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第69話  これって…。

ランチは全員分まとめて買い出しに行く。
なかでも数人は母親もしくは自作にて栄養バランスの整った手作りの愛情弁当を持参する
のだが、それ以外は近くのデパ地下にある食品売場でまとめて弁当を買ってくるのである

なかでも私のお気に入りは老舗デパート「M屋」の地下食品売場にある「M政」で出して
いるチキンカツ弁当だ。ここ「M政」は注文を受けてからそのカツを揚げてくれるのでサ
クサクの状態で食する事が出来るのがなんといっても魅力だ。そのチキンカツはひとつの
弁当に4枚もしくは5枚入っている、この1枚の違いは作る人間によるものなのかグラム
数によるものなのかは定かではないが、やはり5枚の時は当たりなのである。また特製の
ソースが付いて来るのだが、それがなかなかの絶品なのだ。その特製ソースをたっぷりと
からめたチキンカツをサクリと頬張ると至福な時があたり一面を包み込むのである。また
、カツカレーもお気に入りのひとつである。日曜日などの来客の多い日などはもっぱら簡
単に食える“それ”になるのである。以前に比べてカレーの味はかなり私好みになってい
るように変化していると思うのだが、どちらかと言えば私の舌の方がそちらに歩み寄り長
い時間を掛けて馴染んで行ったのかもしれない。

ランチを買うのはなにもその店だけではない。「M屋」の地下フロアーには和食から中華
、イタリアンからアジアン、各種お惣菜などなど郊外スーパーなみの食品群が揃っている
。その他ファストフードの店だって表の商店街には数々軒を列ねている訳で、その日の気
分で選び放題なのである。
(だが、案外注文するのはいつもの何かとかなり小さくまとまってしまう)
それでも、そんなに揃っていても、人間と言うものは我がままなもので、どんなにうまい
もんでも決まってそのうち飽きてしまうのである。あそこのあれはこの前食べたし、あれ
は昨日食べた、う〜ん今日は何にしよう、などと真剣に悩んでしまうのが常である。この
「何食べようか」思考の迷路に一歩踏み込みそして迷いこんでしまったら最後、ここから
抜け出すのにはかなりの時間を要するのである。

それは雪のちらつく寒い日だった。
「今日の昼は何がいいですか?」
Tがメモ帳を片手に聞いて来た。
こんな寒い日には何がいいだろう。私はしばし考え込んでしまっていた。
が、その果てしない迷路に迷いこむ寸前にひょっこりとひらめいた。
そうだ、今日はこんな日だから(うどん)だ。(鍋焼きうどん)がいい。熱々の(鍋焼き
うどん)のあの天麩羅の破片とツユの混じりあったとろとろ具合のスープにつやつやのメ
ンをからめてずるずるっとすれば、口の中には高級料理をも超える馴染みのうまさが広が
る、そして身も心も温々になるだろう。
「俺は〜今日は(鍋焼きうどん)がいいな。(鍋焼きうどん)で行くぞ。」
いかにも決断力があるだろ〜顔でTに告げた。
「いいっすね〜(鍋焼うどん)、いや〜お袋が今日弁当作ってくれたからな〜そうじゃな
きゃ絶対俺も今日は(鍋焼きうどん)でいってましたね〜う〜ん、いいっすね〜」
Tはがっかりとした表情で肩を落とした。
「ば〜か、手作りの弁当の方が断然うまいだろ。作ってもらえるだけでもありがたいもの
だ。おかずとして中に何が入ってるのか開けるまでワクワクするし、それにやっぱり健康
的だよな。お前の(鍋焼きうどん)は次回だな」
「そうすね、そうします。おふくろの弁当はホント助かってますよ。ちなみに今日は俺の
大好物の稲荷鮨なんすよ。これが最高なんすよ、エヘッ!ところ(鍋焼きうどん)ですけ
どどんなやつ買って来ます」
どうやらきっぱりと諦めもついた様子で私に聞いて来た。
「そうだな、あのアルミの鍋に入った簡単なやつを頼むよ。多分それにもあれこれ種類が
あるかもしれないけど、今日はちょっと豪華なやつをたのもうかな。麺と丸いスポンジみ
たいなやつがちょこんと入っただけのやつじゃなくて、具沢山の贅沢なやつで行こうか」
そんなに値段の高いものではないので今回は奮発してみようと思った。
「わかりました、中でもとびきりのやつを買って来ますね。いいのが揃っていればいいっ
すね。後はみんなのやつを聞いてから、それで行ってきます。あっそうだ、その他おにぎ
りなんかはいいっすか?一緒に食うとうまいっすよ。」
「おお〜おにぎりはいいね〜あったかいスープに冷たいおにぎり、これがまたうまいんだ
よな〜、よし、もし普通の(鍋焼きうどん)しかなかったら(おかかのおにぎり)を1個
買っきてもらおうかな、だけど例の(具沢山の豪華鍋焼きうどん)だったらおにぎりはよ
しとくよ、それで頼む」
「オッケーです。それじゃあ行ってきます」
Tはその小さなメモ用紙をポケットに押し込むと次の御用聞きの為に2階へと向かって行
った。

30分もすると白い大きなナイロン製の袋を抱えたTが戻って来た。
それぞれが注文したものを全て買い終えた満足感がその表情からはうかがえた。そうなれ
ばきっと私の注文してあった(とびきりの鍋焼きうどん)も絶対あったに違い無い。それ
は楽しみだ。私は昼休みの時間が待ちどうしく思えた。

雪もちらつき出したなかだるみな水曜日、来客は少ないのだが商品の入荷が多かった為に
それなりに忙しい時間が流れた。検品からサイジング、ネット用に詳細を記載しなければ
ならない。午後の1時を少しばかり過ぎた頃、それらチェックも一段落し、とうとう私の
昼食の時間がやって来た。
「今行くぞ、待ってろよ(鍋焼きうどん)!」

昼食は交代でひとりづつになる。小さな台所のついた3坪ほどのレストルームが店の片隅
にあり、そこでは軽い調理もできるようになってうる。私がその部屋に入ると、テーブル
の中央にはみんなの注文分を掻集めたあの白い大きな袋がひとつ置かれてあった。この中
に私の注文した例のものも入ってあるはずだ。
袋の口は閉じてはいなかった。
その口を大きく広げてみると一番上に私の注文した奴と思われる具沢山にこんもりと盛り
上がった(鍋焼きうどん)がのっかっていた。その下段には数種の弁当が積み重なってい
るのが見える。私は迷わずにその一番上にある私のものだろうと思われるものを手に取り
うっとりと見つめた。それはすごいものだった。かつて私が(鍋焼きうどん)としてスー
パーなどでお目にかかったこともない程の豪華なものだった。しめじから白菜から大振り
のネギ、ましてや桜の花びらにカットされたニンジンまでもがトッピングされ、中央部分
には生タラの切り身までついているのである。豪華すぎる程の見栄えなのだ。あっと思い
たち、その袋の底の方を覗いて見たのだが当然のごとく(おかかのおにぎり)の姿はなか
った。

値段をみると525円、これだけの具材を考えるとお買得なのは間違い無いようだ。早速
それらを包み込んでいたラップを外しにかかった。ラップは素直に外れポロポロと数個の
野菜達がテーブルの上にころげ落ちたのだが、すぐにそれらを拾い集めまた元の位置へと
戻した。スープ用の水を入れなければならない。何処か片隅に粉末のスープの元が入って
いるはずだ。具材のなか程に隠れているかもしれないと私はすみのあたりの野菜を脇へと
移動させてみた。すると茶褐色に濁った液体の入ったビニール袋が姿を表した。
「なんだこれは?・・・かなり昔にどこかで見た覚えがある」
私の胸中、イナズマの様にいやな予感が走った。
もりもりに盛り上がっていた全体の下半分以上はやはりその袋が占めていた。それには大
きなカタカナ文字でストレートスープと記されている。
うどんの姿はどこにもない。
「まさか・・・・・」
この時点でしっかりと確認が出来た。
「おいおいっこれって(鍋焼きうどん)ではなくて(タラ鍋)ではないか!」
私はそのストレートスープの袋を上の具材がこぼれ落ちないようにそっと取り出した。あ
の具沢山に見えていた最初の様相は一変した。野菜やタラの身がアルミの鍋の底に薄っぺ
らに残った。どうひいき目に見てもたいした量では無い。
どうしよう?
どうしようったって・・今私にはこれしかないのだ、これを食うしかないのだ。
私は取り出したストレートスープをそのアルミの鍋の中に注ぎ入れた。
やはりたいした量ではない。
「昼に鍋って・・・こんなの考えた事もない・・・」
私は簡易コンロのスイッチをひねった。
青い炎が勢いよく歪なアルミ鍋をくすぐる。そのうちグツグツと茶褐色のスープが沸き出
した。あたりにカツオダシのいいかおりが漂い出した。タラもいい具合に色付いた。どう
やらタラ鍋が仕上がったようだ。
テーブルへと運び、私は側にあったハシを手にとった。
ほぐれかけたタラの身をひとかけら口の中に放り込んだ。
うん、まあ、まずくはない。しかしなんなのだこの釈然としない空気感は。言葉にはなら
ないせつなさだけが心を支配する。次にスープが染み込み半透明にまで変化した白菜をひ
とかけら口へと運んだ。やはり白菜の微妙な歯触りと共にわびしさがつのる。そうやって
チビチビとつまんでいるうちに、そのアルミの鍋の中には茶褐色のスープだけが残った。

腹には満足感どころか中途半端な空腹感が残っている。
私は真剣に思った。
「何でもいいからもっちりとしたものが食いたい」

うどんに対する期待度が大きかっただけにその落胆度もまた大きなものだった。
私は途方に暮れていた。
何も口にしてはいない時の空腹感よりも、このすこしだけ口にしていて後がつながらない
もどかしい程の空腹感の方が危機的だ。気が着けば私はどこかに何か食い物はないか探し
ていた。
しかしある訳は無かった。
すると不思議な事に乾いた笑いが込み上げてきた。心の奥底にある敏感な部分がグラグラ
と揺れ出し、まるでサイダーの泡のように笑いの泡が吹き上がる。
私がこの小さな空間にひとり閉じこもってうちひしがれているという悲惨な今、Tをはじ
め皆は私が「豪華な鍋焼きうどん」を豪快にすすっていると思っているに違いない。Tは
あの大きな白いビニール袋を抱えて帰って来た時、満面の笑みを浮かべながら私に向って
言った言葉を思い出す。
「(鍋焼きうどん)すごいのを見つけましたよ。自分もここまで豪華なやつ初めてみまし
たよ。それを買って来たんで昼楽しみにしてて下さいね」
何か宝物でも発見したかのように本当にうれしそうだった。

おかしくっておかしくってもう止まらない。
私はひとしきり笑い、そして水をコップ一杯飲み干した。

明日はカツカレーにしようと決めた。

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