北風の吹きすさぶ凍てつく夜だった。
時は師走なかば、私達は数人で小さな忘年会を開いていた。翌日のスケジュールも考えて12時前にはお開きとなった。私は尿意をもよおし、長屋店舗の路地に併設されてあるトイレに入った。程よい酔いに心地よい放尿感、幸せな時間だ。
膀胱にはまだ半分ほど尿が残っている、そんな時だった。
突然の激しい揺れが私と便器と建屋を襲った。急には放尿を止めることは出来なかった。明らかに、解き放った尿はあたりにまき散らされていた。しかし心はそこには無かった。また来た、この激しい揺れの体感は過去に数々経験してきたそれと同等であることは間違いない。それはほんの数分の出来事だった。過去に経験していた長い揺れが続いたものとは少し違っていた。激しい揺れの中しぶとくもさっぱりと尿を出し切った私は、この揺れの止まった今にやる事があった。過去の地震で何度も経験してきた大きな被害、このたった今の地震での社屋内外の破損状況を確かめなくてはならない。
夜の街はまだ混乱状態には無かった。これからが大変なことになるだろう。停電がなかったことは幸いだ。すぐ目の前にあった空のタクシーを捕まえてすぐに社屋へと向かった。ほんの5分ほどで社屋に到着、タクシーを乗り捨てた。
社屋外観には被害は見られなかった。ひとまずホッとした。屋内に入って驚愕した。1Fでは洋服や棚が散乱していた。それでも大事なビンテージのガラス棚等は被害を免れていた。2Fではビンテージフロアーランプが倒れていて、美しいガラスシェードは粉々に散乱している始末、心に痛みが走った。3F、ここは雑貨中心のフロアー、一番心配していたところだ。
中に入ってみて驚いてしまった。ビンテージランプ等に陶器のトーイやグラスなどが粉々に打ち砕かれて散乱している。私はその荒れ果てた様子を茫然と眺めた。そしてこの惨事を今、酔いどれの私が一人で再建出来る状態ではないと悟っていた。それには到底無理があった。
ある程度の被害を把握した私は、一旦帰宅し自宅の様子も確かめなくてはならなかった。
セコムの設定をやり直し、私は再びタクシーを拾う事にした。
しかし、最初にタクシーを拾ってからそれなりの時間が経過し、夜の街はすでに混乱状態にあるのだろう、再びタクシーを捕まえるには相当の時間を要するようであった。この極寒の状況で、この場所でぼんやりと佇んでいる訳にはいかない。私は歩いて帰ることを決断した。2時間程かかったが無事に帰宅できた。途中、コンビニで絆創膏を買い、ブーツで擦れた足の中指に2枚程貼った。擦れて血が滲んでいた。
不思議と家は無事だった。ずらり並んだアガベは、ひとつも倒れてはいなかった。惨事を予想し覚悟を決めていただけに、拍子抜けして力が抜けた。
良かった、私はひとまずホッとする事ができた。
翌朝8時には社屋に向かった。
やはり大きな被害はそこにあった。すでに駿が片付けを始めていた。2時間ほどで開店できるまでに回復した。
テレビに映る市内の状況は悲惨なものだった。ビルのガラスは倒壊し大型店舗も天井が落たりと散々たる様相を呈していた。70mもの高さのあるNTTの電波塔は倒壊寸前の状態の様で辺り一面通行止めになっていた。これを目の当たりにした私は、2時間程で復興できた私事に感謝する事ができた。
三陸沖の地震はひどいものだ。数年おきに必ずやってくる。住んで居る私達はこの忘れた頃に突如やってくるこの大きな地震と共に生きなければならない。