていた。これでは、ここまで来ればさすがにゴルフにはならな
いだろう。
「もう〜こりゃ無理ですね」
O二号が強い風に目を細めながら言った。
「うん、さすがにこれじゃ出来ないですよ。今日はあきらめましょう」
続いてKが左手のグローブを外しながら言った。
「うんうん、そうだな」
私とOがキャディーの方を見ながらうなずいた。

そのタイミングで、にやりと顔をゆがめながらキャディーが叫んだ。
「だから言ったでしょ、さあ帰りましょう、みんなカートのって〜〜〜〜〜〜」

風雨が野山を激しく揺さぶる中、颯爽とカートを操るキャディーの横顔は勝ち誇って見え
た。このまま無理して最終ホールまで突き進んで行ってもかまわないのだが、それは単な
る大人の偏屈な意地と言うものでしかなく、何の意味もない。これで良かったのだ。
カートの後部座席でぐったりと黙りこくっているOに目をやると、今朝からの半日で随分
年をとってしまった様に見えた。そうだよな〜あれだけ散々言われ続けたら無理はないよ
な〜と思った。晴れ上がった真っ青な大空に響き渡る「ナイスショット」、この掛声だけ
がOの生気を甦らせてくれるのかもしれない。

夜半から翌日に掛けてこの台風が信濃の大地に惨事をもたらした。

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