Column

第11話  西暦2000年のビリヤード

私はそれまでビリヤードと言うものをただの一度もやった経験はなく、やろうと思った事
などは、やはり皆無であった。
そんなある日、馴染みの自衛官Aから一本の電話をもらった。
それは、まだ彼が20代前半であると言う若さにもかかわらず、新築のマイホームを建て
たと言う知らせであった。
それは羨ましくもあり、また凄い事でもあり、私は早速新築祝いを携えAの新居へと出掛
けたのだった。
そして新居へ到着するや否や、私はあまりに立派なその建物に目を見張ってしまった。
瀟洒な洋風建築の2階建てで、建物側面には車3台は置ける駐車スペースがあり、その隣
には庭まであるのである。
まったく驚いてしまい、立ち竦んでしまっている私の所へとAはやって来て
「内で皆集まって飲んでいるから、一緒に飲みましょう」と言ってくれた。
内装もやはり立派なものであった。
祝いの宴もたけなわとなり、集まってくれた皆さんもそろそろお酒が回りだしている時だ
った。
突然Aが立ち上がり『ビリヤードでもやろうよ!』と言い出したのだ。
あらあら、なんとその家の東側1階部分にはAの趣味を反映し1950年代風にアレンジ
されたビリヤードルームまで完備してあったのだ。
私はその場所にて、初めてビリヤードと言う物を体験する事になってしまったのだ。
そしていざやってみると、何だかおもしろい。
まったく素人の私は、9ボールゲームで負け続けてはいたものの、そのおもしろさを見出
し始めていたのだった。

そして数日後、やはり私も買ってしまったのだ
「USA製BRUNSWICK4」というモデルのビリヤード台を。
しかし、その後が大変だった。
と言うのも、台はあるが何から練習したら良いかと言う事さえも分からない程、チンプン
カンプンな、まるで見通しの立たない状態であった。
参考書なども買い込み練習にも明け暮れたが、一向に上達する気配すら見出せないでいた
のだ。
すると、私が台を購入した事を何処で聞き付けたのか定かでは無いが、ビリヤードの得意
な人達の方からわざわざ私を訪ねて来て頂き、そして指導を受ける事が出来たのだった。
その人達は私の身近な人達であり、彼等がビリヤードを趣味としている事を知らなかった
のは、どうやら私だけだった模様だ。
そんな手探りの状態でビリヤードの練習に明け暮れていたある日、M美容室のYがひょっ
こりと訪ねて来て、

「今日は、ディナーを賭けて勝負をしましよう!」

と言い出したのである。
少しばかりだが腕の上がりつつあった私は、もちろん勝負を受けてたったのだ。
だが結果は見事に惨敗であった。
この日のディナーは私の友人であるTの経営する寿司屋を賭けていたので、それはそれは
とても痛い出費であった。
こんな調子でこの後も何度となくYへの出費が続いていったのである。
だが、しばらくしてとうとう私にも初めての「タダメシ」のチャンスが訪れたのである。
思えば長~い道程であった。
その日は牛タンを賭けていた。
その記念すべきゲームの最後は、私のスーパーショットが火を吹き、
勝利のナインボールがコーナーポケットへと沈んだのだった。

「やったー!」 私は思わず叫んでいた。

初めて勝ったのだ。嬉しくて感情を抑えきれない私は、一刻も早くタダメシ牛タンディナ
ーを食す為に、敗者のYを引き連れ意気揚々と牛タン屋へと向かったのだった。

ところがである。
目的の牛タン屋へ到着してはみたもののお店の電燈が全部消えているではないか。
WHY?今夜は金曜日の書入れ時の筈である。
そこで注意深く辺りを見回してみると、薄暗い中お店の玄関のドアに不審な貼紙を発見し
たのだ。
そしてそれを覗いて見ると、こともあろうに「閉店」の2文字。

私は愕然としてしまった。私の初めての勝利ディナーであり記念日なのに閉店

これによって牛タンは儚く露と消えてしまったのである。
そしてこの日は
『僕はここの牛たんしかおごらな~いも~ん。』
などとまるで聞分けのない子供の様に言い張るYに、結局何もおごってもらえなかった。
全く融通の効かない男である。付き合い方も少し考えよう。(だが、いつも髪を切っても
らってるからなぁ~。しかもディスカウントまでしてもらってんだよな~これが。)

思えば私の運も、ビリヤードのテクニックもこんなものなのかもしれない。
あれだけ練習しても手玉を自在に操る事は不可能なようだ。
それだけビリヤードは奥が深いと言う事なのだろう。
(こんな事ならスタッフの言うように、いっそビリヤード台を無くしてしまえばもっと綺
麗に荷物の整理が出来るスペースを確保出来るかもしれない。やたらデカ過ぎるし邪魔な
んだよなー)などと考え込んでしまう程、腹も減り凍死しそうな魔冬の夜だった。

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