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第61話  広大な原っぱより

選挙の投票日であった。
私が高校生であった頃、そう、単なる悪ガキだった時代から何かと健全な社会復帰の為に
面倒をみて頂いた恩人の方が立候補しているのだ。その御家族の方々にまでも当時は大変
お世話になっていたもので、何をおいても投票に向かわなくてはいけない。この汚れのな
い純粋な一票を投じなくてはならないのだ。私の仕事は午前11時30分からだから、投
票所であるこの地区の公民館には10時前にでも着けば混んでいたとしても充分余裕をも
って行動出来る筈だ。大好物のマルシンハンバーグをやや焦げ気味に焼いたやつと半熟の
目玉焼きといったいつもの朝食を済ませ、コナコーヒーを飲みながらこれまたいつもの日
曜の朝のワイドショーに目を通していた。ベテランフリーアナTとベテラン野球解説者E
とのつながりのない平行線トークを聞き流しながら「FJのBBアナは確かNHKのZB
アナと同期だったな~」などと思いを馳せていた。それはそれとして、次にお気に入りの
コーナーがあったのだが今日は出発時間の関係であきらめた。シャワーを終えたあたりに
は丁度出掛ける頃合となっていたので、早々に着替えて車に飛び乗ったのである。
投票所の駐車場は既に込み合っていた。まぁまぁ混んではいるだろうとは想像していたの
だが、その現況はその想像を遥かに超えた混雑振りで、駐車場に進入していけない車が道
上でずらり順番待ちなのであった。このまま駐車スペースが空くのを待つには相当な時間
が掛かりそうに思えた私は、投票所からやや離れた所まで直進し、空いている路肩へと車
を止めたのである。しばらくあたりの様子を眺めていたのだが、こののどかな状況ならこ
こでの駐車もありかな、などと思えて来た。そこでそのままさらりと公民館へと向い投票
を済ましてしまったのだ。(かなり昔の事で時効だと思うのだが、アイムソ-リ-!)
そんな訳で投票自体は呆気無く終了してしまった。仕事に向うまでにはかなりの時間の猶
予が出来てしまったのだが、また家に戻るのも面倒に思えた。
(そう言えばここから直ぐの所にMがあったはずだ。)
朝食のマルシンハンバーグの量が少なかったのか、やや小腹がすいた感があった。おやつ
感覚で、私はそのMのハンバーガーとコークが急に欲しくなり、そのまま車で乗り付け、
2個のハンバーガーとミディアムサイズのコークをTO GOしたのである。時間の方も
まだまだ十分にあるわけだし、のんびりと食事を楽しもうと市街地の脇を流れるM川の河
川敷にある原っぱへと向かったのである。この見渡す限りに大きな原っぱはその河川の両
岸に広がっており、海へと注ぐ河口付近は特に広くなっていて、ゴルフのハーフコースま
でも備えるそれは大きなものであった。
到着した時刻は午前10時20分、この朝とも昼ともつかない中途半端な時間帯にはやは
り誰一人先客がいる訳も無く、のんびりと食事をとるのには好都合の場所であった。私は
川の流れを真直ぐ目の前に望めるように、川に対して垂直に車のフロントを向け、この誰
一人何ひとつ存在しない広大な原っぱのひとつの豆粒のような点となり車を止めたのであ
る。前方に見えるタップンタップンと多量の水をたたえた川までの距離は約10m、車の
マドは運転席側助手席側ともに全開でその自然な水の流れのせせらぎ音が鼓膜に優しく伝
わってくる。緑の生い茂る原っぱを渡るうららかな風が車内を右から左へと渡って行く。
この心地よい最高のシチュエーションをセットしたうえで、食事としたのである。チーズ
バーガーはいつ食べてもうまい。ダブルチーズバーガーが一番好きなのだが今回は2個買
ったので一枚のチーズにしていた。軽く咀嚼した後にコークで一気に流し込む。
ウ~~~~~~ン、デリーシャス!
朝飯後なのによくまあ胃袋に収まるものだ。
目の前の川面のキラキラと輝く景色といい気分はピクニックだ。
それは2個目の照焼きバーガーに手を伸ばした時であった。一台のシルバーのセダンが私
の車目掛けて近付いて来たのである。この広さである、そのまま通り過ぎるのだろうと思
えた。それでもなにげに気に掛けていると、真直ぐ迷う事無くこちらの方向に向って来て
は、私の車の左隣に綺麗に並べ、そして駐車したのである。まるでこの草原に駐車用の白
線でも引いてあるかのごとく整然と。ただただ広く、何処にどんな格好で止めても誰にな
んにも言われる事の無い所で、である。車間は1メートルも離れずにフロントに至っては
計ったみたいにぴったりと一緒だ。そしてその車からは二人の20代前半と思われる青年
が降りては、左前方の橋の見える方向へとさっさと歩き去っていったのである。「何もこ
んな宇宙空間のようにだだっぴろい自由な場所で、わざわざたったの一台しかいない車の
真隣に止めなくても」と、いぶかしく思ったのだが、まあ実直な人ならこんな事もありえ
るだろうと無理矢理理解しようと努力した。大海原にぽつんと浮ぶ小島の様に私の車にひ
とつの安らぎを求めた迷い子みたいなものさと気を取り直し食事を続けた。
が、数分後また別の車が近付いて来た。
そして私の車の左隣の車のまた左側に綺麗に駐車したのである。あれあれいったいここは
何、この草原の中で唯一決められた駐車場なのか?と思ってみたって所詮は原っぱである
。草ボウボウで白線などある訳も無い。全くこの出来事が腑に落ちないのだが、それでも
まだまだこんな事も時にはあるさと、そのまま食事を続けたのである。
その食事も一段落し、それでもまだまだ時間に余裕があったので少し横になる事にした。
もう別の車もこちらに向って来ることもないだろうとリクライニングシートを緩めに倒し
、身体を横たえゆっくりと目を閉じたのである。
「う~ん快適だ。」
爽やかな闇に意識が包まれた時、また遠くから車のエンジン音が響き渡った。またこちら
に近付いてくる気配を感じた。まさかだろうと思いながらも確認の意味でちらっと覗いて
見ると、なんとまた、左の端っこに並んで駐車した。
そうなってももう驚きはしなかった。なぜなら、2台目からは私が基準なんだと思う事に
していたからだ。そう思う事で気持ちも落着きゆったりと休む事が出来た。数秒後、私の
意識は現実世界からゆっくりと遠のいて行った。

どれ位時間が経過したのだろう?
どうやらぐっすりと眠ってしまったらしい。シートに横たわったままフロントパネルの時
計に目をやると10時50分を差していた。30分位は気を失っていたようだ。ちょっと
だけ横になるつもりが深く寝入ってしまったらしい。しかし良かった、この時間ならまだ
仕事に間に合う。それにしても危なかった、今自然に目が覚めなかったら完璧に遅刻であ
った。急いで身体と共にリクライニングシートを起こした。
「え~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」
私はビックリしてしまった。
眠りにつく前に、ほんのジョークで思っていた(私が基準なんだ)と言うものにまさしく
なっていた。私の車の左側には10台前後、右側にも10台前後、そしてルームミラーを
覗くと、最前列の私を入れて約20台の後方にはそれぞれ5台前後は並んでいた。全部で
約100台はある。(今思うとちょっとおおげさな数かもしれない)いったい何が起きよ
うとしているのだ。ついに私の回りを地球が周りはじめたのか?地軸の順番がまるで回覧
板の様に私に回って来たのだろうか?私はいったい何者なのだ?
ちょっとした目眩と走馬灯をも超える高速回想の後、冷静さを取り戻した私の目にあるも
のが飛び込んで来た。
それは橋が掛かっている遥か遠くの方向であった。記憶に中ではかなりの台数があったと
思われる真っ赤な消防車の軍団だ。市内各地区の全消防団による定例訓練なのか。そこに
いる全ての車両がこの大きな川に向かって放水しているのだ。生まれて初めて目にするそ
れは激しくも勇壮で見事なものであった。何本、いや何十本もの水柱が天高く突き進み空
を貫いている。やがて勢いを失ったそれが緩やかな弧を描きその川へと降り注ぐのだ。水
が下降して来る途中大半は水霧へと変わり拡散しだす、するとそこには虹が光るのだ。
「美しい・・・・・」
なんと綺麗な事か。暫し見蕩れてしまった。
その場所には無数の人々が、消防団の制服に着替えて訓練に勤しんでいた。
そうだったのか、今日はその訓練の日で皆はここに集合したのだ。私の車は、その訓練に
参加するために来た、最初の車と勘違いされたに違い無かった。私の車に習って他の1台
がたまたま駐車したものだからその他の人々もそれに習って駐車したのだ。心の靄がすっ
きりと晴れた。
おっと、時間が無い!
ぐずぐずしている時間は無い、私は直ぐにでも仕事に向わなくてはならない。いつまでも
彼等の一員としてここに留まっている訳にはいかない。
しかし、「最初にここを抜け出すのは・・・」などと、まるで放水訓練をさぼって逃げ出
す様なこの後ろめたい気持ちはなんなんだ?
いやいや、何も恥じる事は無い、全く無関係なのだから。
私はキーを回しエンジンに火を入れた。
心地よいディーゼルエンジン特有のリズミカルな低音が川面に響き渡たった。彼等は未だ
天に向って夢中で放水中だ。誰一人、この中心点が移動し走り去った事に気付いている者
はいない。
「これでいいのだ。」
その場を難無く逃れ、全てが見渡せる高台へと辿り着いた私は、ゆっくりと振り返えった

「市民の為にいつもありがとう、そして、これからもよろしく・・・!」
感謝の気持ちと共に彼等の幸福をも心から願った。

その夜、テレビの選挙速報は私の恩人の当選を知らせていた。彼こそ本物の中心として人
々の為に活躍してくれることだろう。

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