Column

第19話  初めてのアメリカ

最近では、アンティーク家具やアンティーク雑貨の買い付けの為年に数回渡米してはいる
のだが、私が生まれて初めてアメリカを訪れたのは、商品の買い付けと言う事で1992
年2月の事だった。

丁度日本ではアウトレットブーム到来の頃である。
それでもまだ、アメリカのアウトレットから直接商品を買い付けているのは、大きな問屋
や大きなショップ位のものでしかなかった。そこでこの期を逃してはいけないと思った私
は、早々K(一号)と一緒にアメリカへと旅立ったのだった。
ロサンゼルスへと降り立った私達は、手始めに古着を求めてフリーマーケット開催予定の
リサーチをしてみたのだが、あいにく大きい所の開催予定は一つも無いのである。
(毎月第2週目の日曜日に開催している有名なローズボールや翌週のロングビーチでのフ
リーマーケットすら知らなかったのであった。)

それでもパサディナのとある大学の小さな公園での開催を耳にした私達は、翌早朝、その
場所へと車で向かったのだった。
だが、ギャグの様な全く未熟なバイヤーである私達は、現地に着くや否や直ちに仕事に取
り掛かるべき所を、つい先に腹ごしらえとばかりに早朝営業のハンバーガーショップへと
立ち寄ってしまったのだ。
これが甘かった。
ハンバーガーを食べ終えコーヒーを飲みながら、なにげにこれから向かう筈の会場方向に
目を向けて観ると、たった今、買い付けたであろう山積みの荷物を台車に積み、歓談しな
がらそれを押して来るグループがあったのだ。
そう、やはりそれは後の祭りであった。案の定その会場には、私達の求める物は何一つ残
ってはいなかった。
惨敗である。

だがそんな事で落ち込んではいられない。
翌早朝、今度は私達の本命であるラルフローレンの買い付けの為バースローへと向かった
のだ。
順調に到着すれば、ロサンゼルスから車で2~3時間位の距離である。
だが、車中の私達はと言えば、今現在どこをどう車で走っているのか全く見当が付かない
状態なのである。
地図を見ながら走行してはいるのだが、闇雲にロサンゼルス市内をぐるぐると回っている
だけのような気がする。
とりあえず、どこかハイウェイに乗ろうと言う事になり、即席ナビゲーターであるKの示
すハイウェイの入り口へと車を走らせたのだ。
そして目差す入り口を発見した私達は、一気に加速し本線へと突入したのだった。
だが、その過激な加速がいけなかった。
私達の車はハイウェイパトロールに止められてしまったのだ
そしてパトカーから飛び降りて来た警官に、理解不能の早口英語でがんがんと捲し立てら
れ、こっぴどく怒鳴られてしまったのだ。
そして注意され続けて数分後、気の済んだ警官はやっとなんとかこの場を立ち去ってくれ
て事なきを得たのだった。
この場に取り残された私達は、とりあえず一服してから行動しようと、ハイウェイの路肩
へ停車したままタバコを吸っていたのだ。

すると今度は、白バイに乗った女性警官がやって来て
「そんな所に停車するなーっ!」と、またまた私達に向かって怒鳴ってくるのである。

その通りである。

そんな当り前の事をも忘れていた私達に、キュートな顔からは想像も出来ない激しい言葉
の乱射を浴びせ、一通りの注意をした後さっそうと女性警官もバイクで立ち去ったのだっ
た。

この連続攻撃から私は私自身を取り戻すべく、それから立続けに5本位のタバコを吸い続
け、時には間違えてリクライニングレバーを引いて座席が後方に倒れたりと、ちょっとし
たハプニングに見舞われながらも気持ちを落ち着かせ、ハイウェイの流れへと突入して行
ったのだった。
Kの言うとおりであった。『こっちの道じゃないすか!』とKが言った方向へと進んでみ
ると、この道がラスベガスへと続く道であり、この道の途中に目的地であるバースローが
あるのだった。
私達は、今度は到着後すぐに仕事に取り掛かった。
腹は減っていたが前日の出来事を教訓に、先にラルフローレンへと向かったのであった。

このお店では、スタッフのレジ打ちに30分もの時間を費やしていた。
点数が多いと間違えてしまい、まともにレジを打てないのだ。
しかも私の後ろには、レジ待ちのたくさんのアメリカ人達が並んでいるのである。レジの
女性スタッフは眉間に皺を寄せ、何でこんなに多量に買うんだと文句たらたら、後ろの待
ち客は早くしろと小声とオーバーアクションで訴えている。
私は早く清算してくれる事を祈るしか出来ず、仕事とは言えとても長く感じたいやな待時
間であった。
翌日は別のモールへと出掛け、GAPの商品の買い付けである。
ここもやはりレジの清算に時間が掛かり、しかも購買商品数が多くお店の買い物袋に入り
きれないと見るや、今度は透明のゴミ袋に商品を入れてよこしたのである。
私とKは、その大きなゴミ袋を担いでまるでサンタクロースの様な出立ちでいそいそとホ
テルへと帰ったのだった。
メルローズへも出掛けたが、この時は向かう時間が早すぎた。
到着したはいいが、お店がまだ一軒もOPENしていない状態で有効に時間を使えてはい
なかった。
全くもってバイヤーとして失格である。

食事では、ミディアムサイズのピザを二人でそれぞれ注文した時はあまりの大きさに絶句
し、暫く言葉が出なかったりなどロサンゼルス到着後から何においても失敗だらけであっ
た。
やはり事前にしっかりとした計画が必要な事を今更ながら痛感させられていたものであっ
た。
しかし、私とKは行き当りばったりで失敗続きのこの旅を、ひとつの経験として楽しんで
もいたのだった。
事実、目的である買い付けも充分済んだし、土産話もたくさん出来ていた。帰国前日には
丁度ロサンゼルスマラソンの開催日にあたり、私達はコース沿道で一生懸命なたくさんの
選手を応援する事も出来た。
そして翌日、私達は楽しかったこの珍道中を終え、帰国の途に付いたのだった。

無事日本へ到着してから3ヶ月後、私は混乱しそして我が目を疑っていた。
なぜならTVではロサンゼルスでの暴動のニュースが報道されているのである。
ほんの3ヶ月前に滞在していたあのロサンゼルス市内は見るも無残な姿に変貌してしまっ
ていた。

言葉にはならなかった…。

※今回はアメリカでの買い付けの為、コラムのアップが遅れてしまいました。ファイヤー
キングなど大量入荷していますよ。ところで、このコラムで初めて一緒にアメリカに行っ
たK(一号)と15年振りで、今回また一緒に行って来る事が出来ました。
なかなかGOODな出張模様は後々に。

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