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第67話  「◎ンカン」塗ってまた塗って

19才の生意気で果敢だった私は、股間のかゆみで目がさめた。
異常にかゆい。これ程体の奥底まで潜り込むかゆみは生まれて初めてだ。眠っている時も
無意識のうちにかいていたのだろう、ピリリとした痛みが走る箇所もある。どれどれとば
かりに私は掛け布団を押し上げてはパンツを膝あたりまで脱ぎ下ろしてみた。寝起きのぼ
やけた目線でひととおり眺めてみたのだが視覚的に異状は無いようなのだが、血液も体の
隅々まで巡り出しややピントが合って来た視線が陰嚢(以下タ◎キン)を捕えた瞬間、私
は突然大きなゴキブリが表れた程にびっくり仰天してしまった。いつもは肌色のその大事
な部分が、かつて目にした事も無い「白色」に変色しているのである。なんなのだ、なに
が起こったのだ。もしかして私のこの部分は期限切れなのか、もう使いものにはならない
と言うのか。
私はすっかりと動揺してしまっていた。
薄暗い寝室から何が起きたのかしっかりと確かめる為に、陽光の差す明るい居間へと移動
した。そしてじっくりと観察してみると、なんだか片栗粉のような粉末状のものにタ◎キ
ン全体が覆われているではないか。恐る恐る右手の人差し指をそれに押し当ててみるとそ
の指先はふわりとその白い粉末に覆われてしまった。いったいこれは、この未知の物質は
なんなのだ。さっぱりと見当がつかない。しかしこの尋常ではない状態から見てなんらか
の異常がある事は間違いない。そしてやっぱり非常にかゆい。

しばらく観察していると、ふとある言葉が脳裏に浮んだ。
「インキン・・・・?」
まさか、これがうわさに聞いたインキンか。いや、でも、やはり、そうかもしれない、遠
い昔に耳にした事のある症状に似ている。かゆくてかゆくて狂いそうになると中学時代に
友人が言っていた。特に授業中にその発作が出た時などはもうどうしようもない、大っぴ
らにかく事もままならずひたすら我慢を続けているうちに油汗が額をつたい意識が遠のく
と言う。

だとすれば、どこだ、どこでうつったのだ。昨日まではなんともなかったのだから、どこ
かでもらったとすれば昨日だろう。さて、昨日はどこに行った、私は深く考えてみるのだ
がそれらしい接触現場が浮ばない。その菌の感染は接触以外には考えられないはずだ。な
んだったのだろう?

「あっあれか。」
それらしい場所がふっと浮んだ。
昨夜、バイトが早く済んだ私は久々に銭湯に行ったのだ。そうだ、それしか考えられない
。そうなればやはり脱衣所だろう。脱衣所にあるあの竹製の収納カゴが怪しい。うん、間
違い無いきっとそうだ。

感染経路はなんとか把握できたのだが、私は途方に暮れていた。この症状をどう処置して
いいのかわからないのだ。病院も考えたのだが保険証も無いし給料日前で金も無い、まし
てやかわいい看護士の前にこの粗末なものをさらけ出すには気がひける。いったいどうす
れば良いのだ。

そんな時、母の声が聞こえた。

「ほら、荷物に薬入れでおいだがらなんかあったら使うんだよ」

引っ越しの際に母が荷物のなかに薬の詰め合わせを入れてくれていたのを思い出した。私
は直ぐに押し入れの中にしまってあった段ボールの箱を取り出した。蓋を開けると食器な
どの雑貨に混じって白い布袋が目に入った。確かこれだ、この中に薬をまとめて入れてあ
った筈だ。
早速その巾着袋を開けてみた。
その中には胃薬に頭痛薬、目薬にオロナイン軟膏、カットバンに正露丸が詰め込まれてい
た。目薬でもいいものかと一瞬考えたが充血している訳では無いので止めた。う〜ん、こ
れらではだめか〜と諦めかけた時に奥の方からころりともうひとつの薬が転がり出た。
それは「◎ンカン」であった。
「◎ンカン」・・・それを私はかつて使った事はなかった。どんな効能があるのだろうと
その小箱の裏表紙を覗いてみた。虫刺されにかゆみ、肩こりに打撲って、打撲にもきくと
言うのかこの液体は。はたして私のこの症状にはどうなのだろう?
かろうじて一言「かゆみ」とあるがそれはこれには大丈夫なのだろうか、だがどう考えて
みてもこの部屋の中にこの症状と対峙出来るのは唯一これしかなさそうだ。その効能書き
にある「かゆみ」にかけてみようか。
藁にもすがる思いで私は決断したのである。
まっさらの紙箱のセロハンを爪ではがしその蓋をあけた。なかには琥珀色の小瓶がひとつ
。おそるおそるそのスクリューキャップをはずして臭いを嗅いだ。
ツ〜ンと鼻孔に突き刺さる刺激臭がなんだか頼もしい。私は中途半端に下がっているパン
ツをパッと脱ぎ捨て床に座り込みその両足を90°程開いた格好をとった。まるで道に迷
った小ヒツジのようにぷるぷると縮みあがった我息子を左手でクイッと持ち上げ、右手の
親指と人差し指と中指、その三本の指で摘んだ「◎ンカン」を程よい位置に構えた。
どうなるのかは全く見当もつかないが、構えたその手にグイッと力を込めた。

ポタリッ!

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!」

私は叫んでいた、無意識ながら大きな声で。
突拍子もない衝撃が・・・・・・・・・・・・・・私の股間を直撃した。
その雄叫びは全開のガラス窓を飛び越え秋晴れの大空遠くまでも響き渡り、そしてあたり
の空間に飛散した。
次に私は転がった。
それが当前のようにごく自然に部屋中を転げ回った。
想像もしなかった衝撃的激痛に耐えかね、その股間には両の手を軽く添えたまま、体は真
直ぐに伸びた硬直状態で車の車軸の様に転がり続けた。
その状況を例えるなら「真っ赤に焼けた鉄の板」を直接肌に押し付けたとでも形容しよう
か、とにかくそれはそれは恐ろしい出来事だった。
その部分に付着したものが、仮にその焼けた鉄板なら直ぐにも離せば事は済むのだが、い
かんせんこれは引き離す事の出来ない液体なのだ。私にはもう悶絶する以外どうする術も
無かった。

どれくらい転げ回っていたことだろう。
あたりはうっすらと暗みを帯び始めていた。
少しの間、私は気を失っていたのかもしれない。茫然自失といっていい状態で床に投げ出
された私の体は、まるで布製の人形のように歪な格好のままピクリとも動く事はなかった
。たった今何が起きたのさえピンとは来ていなかったのだ。

どれくらいの時が過ぎたのだろう、私はむっくりと起き上がった。そして股間を覗いてみ
た。股間にはちゃんとまだ大事なものは付いていた。良かった。
尋常ではなかったあの痛みは不思議と何事もなかったかのように消えていた、が、ハッカ
みたいなスースー感と共に血流が渦巻く熱さがタ◎キン全体をポッポッと包んでいた。
激しかったあの「かゆみ」は、今はもう無い。

効いたのか効いていないのか解らないまま2日間が過ぎた。
以前程の激しいかゆみは消えていたが軽いヒリヒリ感と共になにやらもぞもぞとした違和
感は消えてはいなかった。それでも症状が軽くなっている感は否めないからやはり少しは
効いているのかもしれない。そう思った私はもし直るのであればこれで直してみようと決
意した。余分な金も掛からないしこれで直るのならそれにこした事は無いのだ。
そんな私はすっかりとあの痛みの感覚を、その度合いを忘れ去ってしまっていた。あれ程
激しく部屋中をのたうち回り途方も無い痛みを堪え続けたにもかかわらずである。人間と
は、いや、そんな壮大な問題では無い、私とはそんな愚かな人間であった。

そして、さりげなく、ポタリ。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!」

私は再び叫んでいた。
激しい痛みが当然のように私を襲った。そして言うまでもなく瞬時に車輪と化したのであ
った。

数日経過するとまたその痛みを忘れ、懲りずにこの治療を何度続けた事だろう。
何度目かの私はその患部に扇風機の風を当てると痛みはやや薄れる事を学習していた。そ
の頃には扇風機をセットしたうえでポタリと◎ンカンを垂らすまでに上達もしていたのだ

しばらくの間、患部は熱をもっていたが、いつの頃からか気にも掛けなくなり、そのうち
にさっぱりと完治していた。もう白くもかゆくもなくなっていた。
ただ、かつてはきれいな肌色だったその患部は浅黒く変色していた。

「◎ンカン」は結局効いたのだ。
それはやはり母のおかげと言っていいだろう。

「ありがとう、お母ちゃん、あなたのおかげで金欠の折、なんとか完治する事が出来まし
た。そしてまた幾許かの耐える力、「根性」と言うものを養う事が出来たと思います。」

ただ、あの時の患部へのあの刺激は、火傷に近いものがあったように思う。今振り返って
考えてみても、「痛い」と言うよりは「熱い」といった方が感覚的に相応しかった。間違
いなく使用ミスに決まっている。そしてまた、あれ程激しくのたうち回った経験は後にも
先にも無い。

かれこれ数十年が経過しいい年になった現在に至っても、この時に出来た浅黒い跡が青春
のほろ苦い記憶として未だに私のタ◎キンにはクッキリと刻まれている。

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