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第35話  この木なんの木気になる木

深い樹海の様な眠りから、ふと私は目覚めた。
今現在の時間は皆目見当も付かない。

確か昨夜は店のスタッフや大勢の友人が集合した盛大なパーティーがあり、私は今までに
は経験のない程のかなりの量のテキーラを飲んだ筈だ。目に入る全ての物は二重から三重
にダブつき振らついて見える。
頭の中心部分は心臓の拍動の度に激痛が駆け抜け、胃の中の計り知れない内容物は熱で膨
張し、まさに咽の辺りにまで競り上がり、ほんの少しの何らかの刺激が加われば今にも溢
れ出しそうであった。
激しい二日酔いである

それにしても昨夜はどんな事があったのだろう?
この状態で幾ら考えてみても何一つ思い出す事は出来ない。取り敢えずたばこでも一服し
ようと、仰向けで横になっている状態のまま右手でたばこを取ろうとした。
((あれっ、腕が動かない!上がらない!))腕にはモッタリとした倦怠感とかなりの激痛が
肩から指先にまで走り、全く動かす事が出来ないのだ。
普段とは違う何か得体の知れない違和感を覚えた。
何が起こったのだろうと、次にいつも通りに起き上がろうとしてみたのだがこれも叶わな
かった。体内は乳酸が充満した様な異常な感覚と共に、身体は首と言わず腹と言わず、頭
のてっぺんから足の爪先にまで、まるで感電でもした様な激痛が走り、とても起き上がれ
る様な状態では無かった。
((もしや昨晩、浴びる程飲んだ後の帰り道で車にでも撥ねられたのかもしれない?))
などと思った。
仰向けに寝ている状態から、体のどの部分もほんの数センチも動かせないのである。
こんな事態は生まれて初めてであり、どう対処したら良いものかすっかり困惑してしまっ
た。この原因は何なんだろうと何度考えてみても、残念ながら断片すらどうしても思い出
す事が出来ないのだ。
辛うじて自由に動かす事の出来る目で時間を確認する事に成功したのだが、既に午後2時
を回っていた。
完全に遅刻である。
誰かを呼ぼうにも誰もいないだろう。途方に暮れた私の選択は、このまま少しこの状態で
様子を見ようと言うものだった。だが、小一時間程経過したにも関わらず何の改善もみら
れないのと、昨夜はどんな事があったのか未だに一向に思い出す事の出来ないでいた私は
、時間の経過と共に計り知れない大きな不安に苛まれ、このままでは何も解決しないだろ
うと、とうとう意を決して「ワン、ツウ、スリー」の掛声で起き上がったのである。

それはまるで全身の骨が5センチ刻みで折れている様な感覚の激痛と、それに伴って炎症
を含んだと思われる筋肉痛が、全身に電気ショックのごとくにビュンビュン突っ走る感覚
であった。
これは絶対に交通事故にあっている筈だと再度思った。

店に向かうとしても、とても車を運転出来る状態では無く、タクシーを呼んでも背を屈め
て乗り込めないだろうと判断した私は、歩く事にした。
時速2~3キロの超低速で摺る様に歩いた。感覚のなかで歩いて歩いて歩きまくった。
やっとの思いで店に到着すると、まるで生気のかけらも持たない全身打撲看者の様相を呈
する私を見たスタッフ達は、なぜか笑いを堪えているのである。
どうしたんですか?の一言も無い…。
訳の解らない私はひとまず事務所へと向かった。
そこで偶然居合せた友人Hから、昨夜の出来事の一部始終を聞いたのだった。

そうだ!この日は私の誕生日パーティーであった。
そうそう、久し振りに息子も参加していた。最初は穏やかなどこにでもありがちな普通の
飲み会であった。
確かにこの辺は理解しているのである。だがパーティーも半ば盛り上がりテキーラも皆シ
ョットで飲み出し始めた辺りからは、ぷっつりとなにも覚えていないのである。
ここからが問題なのだ。
かなりの盛り上がりを迎え、例のごとくまたグレコローマンスタイルの戦いが勃発したの
だ。
以前起こった時との大きな違いは、私ひとり対男十数人全員と言う特別過酷でブラボーで
ワンダフルな物であると言う事である。とてもとても適うものでは無い。
それでも泥酔拳の使い手である私はひとり、ふらふらでボロボロでゲロゲロになりながら
も戦い続け、回りはまるでプロレス観戦の様におおいに盛り上がり、最高の夜を演出出来
ていたのであった。
ただ余りにも過酷であり、それがまた楽しくもあったかどうか?やり過ぎてしまったので
ある。
ハシャギ過ぎの私を止めたのは息子であった。
泥酔してどうみても見苦しい私を誰も制止出来ずにいた所、ここは俺がやらねばと決断し
、有ろう事かピョンシー状態の私に強烈なラリアットを見舞ったのである。

私はぶっ飛び、縦型の冷蔵庫に後頭部から激突したのだ。
その一発でケリが着いた。
私は意識の朦朧とする中、戦意も失せ、また皆とテーブルを囲んでおとなしく飲み出した
のである。
既にこの時点で私の身体は粉々に壊れていた筈だ。
HGCの店内はと言えば、壁に対戦中に出来た大きな穴がポッカリと口を開け、その大穴
の周りの壁一面には皆の寄せ書きまであった。(笑っている場合では無いのだが、これが
かなり笑える代物であり、翌日写真を撮って保管してある。ピースサインの絵やら楽しい
言葉や文章の数々、確かあの名店Y鮨への道順を記したすごく分かりやすい地図なども大
画面であり、誰が書いたか一目瞭然である。)店内は凄過ぎてとても翌日営業出来る環境
では無いのである。
この後はスタッフと共にHGCへと出向き、激痛の残る体に鞭打ちながら本日営業が可能
な様に店の修復に汗を流したのである。
例の壁にあいた穴と落書きは、どう修理しようかスタッフと共に試行錯誤した結果、今で
はきれいにカガミ張りへと進化を遂げて以前より綺麗に修復が成されているのである。
悪しからず!
私自身はと言えば、複数カ所の本当の骨折を後になり知るのである。
と言うのは、あれから3週間経っても全身の痛みが取れず、整形外科に行きレントゲン写
真を撮ってもらった時には、折れた箇所は既にくっつき出しているとの事で、ギブス無用
のシップだけで治したのである。
骨折か、道理で痛かった…。
どれだけ激しい戦いだったのだろう?

あの日以来、私はすっぱりとテキーラを止めた。
(あの時、対戦中私の背後から不意に声を掛けて来た地図の得意な友人Tを対戦相手と勘
違いしたのか、思いっきり突き飛ばしてしまったのだ。全く記憶が無い。その時右腕に
20センチ余りの傷を与えてしまった。翌日知ったこの事が、反省の意味を込めてテキー
ラを止めるきっかけと言っても過言では無い。ごめんなさい!
そして、少しばかりではあるが、まだやらなければいけない事が残っているので、ここで
死ぬ訳にはいかないのであった。

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