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第68話  時は流れて

玄関先からA2Cがこちら側を覗いている。
数秒後、神妙な面持ちで店の中へと入ってきた。どうもいつもと様子が違う。いつもなら
奴の店で売れたパンツを片手に抱えては「ミシン借りま〜す」なんて、さもここでパンツ
を縫うことが当り前の様に極自然に入って来るのだが。
「おう、どうしたんだよ今日は・・裾上げでもなさそうだし・・さてはまたさぼってんな
お前!」
「いやいや、今日は休みなんですよ。ここんとこ1ヶ月に一回は店休にして店自体を休み
にしてるんですよ」
A2Cは私の的外れな問いかけに一瞬ひるんだものの、気持ちを取り直しては快活に答え
た。
「そうか、そうだよな、いつもは交代で休みをもらう形だからお前達夫婦のどちらかが店
に立っている訳だから、一緒に休むって事はないんだもんな。まあ、月一でそんな時間も
必要なのかもしれないなこれからは。ところでお前独立してからもう3年目だっけ?」
「またまた、なに言ってるんですか、もう今年で5年目ですよ。しっかりしてくださいよ
。まだまだぼけるにはちょっと早いですよ。」
「えっもうそんなになるんだ、早いもんだな〜。よくまあこの希代の不景気にも負けずに
よく頑張ってきたもんだ。感心感心。ただ俺のボケは今に始まったんじゃなくて数年前か
ら進行気味なのはお前もよくしってんだろ」
「エへッ!」

思えば奴が入社したのは今から10年も前になる。
19の若僧だった。
高校卒業後、自衛隊に入隊したもののその厳しさについてゆけずに敢無く除隊。次に八戸
市内の広告代理店に入社したもののやはり水が合わずに断念したようだ。そこを辞めて新
たな職を探しながらブラブラとしている所を当時「アコースティック」の店長をしていた
K二号に拾われた。
「うちの店によく来る奴でA2Cって言うのがいるんですけど、なかなか使えそうなんで
すよ。今無職だし、人出が足りないようなら会ってみないっすか」
私がスタッフを探している事を知っていてK二号は紹介してくれた。
会ってみての第一印象としては「でかい」だった。188cmの長身はそういるものでは
ない。
間違い無くここで売っている洋服の90%はその体躯にはそぐわないものばかりだろうと
思えた。パンツなんかはほとんどの人達は裾上げにまわすのだが奴にはどうやらそれは必
要ないのかもしれない、いや、それどころか逆に短いものまでありそうだ。それでもその
長身の先にある笑顔は人懐っこく、また柔和で物腰の柔らかい話し方にしても好感がもて
た。
その他に「これなら・・」と思わせる何かを秘めてもいた。
翌月のきりのよい日から来てもらう事となった。

初めてだと思われる接客を初日から難無くこなしてした事には正直驚いた。見よう見まね
で瞬時に私達の真似が出来ていた。自衛隊にも馴染めず、広告代理店にも馴染む事の出来
なかったと言うのがまるで嘘のようにいきいきとしてこの場を泳ぎ回っている。以前の仕
事は、ただ単に最初の歯車が噛み合わなかっただけなのかもしれない。
1ヶ月も経った頃、奴は泣き虫だとわかった。
程よく年をとった現在の私と違って、当時は私自身がまだまだ未熟者で心の狭い人間であ
り、ほんの些細な失敗をもゆるす事ができなかった。まるで鬼だった。時間の経過と共に
この場に慣れ出したA2Cは徐々に手を抜く事を覚えだした。そんな時私は奴を控え室に
呼び出し気のついた部分を注意した。今注意しなければこれから先は良しとなってしまう
。私は私の考えを奴にぶつけた。すると奴の目からは大粒の涙が溢れ出た。次か次から止
めど無く溢れ出てきた。思いもよらないこの展開に私の方が戸惑ってしまった。
注意した男性スタッフに泣かれた経験はかつて無かった。私は私のテンションをワンラン
ク落として対処する事にした。それが功を奏したのかどうか定かでは無いが奴の涙も止み
、ミーティングは無事に終わった。それからの奴はほぼ完璧に仕事をこなすようになった
。紆余曲折、月日も流れて現在に至るが、まだまだ未熟だったあの頃、よく途中で投げ出
さなかったものだと感心する。

「ところで、お前せっかくの休みなのになにしに来たんだ」
さっきから何か他人行儀な態度に違和感を感じていた私はそれとなく尋ねてみた。
「いや〜実はお話があって・・・・・」
「話、おおそっかそっか、分かった分かった、じゃあそっちの部屋でも行こうか」
奴はだまって私の後ろについて歩いてきた。
この、なにか釈然としない違和感は増々私の中で大きくなり、これから何かただ事ではな
いことが奴の口から語られるのではないかと身のつまる思いであった。
(神妙なあの態度からみて店の事か?店がうまく回っていないのか?しかしもう5年目と
言っていたからそれなりに貯金も出来ているだろうし、それに付き合っているメーカーだ
ってある程度金の方の融通はきくはずだ。それではなんなのだ。それとも、それ以上にな
にか金がいると言う事か。あの感じからだとそんな問題もありえる。金か?もし大金なら
こりゃ大問題だ。この不景気だ、私とて自由になる金がそうそうある訳では無いが、なん
とか出来る最大限の援助くらいしなければなるまい。経理に頭を下げてどうにかしてもら
うしかない。)
ほんの数秒の間に私の右脳が勝手にフル回転し、そして勝手な決意が固まった。

私達はその部屋の小さな丸テーブルを囲んで席についた。
私の覚悟は既に出来ていた。もう何が、どんな事が奴の口から語られたところで私はびく
ともしないだろう。
「どうしたんだ?」
落着いて私は尋ねた。
「実は・・・・」
「実はって、何でも言えよ、言った方がさっぱりするだろ」
口籠っているA2Cに向かって私は言った。

「エヘヘッ、実は、赤ちゃんが出来たんですよ〜〜〜〜!」

「えええええええええええええええええええええええええええええええっ!」

私の脳がジジッと音をたててショートし、準備万端であったはずの心が行き先を見失しな
った。仮想の遥か真逆の発言は私をすっかりと驚かせた。
しかし、暗い話題を覚悟していた私の肩からはほっくりと力が抜けた。

「まじでっ、本当か、まじでそれはすごい。ありゃありゃ驚いた。こりゃあ大変な事だ、
めでたいめでたい。いや〜よかったよかった〜!」
もはや私は何を言っているのかさえ理解ならない。完全に舞い上がってしまっていた。見
当違いの薄っぺらい私の覚悟なんてものは見事に打ち砕かれてしまった。
「ようやく今、報告出来るまでにSRSのお腹の中で成長してくれて、今ちょうど3ヶ月
に入った所なんです。もう動くんですよ。」
奴はうれしそうに語った。

「そうか〜でも本当によかった、でも、まだ男か女かわかんないけど、どっちにしてもで
かくなるんだろうな、お前くらいには・・・」
「エへヘ、実は・・」

奴はまた何か大きな余韻を含んだ物言いでふっと言葉を止めた。
私の脳内回路はこれから奴の口から語られるだろう重大な何かを求めて再び光速で駆け巡
った。そして奴の口から語られるまえにひとつの言葉がポッと浮んだ。私はおそるおそる
ではあったがその言葉を口にした。

「まさか、双子、ってことはないよな」

それを聞いて、奴はにこりと微笑んだ。

「エへ、実はそう〜なんですよ、双子だったんですよ、しかも一卵生の」

押さえていた私の感情がいっきに宙を舞った。最初の驚きを数百倍にした熱気が胸中渦巻
き、大量のマグマが地表に吹き出すごとくに笑いが吹き出した。なんなのだ、このとびき
り上等なギャグを耳にでもしたような壮快感は。愉快で愉快でたまらなくなった。私はし
ばらくの間笑い転げた。
こんな事はまるで考えた事もしなかったし、予想さえしなかった空前の突飛さに世に中の
不景気な事やK二号の髪の毛の心配などなど、なにもかも忘れて腹を抱えひっくり返って
いたのである。

「双子ってなかなか大変らしくて通常の妊娠よりもこまめに検診に行かなきゃならないん
ですよ。まだまだ安定してはいないからこれから気をつけなければならない事もたくさん
あるし。SRSのつわりもまだまだひどくて飯を食っては吐いて、また食っては吐いての
繰り返しで可哀想なくらいです。だけどもう少しの辛抱みたいで、安定してくれれば自然
とそのつわりもおさまり子供の為にもしっかり食えるようになるらしいです。あと少しの
辛抱ですよ」

なにやら勉強したとみえて先を見据えた話振りであった。また、その態度からは父親とし
ての自覚を垣間見る事が出来た。

「そうか、まだ完全に安定したとは言えないとこなんだ。じゃあお前がしっかりしてやら
ないとな」

しっかりしていない私の口からもっともらしい発言が飛び出した。

「そうっすね、がんばりますよ!・・・ところで話は変わるんですが・・・・去年だった
かな〜俺が三沢に遊びに行った時にアメリカ人の女性がベビーカーを押して歩いていたん
ですよ。全くですよ、全く自分達に子供ができるなんて徴候もなかった頃ですよ。そのベ
ビーカーがやたらカッコ良くって、なぜだかずっと記憶に残ってたんですよ。最近この状
況になってそれを思い出してあちこち捜しまわってみたんですけど全く見つからなくて、
やっぱりあれはこの辺では無いかもしれないですよね。やっぱりあれはベースのなかで売
ってるんですかね。あれ良かったんですよね〜〜あれ〜欲しい〜な〜〜〜!」

先程とはずいぶん口調がゆるい。

「おいおい、欲しいな〜って語尾を伸ばしてるけど、それって俺に買えってか」

「いやいやそんな事は一言も言ってませんよ。ただ欲しいな〜って思っただけですよ。そ
れもツイン用のやつがっエヘヘッ!」
「エヘヘッてお前・・・・・・・わかったよ探すよ、探せばいいんだろ。アメリカの友人
に探してもらうよ。しょうがねーな全く。」
「はいはい、ありがとうございま〜す。エヘヘッ、それじゃあみんなにも報告して来ます
ね。いや〜びっくりするでしょうね、楽しみだな〜。」

A2Cは話が済むと背中に笑みを携えながらこの部屋を出て行った。

「心の底から嬉しいのだろう」が十分過ぎる程伝わって来る。付き合いが長い分その何気
ない表情で深層が解る。
予定日は9月16日と言っていたが、SRSならきっと大丈夫だろう。
今はすべてが順調にいく事を心より願ってやまない。

出会いから10年、父親となる奴に泣き虫だった頃の面影はすでに無い。

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