Column

第243話 ゆれる思い

半月板損傷は、やはりそれなりに痛みが続いた。どうしてもそれの手術には踏み切れないでいた私は、膝周りに溜まっている体液を注射器で抜いてもらい、またその軟骨周辺にヒアルロン酸を注入すると言う簡易治療でその場をごまかしていた。

それでも十分にランの練習もできたし自転車だって乗ることが出来ていた。ただ、スイムで、疲れた時に軽い休憩の意味もある平泳ぎには無理があった。とてもじゃないが蹴り広げるときにその部分に激痛が走った。

 そんな爆弾膝を抱えつつ、私は昨年に引き続き新潟県で行われる「笹川流れトライアスロン大会」にエントリーしていた。昨年に引き続き、鎌倉から参戦のS氏と、今回はプラス彼の部下であるT氏、その3人でのエントリーである。

最初のスイムでは、年の若いT氏がその若いグループでのスタートとなり、随分と先にスタートを切った。なにせ500人以上のエントリー数だから徐々に、である。私たち年配チームは、ほぼ最後の方のスタートであった。海にはうねりが出ていた。

私のへなちょこクロールではそのうねりに岸側へ岸側へと流されてしまい、まるで遠回りでもしてそうにジグザグと左右に進む。すぐに腕に乳酸が溜まりだす。ちょいやばい。膝は痛いだろうが、平泳ぎに変えるか、心が揺らぐ。私は平泳ぎの方がよっぽど早い。

いや待て、スイムが済んだら次はバイク、そしてランが待っている。ここで膝を悪化させる訳にはいかない。私は渦巻く波に飲み込まれそうになりながらもスイムをなんとかクロールでやり遂げた。

次はバイクだ。ひと足先にスイムでスタートして、すでにバイクでスタートもしていたろうT氏の姿はやはり無い。私のへなちょこスイムに付き合ってくれたS氏と私は同時にバイクスタートをした。ここで随分と時間を浪費していた。

ここ笹川流れの海岸ラインのバイクコースは絶景である。日本海側にしては珍しいかもしれないリアス式の入り組んだ岩場がつながるコースは爽快で気持ちも晴れる。バイクでは膝に痛みはほとんどない。軽快にペダルが回る。

「俺、トイレ行ってくるんで先に行ってていいよ」

もうすぐ折り返しと言うあたりでS氏が私に向かって言った。

「了解です、先行ってますね」

私は答えた。

ここで私は少しばかり考えた。このままスピードダウンして戻ってくるS氏を待って、再び合流してからスピードアップして進もうか。いや、待て、私は人を待ってやれるほどに速いのか?そんなことは無いはずだ、私が全力でペダルを漕いだってきっとそのうち「ハーイ!」と笑顔のS氏は軽々とやってくるはずだ。きっとそうだ。私は全力で漕ぐことを決断した。案の定10分もするとS氏は明るい笑顔でやってきた。さすがだ。私の決断は間違えてはいなかった。それからすぐにバイクも終了、ランへと駒を進めた。

バイクで心底脚力を酷使してしまっていた私の足は、それこそ棒のように突っ張ってしまっていた。ランではやはりひざに痛みが走る。ただ、それほどひどい痛みでは無い。これなら行けそうだ。そう思いながらも、疲労しきった足にはうまくは力が入らない。ちょぼちょぼと情けない走り、そして容赦のない灼熱の太陽がぎらぎらと私の脳天を照らす。油のような汗が全身を包み込んでいるような感覚で熱が体内にこもってくる。

暑いやら、膝が痛いやら、そのうち慣れないクロールで酷使した肩がつり出した。まてまて、大丈夫か私は。肩がつるって初めての事だ。サクサクと走るS氏に遅れては申し訳ないと私は懸命に左右の足を蹴りだす。ここでもある思いが過った。あまりの疲労感、ここらで一旦走るのをやめて歩こうか。いや、まてまて、そんなに根性無しか私は。

そんな時、私たちの横をひとりの女性選手が走りぬけて行った。

「おおっ」

私は感心した。こんな暑くてしかも厳しい最後の競技での軽快なランに度肝を抜かれた。

これではいけない、私は最後の力を振り絞って、立ち止まることを回避し走る続けることを決断した。目先の競技用看板には残り3キロの表示があった。

まじか、私はあと3キロも走らなければならないのか、との落胆とも言える思いが疲労感を増幅させる。そんな時だった。

「あ~あ、あと3キロでもう終わっちゃうよ。つまんね~な」

とS氏が大きな声で叫んだ。

もう終わってしまう、あと何分かでのゴールがとても残念でならないとの雄叫び。そしてそれが本心なのだと、その横顔には表れていた。この人はすごい人だと私は思った。

グダグダでボロボロの私には、逆立ちしたって浮かんでは来ない言葉だった。私の揺れ動く心の弱さをその言葉は見事にぐさりと突き刺した。

そうだ、今を楽しめた奴が勝なのだ、今を楽しむことが出来るようになるべきなのだ。

そんな事を考えながら懸命に走っているうちに何とかゴールすることが出来た。

T氏はすでにゴールしていた。

太陽はまだまだ盛んに大地を照らし続けていた。

大粒の玉汗が額から地面に滴り落ちる。私たちは立ち並ぶドリンク&フードエリアで牛肉の串焼きとカレーライスと炭酸飲料を受け取り、芝生に転がりそれらに舌鼓を打ったのである。

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