Column

第59話  プールが私を呼んでいる

大量の温水をGO-GOGO-と吐き出すウォータースライダーの出口からハイスピード
に乗ったLがスコーンと飛び出した。その激しい勢いのままプールに投げ出され、バシャ
ーンと高らかに波しぶきが跳ね上がるとそのまま水中へと消え去った。直後、続くように
Sちゃんがすっ飛んで来てはバシャーン、波しぶきを跳ね上げ同じように水中へと消え去
った。二人は水中で軽く揉み合い、じゃれあいながらちょこりと水面へと顔を覗かせた。
これが今日最後のウォータースライダーの約束であった。だが、彼等はまだまだこれがし
たいのである。顔の表情を覗けば一目瞭然。プールサイドに座っていた私を見つけるやす
かさずふたり共駆け寄って来た。
「ワンモァープリーズ、ノーノー、ツーモァ−、オー、スリーモァ−プリーズ!」
Lが言った。
「スリーモァー!スリーモァースリーモァープリーズ!」
Sちゃんも大声で私へと懇願してくる。
滞在時間の方もまだ多少の余裕を持っていただけに私はおおめに見る事にした。
「オーケー!」
彼等は満面の笑みを浮かべウォータースライダーのてっぺんへと駆け上がって行った

Mの家族が赴任先のアラスカから日本へと戻って来たのは2008年であった。(コラム
第13話参照)歯科医である夫のJMSは軍医として世界各国におかれたアメリカの軍事
基地を転々と赴任して回っているのだが、今回は久々、十数年振りの三沢基地勤務になっ
たのである。JMSと会うのは、彼とMが結婚を決めた年の夏、H・G・Cで小さなパー
ティーを催し、それに集まった十数人で一緒に食事をして以来である。もちろんその頃に
は何の兆しも無かった事ではあるが、後に二人のかわいい男の子を授かっていた。
時はそれよりやや遡る、2005年の夏の頃。Mは休暇を利用し、JMSをひとりアラス
カに残したまま二人の子供達と一緒に一時帰国した事があった。その時に初めて私は彼等
兄弟に会ったのである。当時、兄Lは9才。弟Sちゃん(なぜか弟だけちゃんがつく)は
7才。日本語は理解出来ているらしいのだが私達の前で日本語を話す事はほとんど無かっ
た。私としてはコミュニケーションを取りたいのではあるが、私自身英語がすらすらと出
て来る程の特異体質とは言えず、電子辞書を片手に文章をじっくりと考える凡才型である
ためどうしても言い出すまでに時間が掛かってしまう。その内に話題は次から次へと移り
変わってしまい、簡単には追いつけなくなってしまう。
そんな不馴れな状況の中、ひょんな事から私とその子供達と三人で小さな旅行をする事と
なった。事の発端はMの一言であった。
「来週の月曜日なんだけどこの子達預かってくんないかな。用事が入っちゃってどうして
も動けないんだよね。父さんや母さん達も出かける予定らしくって。」
突拍子も無い事を私に向って言っているのは確かだ、なぜならその場には私しかいないの
だから。どうしたらいいのだ。ここ何十年も子供という未知でいて不可解な生命体に接し
た事が無い。どんな話をすれば心を開いて私を理解してくれるのだろうか。いや、私が彼
等の行動や言動を理解してやれるのだろうか。困惑気味。そんなこんなで、かなり大変な
役回りだと言う事は百も承知のところではあったが、子供達を見ているうちにそのあどけ
ない仕草に引力を感じ始めた私は、やや安請け合いではあったが引き受けてしまったので
ある。
「ああ、いいよ。最近テレビでCMやっている『Kワールド』でも行ってこようかな。大
きな温水プールで遊ばせて帰ってくるよ。そんな遠くは無いから、ここからだと片道2時
間もあれば着くんじゃないかな、だから夕方の5時には八戸に帰ってこれると思うよ、そ
の時間には迎えに来て欲しいな」
「うん、わかった。多分大丈夫!」
その日の予定をママから聞いた子供達は大喜び、笑みを浮かべ私へと駆け寄って来てくれ
たのである。ん~ん、実に素直でいい子供達だ。

2時間の予定が幾分オーバーしたものの、初めて訪れる地のわりにはなんなくその建物を
見つけ出す事ができた。早速チケットを購入し、更衣室で着替えを済ませた後、メインプ
ールのあるエリアへと向かった。狭い通路を突き進んで行くと前方に大きな扉が見えて来
た。その扉をグイッと引き開けると、目の前には果てしなく広がる大空とも言える大空間
と、絶えまなく打ち寄せる人工波が上下する大海原が広がっていた。目を細めて微かな隙
間から見ると、まるでハワイの浜辺にでも迷い込んだのか、と錯覚でもしそうな巨大なア
ミューズメントスペースだ。しかもシャンプーなどしている奴は一人もいないし、まして
や体を洗っている奴もいない。温泉とは違うのだった。
舞台裏で作り出される規則正しい波がわさわさと打ち寄せては、その波に立ち向かうかの
ようにたくさんの人々が戯れている。実に楽しそうだ。
思えば、プールと言う施設に来る事なんてまず無かった。確か、最後のプールは中学の時
だ。そう、学校に設置してあった塩素臭のきつい25メートルプールに浸かったのが最後
だった。高校に入ってから今までの長い年月、一度たりともプールに入った記憶は無い。
だから・・・妙に新鮮。
Lはそのまんま波打つプールに飛び込もうとしていたので、一度止めて準備運動をさせて
から解き放した。Sちゃんには持参してきた浮輪を装着させてから波間に放った。付き添
い人としては事故があってはいけない。美しい波形を連ねるうねりは彼等を十分に楽しま
せてくれていた。私はポーチからデジタルカメラを取り出し、彼等の躍動する姿を撮ろう
と試みた。
パシャリと一枚シャッターを切った。カメラ裏の液晶画面をチェックしてみるとふたりの
弾け飛ぶ笑顔が写しだされた。「う~ん、ナイスなショットではないか」私は再びカメラ
を構えた。すると、Lの前に突如ビキニのおねえちゃんが姿を表した。水中を潜って来て
はそこで息が切れて水面へと飛び出してきたのだろう。その着けている純白のビキニとは
じけたスタイルの眩しい事。私の心臓がドキリと高鳴った。本心から言わせてもらうのだ
が、LとSちゃんの事意外は全く眼中には無かったはずであった、確かに。しかし、しか
しである。その突然のおねえちゃんの出現であっさりと素の自分に戻ってしまった。
まわりに存在する数多くの女性達を、若いおねえちゃんとして意識的に見るようになって
しまったのである。素のまんま360度体を回転させながら空間内を見渡してみると、い
るわ、いるわ、セクシービキニがわんさかと。
パラダイスのようなその光景に私は迂闊にも立ちくらみがしてしまった。
そしてこの状況の中、私自身の今の立場と言うものを客観的に考えてみる事となった。頭
には白いものがちらほらと見えかくれし、ぽってりと腹肉がショートパンツのゴムの上に
のっている。そんな男がカメラを片手にプールサイドにドテッと陣取っては居座り、時折
カメラをプール方面に向けてはシャッターを切る。これはどうみても「怪しい!」ではな
いかと。
そんな考えがさらりと過った私のこめかみを一筋の冷汗と呼べる液体が流れた。この状態
は、私にとってとても不利なものであることはどうやら疑いようのない事実だ。それから
と言うもの、あちらこちらで水遊びに興ずるおねえちゃん達が気になって気になってしょ
うがなくなった。思うに、こんなにたくさんのビキニ姿を間近にするのは1970年代後
半の熱海以来である。増々視線がそちらへそちらへと引き付けられて行く。しかし、迂闊
にカメラを向ける事は出来ない。
「ハ~イ、L!こっちこっち」
「ハ~イ、Sちゃん!こっちこっち」
私は叫んだ。私はどうしようもなく追い詰められた立場と悟って、一言大きな声で叫び、
彼等がこちらに気付いてくれる事を待ってからカメラのシャッターを切るようにした。極
力カメラのフレーム内におねえちゃん達が入らないようにも注意した。波のように打ち寄
せるボヨヨ~ンショットチャンスの嵐は薄っぺらな理性ではあるがなんとかググッと押さ
え込み乗り切った。カメラがこんなに疲れるものかと初めて思い知った。だけど、気分と
してはどうだろう、この苦境に置かれながらも、まんざらでも無い自分がいる事もまた事
実であった。

一時間があっと言う間に過ぎ去り、そろそろ昼食の時間となった。私達はその大空間が一
望できるレストランスペースへと向いそれぞれが好きなランチを注文した。驚く程の早さ
でそれらをさらりと平らげた彼等は、よっぽど楽しかったのだろう再び波打つプールへと
走り出したのである。
私の方は未だにこの状況には慣れずにいた。この空間の中でどう見ても一番年上だと思わ
れる私が、プール側を見る事に対してまわりの思惑が気になり、それが心から抜けないの
である。どうしたものか。
「こうなったら私自身も水の中に入ってしまおう」
この被害妄想とも言える内なる偏見を捨ててしまおうと私は踏ん張ってみたのだ。すると
これが、案外効果があった。彼等との水遊びに夢中になるにつれ、この場と一体化してい
く自分がいた。
ただ、やっと慣れだした頃には時間の方が残り少なくなっていた。私達は最後にと、大型
のウォータースライダーへと向かった。これがなかなか面白い。私達は立て続けにすべり
続けたのだ。
(そうだ、このウォータースライダーから飛び出してくる瞬間の彼等の写真を撮らなけれ
ば)
そう思った私は再びカメラを手にし、その出口に向かってカメラを構えたのである。
バシャバシャーン!
出口から激しく飛び出してくる人影があった。
私は夢中でシャッターを切った。
一度水中に沈んだ人影は直ぐに水面へと浮かび上がった。私は驚愕した。
それはあちらこちらにちらばりながら宝石の欠片のようにキラキラと輝きを放つセクシー
ビキニのひとりであったのだ。
深呼吸で自分自身を落ち着かせ何食わぬ態度を保ちながら、もしや?と、液晶画面をチェ
ックした。その液晶画面には大股を開いて飛び出してくるそのおねえちゃんのあられもな
い姿が写し出されていた。なんということだ。私は瞬時に考え込んでしまった。
(残すべきか、残すべきか?いやいやいや、そうじゃなくって、残すべきか、消すべきか
?)
再び私の頭の中に怪しい男の幻想が写実的に浮かび上がった。どうみてもこれは変態の仕
業としか呼べない写真ではないか。しかも、残すべきか?などと考えてしまった訳で・・
・・・早急に精神を律する必要が生じた。
少なくとも私は今日、変態であってはいけないのだ。
泣く泣く・・・・いやいや、積極的にそのショットは消し去った。

この後、建物内の空気や壁や温水などと同化するよう質素に振舞い、彼ら二人のナイスシ
ョットを数枚ゲットしたうえで、私はカメラを封印した。

正直、あれだけ多数のカラフルなビキニスタイルに圧倒されたのは確かなことだ。あちら
こちら目移りした事も確かなことだ。LやSちゃんがいなければ目が眩むところであった
事も確かな事だし、LやSちゃんと一緒じゃなければこんな新鮮な経験も出来なかったと
言う事も確かなことだ。
チャンスがあったらまた来たいな~などと帰り際に思った事も確かなことだ。

遊び疲れたのだろう、車の後部座席ではLとSちゃんが絡みあうようにぐっすりと眠りに
ついている。その安らかな姿を目にして、彼等とこの小さな旅行が出来た事を本当に良か
ったと思えた。この先もどうか健やかに育っていってほしいものだと願った。
そしてまたいつか一緒に泳ぎに来たいものだと夢見ている。
その頃には、たとえ100人のボヨヨンビキニが待ち構えていたって、決して目の眩まな
い立派なおっちゃんになっている事だろう!
・・・たぶん?

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