Column

第55話  こんなの・初めて!

ドッガーン・・・プシュ−バフバフー・・・!
何がどうなったというんだ今夜は・・・。

極点なみの寒気の流入による過度な路面凍結のせいで、コントロール不能に陥ったワゴン
車が、私達の後方にそびえるコンクリート製の電柱に激しく突っ込んだ。たったいま激突
したその電柱のその場所には、ついさっきまで私達の車があった。ほんの2~3分前にそ
の場所から10メートル程先の路肩へと車を移動させたばかりであった。
こりゃあ危なかったわい・・・本当に危なかった、あとちょっと移動が遅れていたら…。

人生で最初に手にした車は、私がまだまだケツのあおい学生だった時代、バイト先の会社
からただで手に入れたポンコツのスバルR2であった。この小ぶりでキュートな車のおか
げで、さしあたっての夢や金が無くとも光り輝く素敵な青春時代を過す事が出来た。
その二年後、家族という新たな形態と小さな希望に恵まれ、それを期に地元へと戻る事に
なった。そこで人生ニ番目に手にした車が、これまたこじんまりとまとまった三菱ギャラ
ンシグマという中古のセダンであった。帰郷直後の新米サラリーマンであった私には、あ
れこれとたくさんの車種の中から好みの車を物色するなど到底叶うわけもなく、知り合い
の車屋が「お前にはこれで十分だろ」とでも言いたげな雰囲気を漂わせながらも笑顔で持
って来てくれた、このさりげない車で妥協するしか手は無かった。
取得金額は40万円、それでも長いローンを組んだ。
時も巡り、生活を圧迫しつづけていたその微妙な金額のローンもそろそろ終了~というあ
たり、国道4号線を走行中に通りすがりの中古車屋の店頭で真っ赤な初期型VWゴルフが
目に入った。つぶらな瞳のその車が、どうしても頭から離れない。先のローンも残り少な
い事をよい事に「いっちゃえ~!」とそれを手に入れる事にしたのである。
価格は偶然にも前回と同じ40万円、再び微妙なローンが発生した。
これが人生三番目のものとなった。
そのVWゴルフ、宝クジでいったらめったに当たる事のないだろう一等賞に匹敵する大っ
ぱずれであった。私は私自身の眼力の無さを呪った。生まれて初めて自分の欲しいと思え
る車を手に入れたという歓喜から一ヶ月、車の命ともいえるエンジンがなんの前ぶれもな
く突然黒い煙を吹きはじめて炎上、すぐにも奈落の底へとつきおとされてしまったのであ
る。「とてもじゃないが修理はきかない」と、聞き入れる事を鼓膜が完全拒否しそうな悪
魔の見積もり発言に、泣く泣くエンジン全交換という苦しい立場に陥ってしまったのだっ
た。
数日後、買った車体値段よりも高額な60万円という判決が下った。
「これも・・ローンでいいすか?・・出来れば前のやつに組み込めない?・・無理・・あ
っそう・・。」

いやいや人生こんなものではなかった、ここから本当のいろいろが始まるのだ。

うららかな初春の昼下がり。赤信号の交差点。呑気に鼻くそでもほじくりながら、前方の
信号が青に変わるのを今か今かと根気良く待ち続けている、見ず知らずのおじさんの車が
あった。ローン返済真っ最中の真っ赤なゴルフを運転していた奥方は、前方という近未来
をまったく気にもかけてはいなかったようだ。なんの躊躇もなく、そのおじさんの車のテ
ールへと激しく突っ込んだのだ。
ブレーキ位は確か付いているはずなのだが、意志がなければきく訳がない。
アゴをふんわりと上方に浮かしたまま、なにげなくも信号機を見つめている世間知らずの
おじさんとしてはたまったもんじゃない。そのゆる〜いアゴの角度を保ったままの後頭部
を、スピードという武器を与えられ時速50キロまで瞬時に加速したヘッドレスが激しく
襲い掛かったのである。
またしても大戦勃発か!と思ったかどうかは定かでは無いがビックリ仰天した事を疑う余
地はない。

おじさんの車のテール部分はバズーガ砲でも打ち込まれたのかと見間違う程に大破し、あ
まりの突発的な出来事におじさんの魂は打ちのめされていた。
しかし幸いな事がひとつ、おじさん本体には全く怪我はなかったのだ。
奇跡だ。
私達は感謝しなくてはいけない。おじさんの強靱な鋼のような肉体に、タコのような軟体
的衝撃吸収性に、とりわけ猪のような首の強さにである。
お蔭で私達の加入していた陳腐な保険でもなんとか示談をまとめる事が可能となり、後々
の大きな損失を免れる事が出来た。
一方ゴルフは違っていた。フロントグリルは見るも無惨に砕け散り、男前だったはずのボ
ンネットは衝突の激しい圧力でへの字にひん曲がった。ラジエターからは活火山の火口の
ごとくに大量の蒸気が吹き上がっていた。
修理するにもこれまた結構な金が掛かるとの第一印象での見積もり具合に、先頃エンジン
交換でケツの毛まで抜かれ腑抜けと化していた私は、再び走らせる為にラジエターだけは
修理に回したものの、外観に至ってはこの斬新な形状のまま乗り続ける事を余儀無くされ
たのである。

この事故から苦節数年、ジープチェロキーを手に入れた。
と言うのも、その事故以来ゴルフのエンジン部分には幾つもの不良箇所が新たに発生し、
排気管からは多量の白煙をまき散らすまでに悪化してしまっていた。夏にはその白煙が車
中に入り込み、クーラーが無いのに窓を開けて走れないというダイエット仕様と化した。
当然まわりを走る車にまでも煙害を与え続けており、私達の後方を走る車などは決まって
窓を閉め切るのであった。そんな事々も大きな要因のひとつではあったが、実は例の長い
ローンからやっと解放されつつあった事も大きい。よく我慢したものだ。

当時、チェロキーは日本ジープ協会が極少数だけを日本に輸入していた程度で、一般的に
殆ど存在すら知られてはいなかった頃だ。
乗り心地は最高だった。アメ車特有の船に乗って揺られているかのような滑らかな浮遊感
と、走行中に他車を見渡す事のできる視線の高さ、また滅多に同じ車が走っていないとい
う優越感もあり特に気に入った車だった。

運命の時間は刻一刻と近づき、その夜はとてもとても冷え込んでいたのである。私はこの
日、無国籍料理店HGCでの仕事が入っていた為、午後8時すぎからK一号と組んで店の
カウンター奥に立っていた。
そこへ地獄からの電話がなった。
「車・・・電柱にぶつけちゃった。」聞き慣れた奥方の声。
はじめは何を言っているのか、忙しさも手伝い理解が出来なかった。
「ぶつけたって、どこに?あ、電柱だったっけ、って、え~!」
現実を受け止め、電光石火のごとくに頭の中に文章が走った。
(え~またかよ~本当いいかげんにしてくれよな~!)
しかしこれをググッとのど奥に飲み込み、どういうわけか「ケガはどうなの?」などと偽
善的でとてもしらけた言葉を口走っていた。うわべ心にめまいがした。
声はバリバリ元気だから大丈夫なはずである。

電話は、電柱に突っ込んでしまった車をどうしても移動させる事が出来ずにいるので何と
かして欲しいとの内要だった。
動かせない・・・いったい私の車はどれだけのダメージを受けたのだろう?
受話器を元の位置に戻し、私はダウンJKTを手に速攻その現場へと向かった。
現場は店から歩いて10分程度、約1キロメートルの距離である。
それにしてもこの日の寒さは半端ではなかった。鼻毛も氷るこの感覚では、気温も-10
℃を下回っている筈だ。路面はまるで磨き上げた鏡面のごとくにツルピカキンキンで、ま
ともに歩く事すらままならない。
現場まであと100メートルという近辺まで辿り着いていた。至る所雪に覆われ、特に車
道には深いわだちが刻まれていた。車はそのわだちに沿ってというよりは、レールのよう
なそのわだちにはまって走行しなくては、とてもまともに走ることは出来ないだろうと思
われた。
そんな過酷な環境のなか、私の後方から一台の車が猛スピードで走って来た。とても危険
な速度だ。どう見てもクレイジーなその車は、ちょうど私の横を通り過ぎようとしたとこ
ろで、突然何者かに突き飛ばされたかのように見事にスピンした。深いわだちから瞬時に
外れ、そのまま道路左側の歩道脇に設置してあったコンクリート製の電柱に左側面から激
突した。こんなにも凍てついた路面ではちょっとしたミスが命取りになる。だが次の瞬間
目を疑う現象が起きた。車体に激しい衝撃を受けたその車は、そのぶつかった反動で瞬時
に元の深い溝のレールへと押戻されたのだ。とても現実とは思えない早さで元へと戻り、
まるで何事もなかったかのように走っているのだ。
「いったいなにがどうなった?」
一瞬の非現実的な出来事に私の体はフリーズした。
私の知る限り、その車はとうとう現実を直視する事はなかった。ぶつかったのは錯覚だっ
たと錯覚しているのか、その押し戻された状態のまま、なんなく走り去ったのである。不
思議な光景であった。
現実逃避、そう、君はその車の左側をもう見なければ大丈夫だ!

現場に到着すると、チェロキーはVWゴルフ同様またしてもボンネットが芸術的なヘの字
にかたちづくられ、ラジエターからは高らかに高温の蒸気が吹き上がっていた。まるで電
柱に噛みついて唸っているブルドックのようだ。

早速、車内で待っていた奥方を助手席に追いやり、止まっていたエンジンをかけてみると
運良く一発でかかった。そこで、ちょっとばかり先の安全な所まで移動する事にした。点
検して見る前に、すぐにレッカーを呼ぶ事にした。
私の出来る範囲をはるかに超えているのは一目瞭然だった。

連絡も無事に済み車内で待機していた。

ドッカ~ン!

大きな衝突音が響き渡り、あわててその方向に目をやった。私達の車がぶつかったその電
柱に別の車が全く同じ格好で激突しているのが見えた。
目を疑った、まさかと思った。
冷静に考えてみると私達自身が危機一髪、危うい所で助かったと言えるのだ。もたもたし
ていたらと思うとぞっとした。
それからレッカー車が到着するまでの30分の間に、その電柱には6台の車が突っ込んで
来た。私達はただただ唖然と様子を伺う事しか出来なかった。
最初は奥方に「またかよ、いいかげんに気を付けろよ!」と怒ろうと思っていたのだが、
こんな物凄いものを見せ付けられては気持ちが萎えた。これは起こるベくして起こったも
のかもしれないと、思考が震えた。
1997年の凍てつく冬の夜にチェロキーはなんなく廃車となった。
それにしても私達のいた30分という短い時間に6台。3台目からは、いつ突っ込んで来
るかとハラハラドキドキしたものだ。
あの夜、あの威風堂々とそびえるコンクリート製の電柱はいったい何台の車を地獄へと葬
り去ったのだろう?

奥方はと言えば、次に購入したVWパサートでも、初期の鋼鉄おじさん同様、信号待ちの
見ず知らずの車に再び後方から突っ込み、一悶着を起こしていた。
またしても修理にお金と時間を費やした。
この後、かつての報いなのか、奥方が信号待ちの最中、逆に他の車に横っ腹へと突っ込ま
れた。この一件でVWパサートも完全に散っていった。
廃車の公式記録は3台。
ここまでくると何があっても多少は驚かない。
ただ、この先、例の負け知らずなコンクリート製の電柱が成し遂げた破壊記録を、もしか
して抜く日が来るのかもしれない、などと想像を膨らますだけで血糖値が上がる。
そろそろシュークリームはひかえようか。

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