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第25話  ブリーフ悲話

現在、店鋪は鳥屋部町にある。十数年前に馬場町から移転して来たのだ。
馬場町はなかなか閑静な場所で随分気に入ってはいたのだが、既に店が手狭になりつつあ
った。
そこで数々の店鋪物件を物色中に今の場所を探したのである。
当時、改装工事関係で工務店さんにお願いするのは、最低限自分達で出来ない高度な技術
のいる部分のみで、後はほぼ私と他数名で造作、塗装などを受け持っていたものだった。
そして、そう言う点に措いても、この馬場町から鳥屋部町への移転が過去一番きついもの
であった。
馬場町の店鋪は6坪だったのに対し、鳥屋部町の店鋪は30坪と約5倍の広さがあり、倉
庫も入れると70坪はある。私は時々カミさんに手伝ってもらいながらも、孤独な毎日を
ほぼこの店鋪内で製作に費やし過ごしていたのだった。
既に体は疲労のピークを向かえていた。作業に入って一月程が経過し、店としての形状が
徐々に仕上がりつつある日、私は大きな棚をセッティングするのに、たまたま居合わせた
K(二号)に手伝ってもらい、渾身の力を込めてそれを持ち上げたのだ。

すると、私の背中で「ブチッ」と奇音がしたと同時に背筋に激痛が走ったのだ。
とても尋常な痛さではない。
私は思わずその場に転がり込んでしまった。そしてその転がり込んだ状態のままでピクリ
とも動けないのだ。
ほんの少しでも動こうものなら背中にまた激痛が走るのである。

直ぐに事態を察知したKは私の腕を掴んで私の上体を起こし上げ、側にあった椅子へと抱
えて座らせてくれたのだった。その状態でKからカミさんへと連絡をとってもらい、その
後直ぐに来てくれたカミさんに今度は体を支えられ、このような症状には一番名医と言わ
れているT整形外科病院へと向かったのである。

T整形外科病院は患者でごった返していた。
有名なだけあって各地方からもわざわざ出向いて来るのであろう。この病んだ人々の数の
あまりの多さに、私は覚悟を決め痛さを堪えジッと待つ事にした。
それはそれは長い時間であった。一時間位が経過しただろうか、やっと私の名前が呼ばれ
、私は診察室と向かう事が出来た。
診察室では数々の質問を受けたが、先生の提案で取りあえずレントゲン写真を撮ってから
また詳しい話をしましょうと言う事になり、その足で直ぐにレントゲン室へと向かったの
だ。レントゲン室は私ひとりで入らなければならない。
私は自分の両手で背中側の腰部分を支え、少し前傾姿勢のまま摺り足でその部屋へ入った
のだ。
室内には年の頃25才前後のまだ若い女性の技師が待ち構えていた。

そして入室するや否や、
「パンツだけ残し後は全て脱ぎ、脱いだらベットへ横になるように。」と私に告げると、
サッサとこちら側を見渡せるガラス張りの隣室へと向かったのである。
なんだか流れ作業的な投げやりな感じである。私は背中が痛いのだ。上半身だけ脱げば良
いではないか?と感じ、この主旨を窓越しに彼女に伝えたが答えはNOだった。
渋々私は痛みを堪えながらゆっくりと時間をかけ服を脱ぎにかかった。
そして上半身の服を全て脱ぎ捨てジーンズのベルトに手をかけた瞬間“ハッ”と気付いた
のだ。

今日私が穿いているパンツである!

それは昭和時代の超ビキニパンツで、連日多量の汗をかく大工作業が続く為に、
(まぁこれでいいや!)と穿いたもので、普段は全く穿く事のない廃棄するのも忘れてい
た程のビンテージ物なのである。
既に縁が擦れ、色もすっかりアセテート、デニムで言えばまるでダメージ加工の様な代物
である。この薄汚れた超ビキニパンツにソックスだけでベットに横になるのは、
軽犯罪法すれすれの姿である。
しかも隣室のガラス張りの位置は、私が横たわっての下半身側にあるのだ。
((OH MY GOD !選りに選ってこんな時に~うわ~まいった~やべ~!))
などと瞬時に考えてしまっていた。
だが、やはり仕方が無い。
意を決した私は見るからに貧粗で、ある意味セクシーな出で立ちへと変身したのである。
しかし、またここからが大変だった。この姿のままでベットの上部に上らなければならな
いのだ。
そのベットの縁に両手を付き前傾姿勢の格好で片足をベットに掛けているのである。が、
その後どうしても背中に激痛が走りこれ以上動けないのだ。
本当に自分ながら情けない姿である。それでも例の女性技師は手助けをしてくれるでもな
く、ただガラス越しにこちらの様子を窺っているだけなのだ。私は痛いやら恥ずかしいや
らで、必死にもがきながらもやっとの思いでその数分後、なんとかべットへの登頂を成し
遂げたのであった。

トホホホ~情けね~!

翌日の検査でもレントゲン撮影を再度行なう予定になっていたので、今度は失敗のないよ
うに普通の形のブリーフで撮影に臨む事が出来た。
(私は幼い頃、祖母が買って来るブリーフを穿いていたので、成人した後ももっぱらブリ
ーフ派であった。)
しかし二度目の撮影は昨日の女性技師ではなく、実に感じの良い別の女性技師であった。
しかも、とても優しい方でべットの乗り降りも手伝って頂いたし、私の下半身にはバスタ
オルまで掛けてくれたのである。
(昨日のあの無愛想な女性技師はいったい何者だったんだ!)と思うと、やり場の無い怒
りがまた蘇ってくるのであった。
だが、良く考えると私もいけなかった。
作業中とは言え、たまたまそんな日にそんなビンテージブリーフを履いてしまっていたの
だから。
そしてこの事件以後、穿かなくなった古いブリーフは全て廃棄処分にし、現在ではもっぱ
ら新しいボクサータイプブリーフである。

※ただ、この時のレントゲン写真には何も異状は写ってはいなかった。なぜなら骨ではな
く背中の筋肉の損傷だからである。

別に撮らなくても良かったのにね!

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