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第52話  帰り際の美学

酒の席、特に会社関係の宴会などでは、年下の人間や新人などはなかなか途中からその席
を抜け出す事は困難である。ちょっとでも席を外そうものなら上司から「なにやってんだ
ー!」と怒号が直撃する事は間違いないだろう。
最近では携帯電話の普及にともない、携帯電話を耳にあて「もしもし?もしもし?」と、
さも電波の具合が悪いかのように装い、そのまま外へと向かい怪しまれずに退散出来るの
だが・・・・後が恐いけど。

かつて私が経験したエスケープ事件でひときわ異才を放つものがあった。
それはK一号(以下K)が頓智と機転をきかせ、極めて困難な場所からまんまと逃げ切っ
た時の事だ。いささか詐欺罪にでも抵触しそうな不埒でいて華麗なその技を今でも忘れる
事は出来ない。
彼が若干23才で打算的要素と爽やかなういういしさを兼ね備え、現在と違って笑顔の可
愛いとてもスレンダーな頃だった。そういう私も30代に突入したばかりのうつけ者で、
ジーンズはウエスト28インチがなんなくはけていた頃、そう、毎朝リーゼントをセット
するのに30分もの時間をかけていた頃だ。
当時の私達は当然のごとく現在よりも遥かに体力があり、その分飲む酒の量もなかなかの
もので、毎晩のようによく飲みよく語ったものだ。特に仲の良い友人がプラスで集まった
時などは時間の経つのも忘れておおいにうかれ、解散するあたりは決まって朝日が街路樹
を眩しく照らしている、一日で最も美しい時間帯であった。
そんな私達がいつも集まって酒を飲んでいた場所は、一時期私自身がシェフとして料理を
創作し提供していた無国籍料理店HGCであった。そのHGCの営業時間は午前1時まで
なのだが、この草木も熟睡中の暗黒の時間から、業界の友人やその友人の友人連中が、夏
木の甘い樹液をもとめるカブト虫のごとく、どこからともなく集まってくるのだ。店は看
板の灯を消したうえに暖簾を終い込み玄関先は真っ暗で淋しくなっているにも関わらず、
である。もしかすれば、逆にこの明かりが消えた事がひとつの彼等への合図になっていた
のかもしれない。
どっぷりと夜の帳に包まれ、タクシーだけが煌々と社灯を輝かせては長蛇の列をなして停
車し、一向に姿を表さない酔客を根気良く待ち続けているだけのこのささやかなる街の片
隅で、ついさっきまで汗した営業中よりもさらに活気のある飲み会が幕を開けるのである

この課外飲み会に関してひと言言わせてもらえれば、全て只であった。皆がいくら酒を飲
んだとしても、この私は一銭もお金を貰った試しがなかった。その理由としては仲の良い
人間が多い事と、解散する頃には私自身が集金をしなければならないと言う考えを持ちえ
ない程の泥酔状態にある事が上げられる。それを好い事に誰一人お金を払わないのである
。そんな金銭的曖昧さが続いていくうちに、徐々にチェック自体がおろそかになっていき
、誰が幾ら飲んだのかはいつしか神のみぞ知ると言う事になってしまったのである。日々
の営業の売り上げよりも、皆が好き勝手に飲んでいるこの営業外の酒代の方がはるかに大
きな数字になっていた。今思えばよくこれで店を維持できたものだと我ながら感心してし
まう。物事を深く考え無くても何とかできた楽天的でやさしい時代であったのかもしれな
い。

そんなゆるやかな時代の風が吹いていた、とある深い夜。
店内はKの友人が大半を占めていた。Kの友人は私に取っても仲のいい人間が多く、全く
気の良い連中が揃っていた。その連中はいつものように「いただきまーす!」の掛声ひと
つで勝手に酒を飲み出すのである。それぞれが勝手に酒を手にできる大きな要因としては
、カウンターとボトルの位置関係にある。通常のバーであればカウンターがあり、そこに
座ったお客の前にはバーテンダーが立っていて、そのバーテンダーの背中側に各種酒のボ
トルが収まっているものだが、ここHGCは違った。お客とバーテンダーが話をしながら
酒をショットで注げるようにと、お客とバーテンダーの間、つまりカウンターの上方に各
種ボトルを吊す形でセットしてあったのだ。だからカウンターに座ったままでもちょいと
背筋を伸ばせば簡単にショットグラスに好きな酒をいくらでも注ぐ事が出来てしまうので
ある。お客思いのその優しさ溢れる設計が確実に裏目に出た形となっていた。

この日のKは、来店時からなんだか浮かぬ顔色でやや元気が無い様子だった。
「俺、今日お先していーすか!」
案の定しばらくするとなんなく撤退を申し出てきたのである。だが、自分が引き連れて来
た連中を全員残してなんて、そうは問屋が卸さない。
「何言ってんだよ。まだ早いだろ、それに皆お前の仲間だろ!」
私が切返すと、それを耳にした回りの連中も口々に彼を罵倒した。
「そうだよ、まだいろよお前!」
「もう帰るって、来たばっかりじゃねーか、どうしたんだよ!」
「な〜に考えてんだよー?」
仲が良いだけにとにかく口の悪い連中である。
「分かった、分かったよ、まだ居るっちゅーの!」
皆からの総攻撃をくらったKは渋々ながら覚悟を決めたらしく、踵を返すと先程まで座っ
ていた自分の席へと戻り再び酒を飲み始めたのである。

このK、いくら酒を飲んだとしても、高慢ちきなアルコール検知器をなんなく弾き飛ばす
偉大な力を備えていた。どうやら厄介なアルコールを気化せず体内に液状で溜め込む特殊
機能を持った体質らしい。若気の至りではあるが一度だけ、真直ぐ歩く事もままならない
酩酊状態のままに検問を受けた事があった。酒の臭いはぷんぷん見るからに酒に酔っては
いるのだが複数回検査してみても一向に検査機のアルコール濃度は上がらない。全くなに
も出ないのだ。これでは警察としても検挙出来ないのである。止むなく警官もこれだけは
口にした。「少し休んでから帰れよ!」
(かなり大昔の話であり、現在は飲んだら乗らないが家訓になっているので悪しからず)

ひと悶着から小一時間が経過していた。
再びKが私の所に歩み寄り、そして私の耳元でささやいた。
「俺、ちょっとコーヒー買って来ますけど、何か飲みます?」
そう言われてみればここで軽くコーヒーブレイクも悪く無い。私はポケットから無造作に
小銭をひとにぎり取り出し、それらをまとめて彼に手渡した。
「いいね、俺もコーヒーにしようかな、これで買って来て!」
すると回りの連中もそれに乗って来た。
「俺もコーヒーがいいな!」
「私はオレンジジュース!」
「わいは・・・・・・・!」
「I want・・・・・・・!」
などなど皆からのリクエストが相次いだ。
私はその要求に充分足りるだけの小銭を手渡してはいたが、Kはその連中からもひとりひ
とり個別にお金を集めては何を飲みたいのか再確認して行った。
ひと通り席を回り終えると、さりげなくもさらりと買出しに出掛けて行ったのである。
その時その場は数日後に迫っていたお祭り(三社大祭)の話題で盛り上がっていた。八戸
のお祭りは他と比べ少し地味なんじゃないか、ねぶたの様に夜も山車を引けば良いのに、
俺はそうは思わない、この厳かなままがいいんじゃない、いやいややはり観客あってのも
のだから観光客が足を止めるようにしなくてはならない、などなど議論は白熱していた。
結論としてはなんの生産性もないこの場限りの戯言なのだが、酒の肴としては平生な展開
で、そこからまた次ぎの話題へとたやすく移り変わっていくのである。
そうこうしているうちに愉快な時間は加速度的に経過し酒もまた進んで行った。

そんな時・・・・・ぽっかりとコーヒーの事が浮かんだ。
そう言えばコーヒーを買いに行ったんだよなKは・・・?
あいつはいったい何処まで買いに行ったんだろう・・・?
今何時?ん!それにしても遅過ぎ・・・・・?

「うわぁ〜っっっっ!」

奴の魂胆の全貌が私の頭の中で瞬時に組み上がった。

「あいつ帰りやがった!」

すっかりKの事は忘れ去ってしまっていた。丁度祭話で盛り上がっていた時だったという
事もあるが、それ以前に皆からわざわざお金まで集めている健気な仕草には信憑性があっ
た。疑う余地など微塵も存在しなかった。
常識という薄っぺらな思考がくつがえされた瞬間だった。
見事だ!
今夜集まったやつらの人間性をも勘定に入れている。
手際があざやか過ぎて笑いが込み上げて来たのは私だけか!
いや、皆もあっけに取られ、狐につままれた単なる泥酔軍団と化していた。
Kは集めた小銭をポケットに押し込み、何食わぬ顔で自分のコーヒーだけは本当に買って
とっとと自宅に帰ったに違い無い。今頃はすでにベッドの中だろう。

この一件で素に戻ってしまった私は、今夜も多量の只酒を皆に飲ませてしまった事実にあ
らめて気付かされ、今更ながら反省の念が過った。こんなんでやって行けるのかこの店?
とひとり切なくなっていた。
急に酔いがさめて心細くなったせいだろう。
静寂を取り戻していた店内には、空になった酒瓶が床のあちらこちらに転がり、空中には
感傷の粒子だけがさやさやと漂い続けていた。

「ふーっ」ながいため息がひとつ出た。そろそろ帰るとするか。

身支度を整えた私は、一日で最も美しい空間へと歩み出た。

(祝・ソロモン流出演!)
K一号、去る11月16日のテレ東・ソロモン流出演おめでとう!
久し振りのリーゼント姿が眩しかったよ。それに子供の頃の写真を見てみんなで大笑い、
こんなに笑ったのは久し振りだね。
そうそう、ICHIもその写真がツボだったとメールに書いてた。
弟のKJ君はクリエーターとして本当に立派になったね。うれしくて連続2回ビデオを見
てしまい、2回目はググッと胸に込み上げて来るものがありました。
これからも兄弟仲良く頑張って下さい。
—テレビ出演記念特別号—

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