Column

第231話 6年の歳月は

新潟笹流れトライアスロンへの参加を決めたのは、鎌倉James代表のS氏の誘いがあったからだ。例年ならば青森県内鯵ヶ沢町でのトライアスロン大会にエントリーするのだが、コロナが明けてそろそろ開始かとその鯵ヶ沢トライアスロン大会のHPを覗いてみて驚いた。
まさかの大会廃止の告知なのである。
わが目を疑った。がっくりと肩を落としてその事をS氏に伝えると、それならと笹川流れトライアスロン大会案が浮上したのである。
初めての新潟、初めての土地はなんだか胸躍る。
考えてみればこの世に生まれて60数年ながら、日本国内でも行ったことのない所の多い事。これからすべてのところを回ってみるのはやはり不可能だろうと、諦めてはいるが。
大会当日、S氏と私は新潟市内を出発し笹川流れまでの約50㎞を燃費良好なクロのプリウスで駆け抜けた。静かだし燃費はいいし最高の車ではないか、と思った。私の乗っているディーゼルのハイエースとは雲泥の差があるが、ハイエースは荷物もふんだんに積めるのと車高があって見晴らしのよさが気に入っているから良しとしよう。
トライアスロン競技では、最初はスイムから始まる。
私たちは義務づけられたウエットスーツを身につけなければならない。
持参のウエットスーツは、考えてみればしばらくの間着用したことは無かったものだ。台風やコロナのせいで大会が中止になったりしていてここ5年間はそれに触れてさえもいなかった。久々の分厚いゴムの感触とすえたゴムの匂いが鼻孔にへばりつく。
タイプはロングジョンでタンクトップスタイルのワンピース型、背中のジップを引き上げセットするやつ。
まずは右足から滑り込ませ次に左足を滑り込ませる。なんだか締め付けが強いような感覚だ。そのまま腰あたりまで引き上げる。ここでも過剰な締め付けを感じる。私の体がここ数年で大きくなったと言う事ではないから、やはりこれはこのウエットスーツの方が経年変化したと言う事か。ここからさらに引き上げ両腕を差し込んで肩まで引き上げる。やはりかなりの硬さと窮屈さを感じる。
この感覚は間違いないだろう、このウエットスーツがこの5年間の放置でゴムが硬化してしまって柔軟性をやや失い、また全体的に少しばかり縮んでしまっているようだ。
この劣化の状態で果たしてスイムは大丈夫なのだろうか?
私は一抹の不安を感じざるおえなかった。
スタート前の試泳の時間、私は率先して海へと身を沈めた。
ウエットスーツはまるで筋トレ用強制ギブスの様だった。手足を動かすたびに私の筋肉にたっぷりの負荷がかかる。1分でヒーヒーゼーゼーと息が切れる。これではスイムは無理かもしれない、ここから、今から1500mの距離をこのウエットスーツで泳ぎ切る自信はすっかりと消え去り意気消沈気味。2分ほど泳いでみてたっぷりと疲れ切った私が砂浜にたたずむ。このウエットスーツでは無理だ、レースは止めようか、と悩む私。
本番スタート数分前、今更S氏に大会棄権を伝えられる状況でもなく、私は流されるようにその本番へと向かったのである。
どうする、どうすればこの厳しい状況を乗り切れるのだろう、そう懸命に考えていた。
ウエットスーツがきついのであれば、背中で締め切っているジップを開けてみてはどうだろう?と思い立った。
私は背中のジップにセットしてあるラインを引き10cmほど開けてみた。少しだけ体にゆるみを感じる。もしかすればこれが今一番いい方法なのかもしれないと感じた。
もう10cmほどジップを下げるとさらにゆるみを感じる。結局ほぼほぼジップは最後まで開けてしまった。もうこれで行くしかない。注意される前に海へと飛び込もう。
私は覚悟を決めてスタートラインについた。
結果的にはそのジップを全開にしたことが功を奏した。
何とかこの厳しい状況下泳ぎ切ることに成功した。S氏はずっと私と並泳してくれていてそれには随分と助けられた。精神的に心強かった。そしてスイム完了、心底ほっとした。
ここで私の今日のレースは完結したと言ってよかった。なぜなら生きて再びこの地を踏みしめることが出来たのだから。
そこからは、私はだいぶ気が楽になった。
バイク、ラン、辛さもあったが楽しくできたような気がする。
3時間34分、時間内に完走することが出来た。
結果、反省だけが残った。道具は劣化すると言う事だ。6年という歳月は、素材にもよるが道具を劣化させるには十分な時間なのだ。海もしかり山もしかりロードもしかり、道具の点検整備はしっかりとしなくてはならない、怪我したくなければ。

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