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第46話  それでも嘘はついてない!

「ロンドンの若手のアーティストが描いたっていう、たった一枚しか残っていなかったT
シャツ、確か~そうそうサムライの絵のやつ、私買ったんですよ~覚えてます~?」
店を訪ねて来た、ほどよくふくよかな女性はにこやかにそう言った。
「サムライ・・はて?ロンドン・・はて?・・・・なんじゃそれは?」
私はこの女性が何の事をいっているのかさっぱりと見当がつかなかった。だが、とりあえ
ず「あ~はいはい、アレかな~・・・はっはっはっで、どんなやつだっけ?」と曖昧に言
葉を濁しながらも探りを入れ、なんとか思い出さなければと海馬からの時空情報を引き出
すために電気信号を必死で送り続けた。

それは1987年、店を初めたばかりの頃の事らしい。
季節は太陽サンサンと輝く緑濃い初夏であったから、ちょうど丸10年は経っていた。
推測するに、彼女は20代の後半を向かえ、若かりし頃の思い出を胸に、久し振りにこの
店を訪ねて来てくれたのだろう。10年ひと昔とは全てのものをまるっきりというまで変
えてしまう能力を十分に兼ね備えているものだ。私は彼女の口にした意味不明なTシャツ
以前に、至極親しげに話をしてくるその彼女自身に全く見覚えがないのである。年の頃か
ら逆算すると、彼女はその当時、高校生であったのかもしれないから、随分大人へと脱皮
しているはずだ。
女性の変化の速度には到底ついてはいけない。

「え~それって覚えてないんですか~!ショック~!」
私の曖昧な対応に業を煮やし、対面した瞬間のやさしい笑顔から一変、波が引くがごとく
に悲しい表情を滲ませた。

初期の頃、一日の来客数はそれこそ雀の涙で、いつ潰れてもおかしくはない経営状態であ
った。そんなものだから、仕入れの状態もたかが知れており、その仕入れの少なさを補う
ためにいろいろと手を尽くしたものだ。店内の陳列スペースが閑散としていては寂しいの
で、それをうめるために大振りなクッションを手作りし商品として置いた。確かセサミス
トリートの絵柄がメインであった。これは容積的にも空間を占拠してくれ大いに助かると
共に、また良く売れてくれた。調子にのって何個も夜なべしては作ったものだ。
雑貨の福袋を作った時もこの手作りのクッションを全てに入れる事により、見栄えもよく
その福袋は完売してくれた。運の良い事に返品はなかった。

あっ!そう言えば・・・・。

あの頃・・・・Tシャツに絵を書いて売っていた時があった。
そうだ!ヘインズの3枚パックを大量に買込んでは一枚一枚にスペシャルな絵を書いた。
同じものは一点もなかった。ペイントに使用したインクは当時新発売のウレタン素材を混
合したもので、乾いてからアイロンの蒸気をあてるとペイント部分が膨張し、絵が立体的
に表現出来るものであった。これもクッションと同じく、閉店後に時間のある時は明け方
まで描いていたものだ。その中でも一番描いたものはキースへリングのアートだった。
ポップアートが注目を集め、世界中で絶大な人気がでだしたあたりで、巷に氾濫していた
数多くの特集雑誌を見ては、そのまま大きくコピーしたものだ。
そしてこれがよく売れたのだ。
当初これで飯を食っていたといっても過言では無かった。
キースへリングのポップアートは案外手軽に描けるものがおおく、一晩に何枚ものTシャ
ツを仕上げては、翌日店にディスプレイしたものだ。
そんな無軌道でその日暮らし、されど幸福な日々をいたずらに送っていた頃、何を勘違い
したのか「こんなありきたりじゃなく、違う絵も描いてみたい」などとまるで芸術家きど
りに花が咲いてしまった。
やはり当時人気のあった、NBAはマイケル・ジョーダンのシルエットを描いた事もあっ
た。それがまた売れた。そうなればバカなもので調子づいてしまう。次から次へと雑誌を
片手に売れそうな絵を見つけてはTシャツに描いていった。
そんな時だ・・・・。
前記したように、インクは膨張し膨れ上がる性質の物を使っていた。その為、蒸気をあて
て膨らんだ後に、描いたはずのものとは全く別物に変化してしまうケースも稀にあった。
そうだ。その中に例の物があった。
私はどうゆう心理状態であったか定ではないが、有名な童話「赤毛のアン」に登場する主
人公アンを描いた事があった。
確か子供達の絵本の挿絵の中、その純朴でキュートな姿に引かれた。

それはとても素直で可愛い絵に仕上がっていた。純白のヘインズにオレンジ系のペイント
。全体のコントラストも実にいい。そのペイントが乾ききったところで、仕上げに蒸気を
吹き掛けた。

その時だ。
絵全体がみるみるいびつに膨張し、あらぬ方向へと変化しだした。
あの美しかった顔立ちは、精悍な男顔に変化してしまっていた。まるで映画「用心棒」の
三船敏郎ではないか。快心の出来だったみつ編みの髪型はどういう訳か散切り頭風に、花
柄のカチューシャはちょんまげ、ストライプの花柄スカートは、どうひいき目にみてもハ
カマ以外の何者でもなく、手にしたほうきは日本刀そのものであった。
まるで絵に書いたような・・・絵の失敗作だ。
通常であれば廃棄処分だが、まあ~何がなんだか解らないだろうからと店にならべた覚え
がある。もし売れなかったら処分するか、はたまた部屋着にしようと思っていたはずだ。
(部屋でもべつに着たくはないが)

しかし・・・それが・・・売れたのだ。

しかも彼女がサムライの絵といっているからには、私が「それはサムライの絵ですよ」と
いったのか?
まさか・・・いった覚えはないし、私のプライドにかけても赤毛のアンだというはずだが
・・・それとも「またまた~りっぱなサムライじゃないですか~」と信じてはもらえなか
ったのか?
ロンドンのアーティストはどこから?
そしてそいつはいったいどこのどいつだ・・・・・私か?
「どんどん書けるよ!」といったのをロンドンと聞き違いしたのではないか?
いくらなんでもそれはないな!
しかし、今更「それは赤毛のアンで、ジャパン在住の私が書いたものです」などといえた
ものではない。

それらを全て踏まえたうえで・・私はやさしく言葉を返した。
「あ~あれね~。はいはいありましたありました。なかなかカッコ良いいやつでしょ。」
「そうそう、あのサムライのきりっとした姿に一目惚れしちゃったんですよ。サムライの
Tシャツなんてそうないですもんね。良かった、思い出してくれて。」
「もちろんじゃないですか、忘れませんよ~ところでまた新作が揃ってますよ、こっちこ
っち・・・・・。」

どうにか穏便に話を横に流す事ができた。

彼女はきれいな転写プリントのTシャツを手にしていた。それこそロンドンで友人が最近
買い付けて送ってくれたものだ。その無垢な白地に真紅のチューリップの群生する絵柄は
彼女にとても似合うことだろう、あのアンよりも・・・。

結局最後まで赤毛のアンには触れないように言葉を選んだ。

あれからまた10年が過ぎた。あの時の不調和な光景と心のゆらぎが懐かしい。三たび彼
女が店を訪ねて来た時には「サムライじゃないよ!本当はね、赤毛のアンなんだよ!」と
自嘲気味に真実を打ち明けたくなった、なぜならそれを耳にした時の彼女のリアクション
が見てみたいと思った。

前衛芸術的なあの作品、彼女はいまだ持っているだろうか?
描いてから約20年、彼女の突然の来訪から10年、それ程時が経った今でも、あの凛々
しいアンの姿は容易に思い出す事が出来る。
もしまだ持っているのなら、ぜひもう一度懐かしいアンに会ってみたいものだ。

が、問題がひとつ。
いくら思い描いてみても肝心の彼女の顔が浮ばない。

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