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第151話  はるうらら

  2月も半ばを過ぎたあたり、厳寒の季節を乗り超えそうなこの時期になると、時折かすかに黄みどり色をたたえた陽光が冷たいガラス窓を射抜く。
実際には視覚的に黄みどりがはっきりと見えているわけではないのだが、雪解けの進んだ先にある緑の草花を彷彿とさせるあたたかみを増した日の光が、連綿と持ち合わせた感覚をそうさせているだけだろう、が、それでもその光にはなんだかぼんやりとした希望が含まれている。それは不確実ではあるが、新鮮な希望だ。
気が付けば社会人として数十年も経過している今更に至っては、それこそ何かがあるという訳ではないのだが、記憶の中に蓄えられた何か、そう、どこか体内の片隅に埋もれてしまっているかつての淡い想いの蓄積がざわざわとうごめく。
それは入学であったり進級のクラス変えであったり卒業であったり、環境変化の経験、それぞれが持つ運命的分岐点からの別れや、それぞれの進路先にある新たな出会いや喜びやちょっとした不安などが入り混じった甘酸っぱく切なくもある感情であったり、ひとつ殻を破って未知へと進みだす勇気を振り絞った決断の残像だったりする。
日本に、ましてや雪国に育った人間にとってこの雪解けのころにはそんな想いが入り混じり、期待できる何かが訪れそうな心の弾みと密やかな興奮の中に身を置くことのできる不思議な時期なのである。
あらたなステップのための助走の始まり、とでも言うのか。
三寒四温、いや、未だ三寒一温といったところ。
あともう少し、陽光が力強く大地を照らし木々が芽吹き芝に緑が蘇る頃、なんだか心が軽くなるうららかな春が待ち遠しいものだ。

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