Column

第65話  ラーメン道

八戸で一番のラーメンを作るぞ!
無国籍料理店HGC(以下HGC)でのスタッフミーティングのおり、この話題で妙に盛
り上がった。2003年の春の事だった。世間を席巻する大型不景気も今が底だ底だとテ
レビでは御偉い大臣様が宣ってはいるが、国民の誰ひとりこれから直ぐ先に好景気が待っ
ているなど気軽に信じてなどいない。私達は私達なりにこの生活を守っていかなくてはな
らないのだ。このままだまっていてはこの商業的苦境を乗り来る事は困難だろう。新メニ
ューの開発、割引チケットの配付、今月のお薦めメニューのホームページアップなどなど
、今考えられる全ての方法に努力は惜しまず力を注いできたつもりだ。それでも、目に見
えての成果を得る事は難しい程に景気は冷えきっていたのである。
深海の底を彷徨っているようなそんな先の見えない暗闇の中、太陽の光がぽっかりと差し
んだようにひらめいたひとつの案が、この「うまいラーメン」なのであった。料理店のな
かにある〆のラーメンなんてどうだろう?それがとてつもなくうまければそれだけ目当て
で来店してくれる人達もいるかもしれない。もしかすれば、仮にそのラーメンがぐんっと
伸びてくれるのであれば、そのラーメンのみの単独店を作れるかもしれない。またチェー
ン展開も視野に入れなければいけない、そんな際限のない妄想がぐわぁんぐわぁんと膨ら
み始めたのである。きっかけはテレビの特番であった。北海道を皮切りに福島・和歌山・
博多など各地の名物としてそれぞれの特長的なラーメンが取り上げられていた。どの店も
開店前からの長蛇の列、わんさかとお客が玄関先に並んでいるのである。うらやましいか
ぎりであった。
これは・・・そうだ・・・これしかない!
単純にそう思った私の、さり気ない提案にHGC店長のYが異常に乗ってくれたのである
。そこまで乗ってくれるか、とばかりに。
「そうすね〜それはいいっすね〜やってみる価値はありますよ〜やりましょう〜絶対うま
いもん作ってやりましょう!イエ〜イ!」
私よりも数倍の勢いが炎と化していたのであった。

そうと決まれば話は早い、皆でラーメン作りに必要な道具・食材・その他思い浮かぶもの
全てをこの場でリストアップしたのである。
HGCは毎週火曜日を定休日としているので、厨房を自由に利用出来るその日に挑戦する
事にした。
それらリストアップしたものは「八食センター」で揃える事になった。八戸は大きな漁港
を持つ水産都市でその漁港のすぐ側には古くからの市場街があるのだが、いかんせん市内
からはやや距離がある。「八食センター」というその大きな建築物は、それら市場の形態
を凝縮し市内に近い場所に持って来た総合食品センターといったところだ。魚介から肉類
、酒から乾物、菓子類から生活雑貨までなんでも揃うのである。
翌火曜日の朝8時、「八食センター」前の駐車場に集合となった。

早朝から気分が高揚気味で矢も盾もたまらない私は約束の時間よりも大分早く着いてしま
った。時計の針は7時30分を差している。このままだまって待っているのもなんだと、
私はひとり店内に向かったのである。
すると、その店先に見知った顔がふたつ。
えっ、誰だっけ、え〜とあれあれ、あれは・・・・・私の両親ではないか。
なぜ今日ここに?なぜこの時間にここに?なぜ私の目の前に?突然の出来事に私は混乱し
てしまっていた。なぜなら、独立して仕事を初めてから実家に全く顔を出す事もなく長い
年月が過ぎ去り、かなり久し振りの両親との遭遇であったのだ。何を思っていたのだろう
、戸惑い気味の私は名刺を差し出していた。
「お久し振りです。私はこうゆう者です。元気ですか。そうですかそれは良かった。私は
先を急ぎますので、ええ、これで。それではまた・・・」
両親はきょとんとしていた。
私の差し出した名刺を受け取ると「ああ〜そうか〜〜〜〜〜はいはい〜〜〜〜うん、お前
も元気でな〜〜〜」
ほんの15秒足らずの接近であった。
私自身、今、何をしているのか理解していなかったし、突然表れて突然消え去った息子に
何を思ったかは見当もつかない。
ただ、「ちょっとおかしくなったかな?」位はお互い話し合ったかもしれない。
今思うとぽっかりと浮び出た不思議な時空間であった。

大きな寸胴を手にとって見ているとYが姿を表した。
事前にラーメンに関するたくさんの本を買い込み、それらからもリストアップしておいた
道具及び食材を次々と買い集めた。途中、乾物屋の母さん達にはアドバイスなども貰い、
最後には「頑張ってネ!」などと励ましまで貰った次第である。リストに上げてあった物
はここで全て買い集める事ができた。
ひとやまもある大きな荷物を車に積み混み私達はHGCへと急いだ。寸胴を洗浄し大量の
水を注ぎ入れ、食材を適度な大きさにカットし参考書をテーブルの上に広げた。これで準
備万端整った。
キズひとつない更の寸胴の中へまずトン骨を砕いたものや首無しの地鶏を突っ込み、時間
をおいて高級乾物を詰め込んだガーゼ袋を沈めた。最後に各種野菜を加えながらコトコト
コトコト数時間を掛け煮込んだのである。
私はと言えば、この時までに一週間という日々を費やし、元ダレを作っておいた。二種類
のベースとなる醤油を混合し、これにもまた塩と数種類の乾物等を加えしっかりと煮詰め
た上、この7日間寝かしておいたのだ。
スープが出来上がったのは夕方の6時を少し回ったあたりだった。既に最初に食材を煮込
んでから8時間余りの時間が経過していた。同時進行で手を掛けていたチャーシューと半
熟の煮玉子も出来上がり、この時点で私達は私達のオリジナルラーメンの完成を目前に控
えたのである。

「さぁ、みんなを呼ぼう!」

早速各店のスタッフを集め試食に取り掛かった。
ひとつひとつ丹念に麺を茹で上げ大事に大事に仕上げた。なかでも味の染み込んだ黄身の
とろけ具合の絶妙な煮玉子、口の内で程よく溶け出す脂身が旨味を演出するぷるぷるのチ
ャーシューなどは絶品の出来映えであった。琥珀色に輝くスープがキラキラと光を反射す
るのを見て思った。
「濡れタオルを頭に、この揺らめくスープの中に首までつかってみて〜!」

完成したラーメンを見た瞬間、皆の顔は笑顔に包まれた。これから訪れるであろう至福の
時を予感させ「頂きまーす!」の声も高らかに皆はラーメンにかぶりついたのである。
ひとくち・・ふたくち・・???
直ぐに・・・なんだか・・・皆のハシの進み具合が鈍くなった。
頭を左右に傾け皆不思議そうな表情だ。いったいどうしたのだ?ひいき目にみたところで
この仕草はGOODなものでは無いだろう。すかさず私は近くのそのラーメンのスープを
試飲してみた。
まずい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

まず先に私達が試食してみるべきであった。
根拠のない自信と過信と確信がいけなかった。
「なんじゃこれは〜!」
私は優作になっていた。
全くもってまずすぎる。仮に私がこれを出されていたら、どうコメントすれば良いのか困
惑してしまう事だろう。単なる薄〜い生醤油味しかしないのである。
何がいけなかったのだ?そうか、やっぱり元ダレか。スープの方はたっぷりと時間を掛け
て旨味成分を充分に引き出してあるはずで失敗は無いと考えられる。そこでまたまた考え
た。
スーパーなどで市販されている一袋30円のラーメンのタレを使ってみたらどうだろう。
早々それらの何種類かを買って来てもらい、その安価なタレを使ってもう一度作ってみた
のである。するとどうだ、これがすばらしい味で涙がちょちょ切れそうに旨いのである。
これにはすっかりとやられてしまった。ひとりであれだけ丹誠込めて仕上げた筈の元ダレ
がスープになんの旨味もコクも、ましてや塩分すらももたらすことなく、ただの生醤油を
注ぎ込んだような素っ気無い味しか出す事が出来なかったのだ。この時点でやっとラーメ
ン道の難しさと奥の深さを思い知らされてしまったのだ。
修行・・・そう、やはり修行が大事なのである。ラーメンの根本について右も左も解らな
いど素人には土台無理があったのだ。それでもその悔しさをバネに、翌週も再チャレンジ
してみたのだが散財した効果も虚しくやはり結果は散々なものであった。どう足掻いてみ
ても元である醤油ダレがうまくいかない。
これではうまいラーメンなど到底作れる訳が無い。

早速、方向転換を実行した。
この不景気の最中にこのまま埒の明かない研究よりは・・・と、今週のお薦めメニューの
研究に入ったのである。すると、それが小さなヒットとなった。
やはり人生はコツコツと、と相成った訳である。
巨大なあの寸胴は今では薄暗い倉庫の片隅で次の出番を今か今かと待ち続けているだろう
。なんとか活躍させてやりたいのはやまやまなのだが、私のラーメンに対する情熱があれ
以来再燃せずに、未だタレの研究が先延ばしになっている。またいつかこの燻りが少しで
も残っている間にグッグッと燃え上がったとしたら、また再登場してもらおうと思ってい
るのだが・・・。

最近では、もっぱらラーメンの食い歩きがライフワークとなっている。

※2009年も既に年の暮、早いものですね。
今年も皆様には本当にお世話になり感謝致しております。
有り難うございました。
2010年も皆様が明るく健康で迎えられますよう心から祈っております。
私達も精一杯頑張るつもりでおりますので、これからもどうぞよろしく御願い致します。
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