Column

第245話 2024・悔恨

大事な年の始まり、元日と言う神聖的な日の朝、私は毎年恒例である近場の山へと登山に出掛けた。元日の登山客はやはり多い。どうやら考える事は皆同じようだ。

登頂後、私はたっぷりと雪の積もるその山道を、何を血迷ったのか全力で駆け下りたのである。まるで夏山でトレランでもしているかのごとくに。新しい年の始まり、気持ちが変に高揚していたのであろう、アイゼンを装着したまま一目散に雪の山道を飛び越えたのである。

まったくそのせいだった。

次の日から右膝に激痛が走り歩くこともままならない始末。それでもその時は2~3日すれば治るだろうと軽く考えていたのだが、時間の経過とともにひどくなる現状に私は鬱々としてしまった。どうやらそう簡単なものではないようだ。

それからは、その膝の痛みとの向き合いが始まった。朝のジョギングもしばらくは休止した。時間が経って日常生活に支障がなくなってきてから、朝、ウォーキングから始めた。徐々にだが、だましだましながらゆっくりとランを始める。しかし、走った後はやはり痛んだ。

2月の後半から3月の頭にかけて2度ほど八甲田に登ったのだが歩くことには支障がなくなっていた。しかし、走るとやはり痛みがぶり返す。

そうなると、気持ちが萎える。今まで休日に出掛けていた冒険がおっくうになってくる。

ここ年末に至って今年を振り返ってみる。

毎年あれだけ行っていた登山、今年は春から1度も行ってない。カナディアンカヌーに至っても、やはり1度も漕いでない。車にカヌーを乗せる時に膝への大きな負担が気になったからだった。そう言えば、バイクも乗っていなかった。せっかく春に車検を通したばかりだったのに、ただの1度も乗っていない。バイクでの膝負担は全くないのだが、何やら気持ちが乗らなかった。そう考えると、ケガと言う外傷からくる気持ち的な内傷、つまり「やる気」の減少が大きな要因なのかもしれない。

10月の頭に、すでにエントリーしてある「笹川流れトライアスロン大会」が近づいていた。このままでの参加は無理だろうと考え、9月のはじめに私は初めて病院へと足を運んだ。案の定「半月板損傷」との診断だった。思っていた通りの結果だった。手術は回避しむくんだ膝の水抜きとヒアルロン酸注入治療に専念することにした。自然治癒しないことは重々承知している。もうそれなりの年齢なので、の決断だ。

3週間後、痛みは軽減してきていたのでこのまま参加することにした。

大会は素晴らしいものだった。晴天に恵まれ友人に助けられながらも無事ゴールすることができた。この痛む膝でよく完走できたものだと自分自身を誉めてやろう。

今でもその膝は痛む。完治はしないのだから仕方がない。それでもその不完全な膝と付き合っていかなくてはならない。だましだまし、それでも甘やかすことなくゆっくりだがランを続けるようにしている。

人生後半、ひとつのケガが体全体に大きな負担を背負うことになる。ましてやそれで心までを蝕んでしまいそうになるから厄介だ。

今年の反省として胸に刻み、新しい年は十分に慎重に物事を進めていかなくてはならない。

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