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第70話  ひと言連鎖

夜も深い。
私の右手首に力強く巻き付いている腕時計の針はすでに午前2時を回っていた。

2年振りだろうか、私はKに会う為にM市を訪れていた。
仕事の方も一段落するだろう夕方、繁華街にある一件の居酒屋に集合する事にした。メン
バーはKとその女房I、そしてスタッフのひとりC。まだまだ他にもスタッフはいるのだ
がそれぞれ用事があると言う事で今回は残念ながら合流する事は出来なかった。決して私
が嫌われているという訳ではない・・・・・事は一言触れておこう。
この老舗の居酒屋ではこの土地の特産物を揃えた食事を堪能させてもらった。2軒目は小
洒落たカウンターバーで過した。話が弾むのと比例するように皆の酒も進んだ。話題も尽
きないものだと感心する。
ふっと気が着けばこんな時間、この店も直に閉店となる時間らしい。
飲み足りなかった私達は次にK夫婦の住むマンションへと向かったのである。

彼等の住むマンションは繁華街から程近い便利な場所にあった。仕事場にも徒歩数分と言
った気軽さで、立地条件としてはこのうえないものである。
例のバーを出た私達はほんの十数分でここに到着したのである。

「俺もう寝ていいっすか。疲れちゃって!」
着くなりKは疲れきった腫れぼったい目を軽く押さえつつ私へと言った。
「いいよいいよ、疲れたろ今日は。俺も軽く飲んだらホテルへ帰るからもう寝なよ」
私のその言葉を最後まで聞き終えるまえに奴は寝室へと消え去った。
昔とちっとも変わってはいない。

残った私達3人は再びビールで乾杯した。真っ赤なソファーと大きな観葉植物が印象的な
おしゃれリビングだ。壁側の中央部分には50インチの大型モニターが黒く光っている。
私は手元にあったリモコンでそのテレビのスイッチをオンにした。
画面にはレオタード姿も美しいスレンダーな美女がなにやら大掛かりな器具を使って運動
をしている姿が映し出された。テレビショッピングの時間だ。この時間帯にはこの手の番
組がどこも目白押しだ。

するとここで思い立ったようにIが言った。
「ねぇ、あれ見ましょうか、私達の結婚披露宴のDVD。この前やっと編集が終わって届
いたとこなの。みんなカッコ良く映っているよ」
「おお〜いいね〜ぜひ見よう見よう」
私とCは二つ返事で答えた。
KとIの結婚披露宴・・・
あれは確か今から5年も前になる。
私が生まれて初めて仲人という大役を頼まれたものだ。あの厳粛な雰囲気のなかで私は心
地よい緊張感を味わう事が出来た。私にとって良い経験であった事は確かだ。楽しかった
思いが私のなかに甦る。映し出された大きな画面のなかには「その日」のみんなの笑顔が
あちらこちらに溢れていた。

懐かしい。
たかだか5年前とは言え、なんだか遠い昔の出来事のようでもある。
私達は時の経つのも忘れてその画面に見入っていた。めくるめく場面場面に一喜一憂しそ
して沸き上がる思いをそれぞれが語っていた。
2時間も経過しただろうか、画面が暗くなる頃にはすでに時計は午前4時を回っていた。
あまりにも時間の流れが速いと思った。楽しいひとときなんていつもこんなふうに瞬く間
に過ぎ去って行くものだ。
「いや〜楽しかったよ。これはお宝映像だね」
私が言うとすぐにIが続いた。
「あっこのDVDもってっていいですよ。ダビングしたやつなんで」
「あっそう、それはうれしいね〜ありがとう。じゃあ時間も時間だしそろそろホテルに帰
ろうかな」
私もそろそろ一休みしなくては体がもたない、あと数時間もすれば次の出張先まで移動し
なくてはいけないのだ。
私はおもむろに立ち上がった。

「記念に時計を交換しませんか?」

この絶妙なタイミングでCのひと言が出た。
さりげなく、極自然に、物事は何の障害もなくこのまま突き進んで行くものだと言わんば
かりに。
「ああ、いいよ」
そのなめらなか言葉の流れにまるで押し流されるかのように私の口が動いた。
返答に掛かった時間はほんの一秒のものだろう。
この一秒間の隙に私の頭のなかではたくさんの事柄が駆け巡っていた。まずその「記念」
と言う意味がわからなかった。「記念」っていったいなんなのだ。そしてそこで、なんで
時計を交換しなくてはいけないのだ。これはこの地方の習わしなのか。それともCの習慣
的な時々にある挨拶のようなものなのか。そう言えば確かこれと同じ出来事が以前にあっ
た。そうだ、かなり前、Cの上司であるK、先程先に寝てしまったKが彼の友人の結婚式
に呼ばれていて八戸に来た時だ。あの時も夜遅くまで私達は酒を酌み交わした。そんな時
だった。
「記念に時計交換しませんか」
やつが言った、確かにKが言った。
その時も私はふたつ返事で「いいよ」と答えた。
なぜならこの時の私はその時計が二重に見える程に酩酊していた。
翌日、重い目を擦りながら自宅で目覚めた私は、私の右腕に巻かれている時計を見て愕然
としたものだ。時計を交換したのはうっすらと記憶の片隅にあった。だがこの真っ赤な小
ぶりの時計はどう見ても無骨な私に似合う代物ではなかった。むしろ付けている事に気恥
ずかしささえ感じた。
早速私は奴の携帯に電話しては昨日の不備をあやまり、そして事無きを得たのである。あ
のきらびやかな時計はやはりやつにしか似合わないものであった。
と言う事は、そうか、これはやはりこの地方に伝わる風習なのか。
と、巡った。

「じゃあこれ自分のやつをやります」
C自身が外した時計を私に手渡した。
「はいはい、じゃあこれ」
私自身もこの流れのままに右手首から外した時計をCヘと手渡した。
「ところでC、この時計ってどうゆう時計なの、たとえばいつから使っているとか・・・
こんな思い出があるとか・・・」
「はい、これはここに入社した時の初給料で買ったやつなんです。」
真直ぐに私を見据えた目がきらりとまたたいた。
私は思った・・・・そんな気持ちの入ったものは・・・貰えないと。

数年前まで私は時計をしない人間であった。店ではもちろん時計なども売っているという
のにまったく興味は沸かなかったのだ。だが、たまたま入荷した時計のなかに「これはし
てみたい」と思ったやつがひとつだけあった。しかし直ぐにそれをする事はなかった。な
ぜなら大切な商品だからだ。それを入荷とともに手に入れる事は出来ない。
しかし、その時計はいつまでたっても一向に売れる気配がなかった。何ヶ月が経とうが何
年が経とうが全く売れなかった。そこで「それなら・・」と私が請け負った次第だった。
いざ腕にはめてみるとまたこれがしっくりとくる。ただそれだけの事だった。
Cのその人生の節目的想いは私にとっては重すぎた。
「そうなんだ、そんな節目の時計なんだ。いいよ、これももってろよ。せっかくの記念な
んだし。俺はもともと時計は無くてもいい人間だから、無くったって大丈夫」
「そうですか、それじゃあ遠慮なくもらっておきます」
無邪気な笑顔でそう言うと、Cは素直に受け取った。
酔っているはずの私の神経はその時点で覚醒していた。
今回はもう後戻りは出来ない。

帰り道、あらゆる束縛から解放され私の右腕は、軽やかに振れていた。

あれから3年が経つ。
奴の左腕では懐かしいあの時計がしっかりと時を刻んでいるのだろうか。
刻んでいるとすればそれはそれで嬉しいことなのだが、私としては、まるで「わらしべ長
者」のようにはあの時計を元手に数々の交換をくり返し、現在では超高級でいながらも「
だれもこんなのしないだろ」的悪趣味な時計がさりげなくはめられている事を望んでいる。

再会が楽しみである。

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