Column

第177話  ショーケン死す

  萩原健一が亡くなったと各局テレビが騒々しい。通称ショーケン。
69才、それは彼にとって早すぎたのか、それともそれなりに生ききったのかは私にはわからない。世間から言わせたらまだまだこれからなのかもしれないが。
初めて彼をテレビで認識したのは1972年、私13才、石原裕次郎がボスを務める刑事ドラマ「太陽にほえろ」だった。ロングヘアーにAラインジャケット・バギーパンツのセットアップ、まるで洒落たロンドンヒッピーのようないで立ちの刑事役「マカロニ」を演じていた時だ。「太陽にほえろ」創世記のメンバーだった。(テンプターズの頃は記憶薄)
そのマカロニデカの記憶と言えばショーケン出番の最終回、夜の暗がり、人通りのない生垣のところで立ちションしている最中に、何者かに背中をナイフで刺されて、路上でのたうち回るシーンが一番に浮かんでくる。その一件でマカロニは殉職、次に登場したのが松田優作演じる「ジーパン」となる。この頃には私自身がまだ幼すぎてそれ程彼に魅力を感じたことはなかった。それから数年たち少しばかり成長した私。
そんな私が再びショーケンを目にし、男としてその魅力にグッと引きつけられたのは、1974年に始まった探偵ドラマ「傷だらけの天使」だった。探偵「木暮修」。オープニングシーンから衝撃的だった。ヘッドホンを耳に当てながら冷蔵庫から取り出したトマトに瓶詰の食塩をぶっかけ食い散らかし、牛乳瓶を咥え込んだままふたを歯で開けてガブっと飲み、そしてコーンビーフを丸ごと貪り食っている。なんじゃこれは、とハート鷲掴み。流れる音楽も躍動的でのりが良く何もかもが新鮮に映った。このドラマ、いっぺん見てどっぷりとはまった。相棒の水谷豊演じる亨(あきら)との滑稽でいて微妙にすれちがいながらも離れられない掛け合いの妙は今でも鮮明に映像として頭の中に残っている。(前述の太陽にほえろでも共演あり)DCブランド全盛のその頃、ショーケンは当時かなりの人気を博していたBIGIを毎回着用していた。ロン毛でややオーバーサイズのセットアップ、それにダークカラーのトレンチコート、とにかくかっこよかった。劇中、水谷豊がよく着ていたスカジャンも人気になり、世間ではスカジャンのリバイバルブームも起きた。ダッチ・チャレンジャーなど、出てくる小道具も他番組とは一線を画し群を抜いていた。毎回どんな仕草場面も逃すまいと食い入るように画面にくぎ付けとなった。
最終回、相棒の亨はちょっとしたチップ欲しさに冷たい噴水に飛び込みそのせいで風邪をこじらせ重度の肺炎にかかる。修の住んでいたペントハウスの大きなベランダに置いてあった白いバスタブの中でその後あっけなく命を落とす。その亨の死を目の当たりにした修は、悲しみの中手厚く供養してやり、その遺体を夢の島(ごみの島)へと投げ捨てる。そして住み慣れたこの場所を捨てたのである。
ドラマは終了した。
それは、私が高校生の頃だった。
それから2年、私は進学し都内に住むことになった。そのタイミング、いの一番に行ってみたいところがあった。それはあの劇中の修の部屋である。あの亨が命を落としたペントハウスのある。色々調べてそれは代々木駅の近場にあることを突き止めていた。記憶では確かに駅からすぐのところにあったように思う。今から42年前の話であるが、私が訪ねた時のその建物は当時ですでに築50年くらいは経っていたのではないだろうかと思われるほどに古びたコンクリートの建造物だった。玄関先の薄汚れたドアノブを引いてみるとキーキーと音を立ててなんなく開口した。玄関は薄暗く目の前には細く長い廊下が先に延びそのまた先は暗くてはっきりとした輪郭がつかめないほどに不気味な雰囲気があった。廊下の両側には木製のドアが等間隔で奥の方まで続き、まるで小部屋の連なる共同アパートのような作りになっていた。廊下の電気も点いてなく、もちろん誰かが住んでいるような生活感は全く感じられなかった。私は思い切って一歩足を踏み入れた。静かに奥へと進んで行くとつき当りの右側にコンクリート打ちっぱなしの階段があった。ここまで来てはっきりとわかったのだが、ここは完全な廃墟であった。廊下もそうだが、階段にも何層にもほこりがたまっている状態で足跡などは全くなかった。
こんなところに誰の許可も得ずに無断で入っていいのだろうかと胸中過るが、ここまで来たのだ、上に行ってみようと決意した。どれほどこの薄暗い階段をひとり上がったのだろう、記憶の中にはほとんどない。ただ、燦燦と日が差し込む屋上へと出た時のまぶしさが懐かしい。そこにはその撮影現場が奇跡的に残されていたのである。
ただ、かなりの荒れようであった。修の部屋だったところは使用されていた備品があたりに散乱していて足の踏み場もなかったし、壁は落書きの渦に埋もれてしまっていた。ひどいものだった。それでもその空間に足を踏み入れて、あの衝撃的な映像の中のこの空気感に触れられたことに感激していた。ベランダには亨が死んだバスタブがそのままに放置されてあった。ラストシーンが蘇る。あたりには破り捨てられたエロ本のページが散乱している。
この現実空間は今私だけの異空間と化し、空想の中にどっぷりと身を沈めることが出来ていた。とても心地よい。ここにはあのセピアで甘美でうつろな世界が時間を超えて広がっていた。しばらくその場所で時間を費やした。私の中で何かが吹っ切れた。
数年前になるが、どうしても「傷だらけの天使」が見たくなり、DVDのセットを手に入れた。数年に一度くらいか、ひょいと思い出すと見たくなり、そのDVDを手にとることがある。いつ見ても新鮮で過激でかっこいいと思う。
彼はやはり、まれにみるいい男であった。
萩原健一(69)・2019年3月26日没
ご冥福をお祈りいたします。

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