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第56話  哀愁のメンコマイスター

そう、小学生の頃の私はメンコマイスターであった。
ビー玉もそこそこだったのだが、やはり内面から燃えたのはメンコの方であった。学校で
の休み時間や放課後も短期戦を交えるが、まして休日などはその勝負の為に腕におぼえの
あるつわもの共が我家に集まって来るのだ。自然と灼熱の勝負が始まるのである。
この頃私はリンゴ箱いっぱい溢れんばかりに戦利品であるメンコを所有していた。これと
ほぼ同等に所有していたのが同級生のFであった。Fも負けず劣らずのすばらしい才能の
持ち主であり、私の永遠のライバルとしての地位を不動のものとしていた。
彼との勝負は壮絶なもので、取ったり取られたりの過激なシーソーゲームが続きだすとも
う止まらない。その長く激しい戦いが終わりを告げるあたりには、すでに心身ともに疲れ
果て、勝った負けたの感情すらも果てていたものだ。別れ際はおそらく10ラウンド戦い
抜いた矢吹ジョー状態、まさに全身全霊を尽くして戦っていた情景を今でも鮮明に記憶し
ている。
その点ポール君との戦いは楽しいものだった。ポール君は身体が小さかったので、それこ
そ全身を使ってメンコを打つのだが、その際決まって身体が宙に浮くのである。完璧にジ
ャンプし空中浮遊の状態で打つのである。まるで今をときめくテニス界の貴公子、錦織圭
のエアーケイのようであった。言ってみればエアーポール、何だか洗剤のようなニュアン
スになってしまうが、あの妙技をまた見たいものだ。

時は1995年、アブラゼミがあちこちで奇声を張り上げては汗していた暑い夏であった
。午後7時を過ぎたあたり、ようやくカンカン太陽も八甲田山嶺の向こう側にすっぽりと
姿をくらませたのだが、空にはまだ青みが残っていた。夕風のやや冷えた空気の流れが幾
分気温を和ませ始めたこの時間、K二号O三号と私の三人は友人Tの家を訪れていた。初
めての珍しい顔ぶれだった。そうそう当時Tが付き合っていて、この数年後にTの嫁にな
り、また数年後別れるといった波乱万丈が先に待つ事など全く知る由もない、ファンデー
ションの乗りもスムーズだった頃のSも途中から顔を出していた。
酒の席も時間が進むに連れて和み、会話も盛り上がりをみせていた。T自身は酒を受け付
けない体質の為に全く飲まないのだが、そんな事を苦にもせず私達に付き合ってくれてい
た。そんな中、私のひょんな一言からメンコの話へと展開して行ったのである。
私が年長なだけに若い世代の皆はそんなに食い付いて来るとは思っても見なかったのだが
、これが我も我もと食い付いて来たのである。子供の頃は俺が強かっただの、お前は本当
に出来るのかだの言葉のバトルが始まったのである。
分った分った、そんなに皆が強いのだったらやってみようよ!という事になった。
しかし、こんな時代、そのメンコが何処にあるというのか、また何処で売っているのかさ
っぱりと見当がつかないのである。
「メンコは今頃何処で売ってるのかな?」
そんな言葉をTに投げかけてみたのだが、それは愚問であった。なんとした事か、T宅に
多量のメンコがあったのである。正直驚いた。それはTが幼少時代から集めていたものら
しく、古い絵柄のものから知っている最近の絵柄のものまでかなりの種類とかなりの枚数
が段ボール箱に無造作に納められていた。
Tは私より10才下なので同じフィールドで戦った事は無いのだが、彼の均整のとれた筋
肉質の体躯を見るに、なかなかのやり手だろう事は直ぐに想像が出来た。彼が小学生の頃
近所の子供達を集め、冬の朝の登校はソリを引かしていたと言う武勇伝からもうかがえた
。近所ではガキ大将だったに違い無い。
メンコの弱いガキ大将など存在しなかったからである。
それぞれに10枚づつが配られた。ほろ酔いの中、世代を超えた世紀の対決が始まったの
である。私は約25年振りではあったがしっかりと身体が覚えていた。不思議とすんなり
と打てるのである。面白い様に皆からメンコを奪っていった。最初に全て無くなったのは
O三号であった。O三号は子供の頃の経験も浅いらしくあまり心を熱くはしていなかった
。「2~3枚なら貸すぞ」私が振ってみたが見学しているとの事でこの面子からは一抜け
したのである。次に全て無くしたのはK二号であった。K二号は何事にも熱くなる性質で
、あまり経験の無いにも関わらず全力で頑張っていたが、やはり我々の敵ではなかった。
K二号も敢無く撃沈したのである。勝負は案の定Tと私の一騎討ちとなった。持ち分とし
てはTが15枚、私が25枚とやや有利な状況であった。
打手はT。右手に中型のメンコをしっかりとはさみ込み、大きく振りかぶり素早い動作で
振り下ろした。なかなかしなやかで美しい一連の動作だ。が、次ぎの瞬間私のメンコは異
常に吹っ飛び、Tのメンコは力無く盤面に残った。この一枚の勝負に関して、素人目には
明らかにTの勝ちではある。しかし、私の鋭く研ぎ澄まされた感性は、そ・れ・を見過ご
すわけはなかった、明らかにずるである。手に持ったメンコが盤面に接触したその一瞬に
、間違い無く中指で私のメンコをはじいたのである。これはかなりの熟練の技であり、一
般人には見分けがつかないだろうと思われる。
「ちょっと待て!今、指ではじいたろ!」
私は瞬時にTの腕を掴んで言った。
「え!なに言ってんの!そんな事してないっすよ!」
Tは何食わぬ顔で言葉を返した。明らかに私のメンコの飛び具合は尋常ではなかった。
「いや!絶対今のは指ではじいたはずだ!現にお前のメンコが着いた所と俺のメンコがあ
ったところとは微妙に離れていてぶつかった感じはなかったし、お前のメンコが着いた瞬
間と俺のメンコが飛んで行く瞬間にはちょっとした時間のズレがあった。」
私は真剣である。
「いやいやだから、ずるはしてないって!そんな事する訳ね~もん!実力っすよ!言い掛
かりはよしてほしいな」
Tは言い張るのである。私はTが間違いなくズルをした確信があった。
なぜなら私もその手を使えるからである。極力使わないのだが、窮地の際には細心の注意
を払って絶対にばれないようにやるのである。0.1ミリの誤差も許されないのだ。この
時Tは盤面に指先の爪が触れた幽かな音も残していた。間違いは無いのだが、私はここで
一歩引く事にした。
「じゃあ今の事は目を瞑ってやるかやら、もう一回やってみようよ!」
「しょうがね~な!そんなに言うならもう一回やるっすよ!」
Tは渋々と乗ってくれたのである。勝負事は無理に道理を通すとケンカになりかねないの
だ。特に童心に返っているこんな無邪気な時には。
気を取り直し再度臨んだTは、やはり私のメンコを番外へ押し出す事も裏返す事も出来な
かった。この均衡状態を保ちながら勝負は進んで行ったのである。
じわじわとTのメンコの数が減り、とうとう最後の一枚になった。Tは神妙な面持ちで私
に向って言った。
「この最後のメンコ違うやつと変えてもいいっすか?」
「いいよ!」余裕のある私は軽く流したのである。
しかしその新たなTのメンコを目にして私はあきれて返ってしまった。
「うわぁ~お!何それ、お前何考えてんの」
その手には直径30センチはあろうかと思われるうちわのような巨大メンコが握られてい
たのだ。私の手にしているメンコではとても飛ばせるような半端な大きさではない。Tは
負けたくない一心で最後の奥の手を持って来たのである。まるで子供時代さながらのおも
しろい展開になって来たではないか。
男はなんでこんなくだらない事に熱くなってしまうのだろうと滑稽に思えたがもう止まら
ない。その後、バカでかいそのメンコはどうしても飛ばす事が出来ずに苦しみ続け、私は
手持ちをどんどんと減らしていったのである。
とうとうこのあたりで、私の方が例の奥義を使う番が来たようだ。
目測だが実寸に近い正確な距離感を計り、敵メンコが完璧にすっ飛ぶイメージを膨らませ
た。期は熟した。私は細心の注意を払い渾身の指チョップショットを振り下ろしたのであ
る。ピシュー!
デカメンコは見事にぶっ飛んだ。そして長い長~い混戦にやっとピリオドが打たれたので
ある。ずるにせよ、最後に勝利の女神は私へ微笑をくれたのだと安易に受け止めた。
すでに夜中の3時を回っていた。
私達を遠目に見つめるSの目は明らかにあきれ返ったものだったが無理もない。
疲れ果てていたとみえ、この後私の記憶が曖昧に空回りしている。
思えばこのメンコ勝負の間、おりゃ~!うわぁ~!どりゃ!!まてこら!などと掛声や怒
号がとびかっていた。夜とはいえまだまだ蒸し暑さが居座り、窓という窓は開け放ってあ
った訳だから、間違い無く御近所迷惑だったに違い無い。落ち着きを取り戻した私達は申
訳ない気持ちでいっぱいになった。まさか隣でメンコ勝負をしていたとは誰も思わなかっ
ただろう。
翌日、右肩が壊れていた。
右腕を重力にまかせたまま垂直に垂らしている状態から、1ミリも動かせない。無理に動
かそうものなら肩の中心に巣くってしまった激痛点が私の顔を歪ませ、同時に指先にまで
激痛信号を送ってくる。たまったものではない。もしかして肩が外れているのかもしれな
いと思った。それでも自業自得なのだから仕方が無い。激痛に堪え目の前の仕事に精を出
した。電話は左手で受けた。左耳で聞く電話の声は鼓膜に新鮮な感覚だった。レジも左手
で打った。これには意外と梃子摺った。ひと休みの時間が出来たのでふらりと表に出掛け
た。ゆうべの疲労と酒が残っていた私の体に新鮮な空気が心地よい。ゆっくりと歩を進め
て行くとK二号の店の前に差掛かった。
ガラス越しにちらりと視線を投げてみた。
電話の相手は仲の良いメーカーなのか恋人なのかおふくろさんなのか解らないが、何やら
話がはずんでいる様子。受話器はやはり左手に握られていた。
こんな肩になるまで頑張らなくても良かったのに、大人気ない。とは思ったがそれでも夕
べは最高に楽しかった。あれだけ何かに夢中になれるひとときって大人になるとそうはな
い。立前やら気遣やらに埋もれ精気を失いかけた魂を揺さぶり起こされた、かけがえのな
い時間だったのかもしれない。こんなふざけた事もたまにはいいじゃないかと吹っ切れた
。電話の向こう側へ笑顔を傾けるK二号の右腕はだらりとたれたまま、ピクリとも動く事
はなかった。

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