Column

第224話  マスクからの解放とフリスク

  思えば、それはちょうど3年前。
新型コロナと言う未知のウイルスによる感染症が日本でも猛威をふるいだした頃だった。私的には、それはインフルエンザと同等なものだろう的な感覚でいたものだから当然マスクなどしないで接客をしていたのだが、やはりそれはそれなりの指摘を受けて、それではと遅ればせながら私もマスクをするようになった。
その新型コロナは、あれよあれよという間に大きな恐怖となって日本を世界を包み込んでしまった。この頃には私も当然のように毎日のマスク生活が常となっていた。あたりには新型コロナ感染者があふれ、それが自然の事のように私自身も感染してしまった。10日間の完全隔離、家でひとりそのウイルスが死滅するのを待った。
完治した私は再び仕事に就くことが出来たものの、やはりまだまだのマスク生活は続いた。
そうなれば、エチケットとして常に携帯していたフリスクはその役割をすっかりとなくしていた。
なぜなら、マスクをしたままフリスクを口にするとマスク上部の隙間からメンソールが吹き打だして目をやられてしまう、とてもじゃないがまともに目を開けてはいられないので、徐々にフリスクは不必要なものとなって行った。
それから早3年、ようやく新型コロナも落ち着きを見せ、政府はマスクの着用を個人の選択に任せるという事になった。まったくの自由となったのである。
そこで、人の集まるところ、スーパーマーケットや電車などの公共機関ではつけるようにはしているのだが、普段の生活の中で、私はマスクを取ることを選択した。だから普段はマスクをしてはいない。そこで必要になってくるのが、例のフリスクなのである。
先日、Jにフリスクを買ってきてほしいと頼んだところ、以前に口にしていたサイズの物が売っていないとの事。そうか、と気付く。必要なかったのは私だけではなくみんながそんな環境にあったのだと、需要がなくなっていたのだと愕然とした。
先日手に入れたフリスクは縦型の缶に入っていた。まったく様相が違っていた。中身のフリスク自体も小さな球体から大ぶりの三角形へと変化していた。ひとつ口に入れてみる。
味はまあ馴染んだ味に近いようなちょっと違うような、微妙なところだが決してまずくはない。これなら我慢できそうだ。
ある日ひとりの女性がプレゼントを求めて来店してくれた。私はすでにマスクはしていないのでエチケットとしてその大ぶりのフリスクを一粒口にした。
うっ、どうした、暫くぶりで慣れないメンソールが喉をホツリと突き刺す。
待て待て、あろうことかそのメンソールの刺激で、咳が出そうだ。このマスクのない状態で咳なんかしたらそれこそ迷惑な話だろう。なんとかしなくては。
私は慌ててカウンターに戻り、そこに置いてあるサンペリグリノに手を伸ばしその炭酸水を口に含みごくりとひと飲みした。炭酸水が喉に絡むメンソールを洗い流してくれたおかげでなんとか事なきを得た。正直ホッとした。
風邪でもコロナでもインフルエンザでも、この転換期の大事な時期にそれを疑われそうな事態はなるべく避けなければならない。
フリスクを口にしていなかったこの3年間のブランクは、どうやら私の喉をデリケートなものに変えてしまっていたようだ。新型コロナも収束の感があり、マスクも個人の自由選択となった今、今度はフリスクに喉を慣らさなくてはいけない。

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