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第32話  秋田風雪流れ旅

以前御紹介したように私達は社員旅行と言う形で、近場ではあるが年に一度温泉旅行に出
掛けるのである。
最近ではもっぱら大型マイクロバスを借りて私が運転手を勤めて出掛けるのだが、この秋
田の温泉へ向かう時は、その雪量の多さと山越えの難コースの為、さすがにそのホテルの
送迎バスをお願いしたのだ。
その温泉ホテルは十和田湖を望む秋田県側に位置しており、奥入瀬渓流を経由し展望台の
ある曲りくねった傾斜のきつい道を走破した後、十和田湖畔の周囲を小一時間程西へ走り
続けなければならなかった。
もちろん風雪の頃2月のこの辺りは積雪なども半端な量ではなく、しかもその曲りくねっ
た勾配のきつい道路面はギラギラに凍り付いているのである。
この遠方のホテルを予約したのにはふたつの理由があった。
それは、たまには青森県を脱出てみたいなどと言う極めて小さな願望と、もうひとつはタ
トゥーを入れたスタッフが多い為、行った先で度々その事を理由に入浴を断られたりする
事があるのだが、このホテルでは男女共一時間づつだけではあるが、他のお客様をシャッ
トアウトし、私達だけの為に大浴場を確保してくれると言う約束を旅行会社が取り付けて
くれたからであった。
折角温泉に行くのだからやっぱり全員で風呂に入りたいよ

旅行当日はやはり雪であった。この分だと十和田湖町辺りから秋田の県境にかけては想像
以上にものすごい事になっていると思われた。
約束のホテルからの送迎用バスが到着し私達は早々に乗車、そして直ぐに小宴会が始まっ
たのである。

運転手は年の頃50才前後の笑顔が素敵ななかなか感じの良い男性で、明朗闊逹な受け答
えが極めて印象的であった。
名前をWさんと言った。
大いに盛り上がっている皆とは別に、私はそのWさんの隣に座らせてもらい、大型バスの
大きなフロントガラスからの眺望を満喫しながら乗る事にしたのだ。
Wさんはとても気さくな方で、道中気を使わずに済みそうであった。
丁度バスが走り出してから数分後であったろうか、彼はこの絶妙なタイミングでおもむろ
に自身の生立ちを語り始めたのだ。
そして(十和田湖に生息している姫マスを最初に放流し育てたのは自分の祖父なんだよね
!)と言うのである。
そう言われてみればWさんと言う名前はこの辺の人々なら殆ど聴いた事のある程有名な名
前である。その偉大な先人の子孫だと言うのだ。
私は、そんな有名な先祖をもつ人の体験談を偶然にしろ聞けた事と、その含蓄のある数々
の言葉の乱射に感嘆しきりであった。

車内の一方では酒盛り片や興味深々の偉人話しと、私達は和気藹々な雰囲気で先へ先へと
進んで行ったのである。
暫くして八戸市内を抜けたあたり、Wさんは随分慣れた感じで幹線道路は通らずに直ぐに
山道に入ったのだ。こんな雪の日にこの道はどうなんだろう?と思ったのだが、相手はプ
ロである。
素人の私がつべこべと言うべきではないと感じ、ググッと感情を胸中に押し込んだのだっ
た。
だが、案の定と言ったら良いのか悪いのか?直ぐにもその道は雪の影響で長~い渋滞が続
いている状態で、身動きの取れなくなった私達のバスも御多分に洩れずに、そのノロノロ
走行の仲間入りとなってしまったのだった。

Wさんはと言えば、そんな事はお構い無しで自分の事を楽しそうに(第一印象の明朗闊達
そのままで、しかもマシンガンなのだ)話し続けているのである。
ノロノロ走行ながら十和田湖に近付いてはいるが、通常の2倍弱の時間は経過している。
現在地からホテルまでさらに2時間は掛かる事だろう。
それでもWさんの話は一向に止む気配はなかったのだ。

徐々に十和田湖畔の高台である展望台に近付き、曲りくねった勾配のきつい凍り付いた危
険な道路を走行中であった。
話に夢中になったWさん、今度は運転しながら左隣に座っている私の目をみながら話すの
である。
私はあまりの危険な行為にすっかり酔いも覚め、
「Wさん前見ましょうよ。危ないっすよ。」と言ったのだが、
『慣れているから大丈夫!こんな所は目を瞑っても大丈夫!』と本当に目を瞑ったのだ。
((ウワ~オ!))
「解りました!解りました!前、前見ましょう!あなたはすごい!」冷汗たらたらもので
ある。

道路の片側は鬱蒼と大木の生い茂る急勾配であり、もう片側は湖側の断崖絶壁、さらに路
面は鏡面のごとくにツルピカなのだ。このとても危険な場所で、隣の私にすっかり正面顔
をみせてニコッと微笑むWさんは憎めないが、とても生きた心地はしなかった。迂闊に質
問など出来ないのである。
まるでその危険な行為を楽しんでいる様な、そうだ完璧に遊ばれている感覚だ。
ホテルに到着するまでずっとそうだった。私は何度前を見て欲しいと言ったことか。

やっとホテルに着いた頃には緊張感から私はドッと疲れ果ててしまっていた。
午後の5時に出発し到着は9時、4時間もの長旅だ。
『さぁ、皆さん着きましたよ~!』とWさんだけは元気そのものである。
さすが偉人の子孫だけある。いや~たいしたものだ!絶句…!

こんなんで到着時間が遅くなってしまい、バスから降りるや否や唐突に(先に食事を済ま
して欲しいのですが…。)などと支配人に頼まれるわ、あれほど交渉してもらい、やっと
確保してもらったと思っていた風呂も、なんの事はない時間無制限でいつでも入り放題で
あった。
なぜなら宿泊客は私達だけだったのだ。
中堅のホテルで客室もそこそこの数はあったのだが他に誰もいないのである。
いったいどうなってるんだ?
もうこんな疲れる旅は嫌だ。
深夜にひとりゆったりと温泉に浸かり、窓越しに美しくライトアップされキラキラと輝く
樹氷を眺めながら((もうここには二度と来ないぞ!))と固く誓ったのだった。

翌朝、帰路もやっぱり元気なWさんの運転だった…。

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